兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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『戦国法の読み方-伊達稙宗と塵芥集の世界-』
桜井英治・清水克行、高志書院選書、2,500円+税
★★★☆☆
対談、いや、発行者の濱久年氏を入れて三人だから鼎談か。ともかく、対談形式だと口語文が中心ですから読みやすいのですが、あまりにくだけてしまうと、鼻に付くというか、うっとうしく感じることもあります。
対談形式の本でお勧めするのは、『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎+大澤真幸、講談社現代新書、840円+税別、2011年)、『おどろきの中国』(橋爪大三郎+大澤真幸+宮台真司、講談社現代新書、900円+税別、2013年)、最近ではこの2冊です。ほとんどの日本人はキリスト教にも中国(中国共産党)にも無知ですが(自覚すらしていない)、社会学、比較宗教学的な観点でこれらを見てみると、新たな発見があるでしょう。
ただ、対談がそうなるとは限らないはずなのですが、この2冊でも、橋爪氏が泰斗(大家)、大澤氏が教えを乞うような感じで、二人のことを知らない私からすれば、なぜこんな感じで(えらそうに)話すのだろう、と思うことが少なからずありました。
本書でも師弟、というか上限関係が感じられて、不快とまでは思いませんでしたが、対談形式における会話を文章、書籍にする場合の課題と思いました。
■話は私の大学時代にさかのぼります・・・
さて、ちょっとくだけすぎちゃいませんか、とは言ったものの、本書の内容自体は期待通りの素晴らしいものです。大学時代に桜井先生の講義、しかも「『塵芥集』を読む」というそのものの講義を受けたのですが、生徒の大半が講義を受けられるレベルに達していませんでした(本書23ページで語られているような授業の風景にはならなかった)。のちに先生が大学を移られたことを知って、大学のレベルがこの程度だったためかと思ったことがあります。
予習をしている生徒がほぼ皆無で、『塵芥集』を読む以前に、古文を現代文に訳す時間になってしまい、『塵芥集』の条文の奥に広がる世界を探る以前の話でした。残念に思っていましたが、ここで再び『塵芥集』、戦国法の世界に出会えるとは感動です。
他学部から文学部の講義に潜っていたのですが、転部して桜井先生に就いて歴史を学ぶ道を選んでいれば、私の人生も変わっていたかもしれません。ただ、その時は(いまも)自分の好きなこと、歴史でご飯は食べられないだろうと思って、サラリーマンになったのでした。
■とはいえ・・・
それから私も本を読んで勉強をしたので、いまなら当時の大学生のレベル(の低さ)が理解できないわけではありません。網野善彦くらいは普通に読んでいないとダメだったかもしれません。
網野善彦、網野史観については以前触れていますので、そちらで。
http://naraku.or-hell.com/Entry/397/
『無縁・公界・楽-日本中世の自由と平和』は初心者にはややとっつきにくいかもしれませんので、『日本社会の歴史(上・中・下)』あたりがいいかもしれません。
いまは「中世」と言わないのでしょうが(もともとは西洋史、ヨーロッパで使われている歴史区分)、鎌倉時代や室町時代に抱いている漠然とした暗いイメージが払拭されるのではないでしょうか。農民(しかも土地に縛られて搾取される存在というイメージ)だけでなく、海や山、さらには多様な職能民が存在していた豊かな世界に触れることができると思います。ちなみに、『影武者徳川家康』『一夢庵風流記』などの隆慶一郎や『もののけ姫』の宮崎駿も網野史観の影響を受けています。
最初の方で普通に「アジール」という用語が出てきますが解説はありませんし、「戦国法を読む」のですから、自力救済や当事者主義といった最低限の法律知識も必要です。
勝俣鎮夫などの先行研究に目を通しておくに越したことはありませんが、本書は『塵芥集』の全条文を整合的に解釈するのが本旨ではありません。そもそも伊達稙宗(藤次郎政宗の曽祖父)自身が条文間に齟齬をきたさない、矛盾がないように『塵芥集』を書いたとも思えません。
歴史や法律の専門家がガチガチに解釈するのではなく、条文に触れる中で「乱世の現実をリアルに実感」すること、「史料読みの楽しさを体感」(いずれも本書帯)することが本旨ですから、まずはわかるところからその楽しさを味わうことがいいのではないでしょうか。
■補足
アジール(asyl)というのは「聖域」「世俗権力の及ばない空間」「避難所」などの意味を持ちます。
駆け込み寺、縁切り寺として知られる鎌倉東慶寺も一種のアジール的性格を持っていますが(必ずしも宗教と関係があるとは限りません)、世俗権力からすれば自らの権力が及ばない空間が存在することは好ましいことではなく、次第に制限を加えていくようになります。その手段の一つが法であって、戦国法から当時の社会の一端をうかがい知ることができます。
なお、アジールに駆け込んだ方も、世俗権力からの影響から逃れる一方で、その保護(世俗権力のもとにいることで享受できる利益)は期待できなくなりますから、自分で生活していかないと野垂れ死にする可能性もありました。
権力の介入が制限されるという部分で、大学の自治、学問の自由も似たところがあって、いまの政権もいろいろな手段で規制を加えようとしています。
桜井英治・清水克行、高志書院選書、2,500円+税
★★★☆☆
対談、いや、発行者の濱久年氏を入れて三人だから鼎談か。ともかく、対談形式だと口語文が中心ですから読みやすいのですが、あまりにくだけてしまうと、鼻に付くというか、うっとうしく感じることもあります。
対談形式の本でお勧めするのは、『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎+大澤真幸、講談社現代新書、840円+税別、2011年)、『おどろきの中国』(橋爪大三郎+大澤真幸+宮台真司、講談社現代新書、900円+税別、2013年)、最近ではこの2冊です。ほとんどの日本人はキリスト教にも中国(中国共産党)にも無知ですが(自覚すらしていない)、社会学、比較宗教学的な観点でこれらを見てみると、新たな発見があるでしょう。
ただ、対談がそうなるとは限らないはずなのですが、この2冊でも、橋爪氏が泰斗(大家)、大澤氏が教えを乞うような感じで、二人のことを知らない私からすれば、なぜこんな感じで(えらそうに)話すのだろう、と思うことが少なからずありました。
本書でも師弟、というか上限関係が感じられて、不快とまでは思いませんでしたが、対談形式における会話を文章、書籍にする場合の課題と思いました。
■話は私の大学時代にさかのぼります・・・
さて、ちょっとくだけすぎちゃいませんか、とは言ったものの、本書の内容自体は期待通りの素晴らしいものです。大学時代に桜井先生の講義、しかも「『塵芥集』を読む」というそのものの講義を受けたのですが、生徒の大半が講義を受けられるレベルに達していませんでした(本書23ページで語られているような授業の風景にはならなかった)。のちに先生が大学を移られたことを知って、大学のレベルがこの程度だったためかと思ったことがあります。
予習をしている生徒がほぼ皆無で、『塵芥集』を読む以前に、古文を現代文に訳す時間になってしまい、『塵芥集』の条文の奥に広がる世界を探る以前の話でした。残念に思っていましたが、ここで再び『塵芥集』、戦国法の世界に出会えるとは感動です。
他学部から文学部の講義に潜っていたのですが、転部して桜井先生に就いて歴史を学ぶ道を選んでいれば、私の人生も変わっていたかもしれません。ただ、その時は(いまも)自分の好きなこと、歴史でご飯は食べられないだろうと思って、サラリーマンになったのでした。
■とはいえ・・・
それから私も本を読んで勉強をしたので、いまなら当時の大学生のレベル(の低さ)が理解できないわけではありません。網野善彦くらいは普通に読んでいないとダメだったかもしれません。
網野善彦、網野史観については以前触れていますので、そちらで。
http://naraku.or-hell.com/Entry/397/
『無縁・公界・楽-日本中世の自由と平和』は初心者にはややとっつきにくいかもしれませんので、『日本社会の歴史(上・中・下)』あたりがいいかもしれません。
いまは「中世」と言わないのでしょうが(もともとは西洋史、ヨーロッパで使われている歴史区分)、鎌倉時代や室町時代に抱いている漠然とした暗いイメージが払拭されるのではないでしょうか。農民(しかも土地に縛られて搾取される存在というイメージ)だけでなく、海や山、さらには多様な職能民が存在していた豊かな世界に触れることができると思います。ちなみに、『影武者徳川家康』『一夢庵風流記』などの隆慶一郎や『もののけ姫』の宮崎駿も網野史観の影響を受けています。
最初の方で普通に「アジール」という用語が出てきますが解説はありませんし、「戦国法を読む」のですから、自力救済や当事者主義といった最低限の法律知識も必要です。
勝俣鎮夫などの先行研究に目を通しておくに越したことはありませんが、本書は『塵芥集』の全条文を整合的に解釈するのが本旨ではありません。そもそも伊達稙宗(藤次郎政宗の曽祖父)自身が条文間に齟齬をきたさない、矛盾がないように『塵芥集』を書いたとも思えません。
歴史や法律の専門家がガチガチに解釈するのではなく、条文に触れる中で「乱世の現実をリアルに実感」すること、「史料読みの楽しさを体感」(いずれも本書帯)することが本旨ですから、まずはわかるところからその楽しさを味わうことがいいのではないでしょうか。
■補足
アジール(asyl)というのは「聖域」「世俗権力の及ばない空間」「避難所」などの意味を持ちます。
駆け込み寺、縁切り寺として知られる鎌倉東慶寺も一種のアジール的性格を持っていますが(必ずしも宗教と関係があるとは限りません)、世俗権力からすれば自らの権力が及ばない空間が存在することは好ましいことではなく、次第に制限を加えていくようになります。その手段の一つが法であって、戦国法から当時の社会の一端をうかがい知ることができます。
なお、アジールに駆け込んだ方も、世俗権力からの影響から逃れる一方で、その保護(世俗権力のもとにいることで享受できる利益)は期待できなくなりますから、自分で生活していかないと野垂れ死にする可能性もありました。
権力の介入が制限されるという部分で、大学の自治、学問の自由も似たところがあって、いまの政権もいろいろな手段で規制を加えようとしています。
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安保法案に関する今朝のツイッターでの発言のまとめ
強行採決がいいとか悪いとかの話ではなくてですね、
もちろん、民主党はもっと強行採決やったじゃないか
(、だから自民党の強行採決も正当化されるべきだ)、
という話でもなくてですね。
この、数の横暴で憲法を無視するという行為が
法治国家(日本が本当にそうなのか言い切れないのだが、
ここでは建前としては法治国家であるとして)において
認められるのか、手続きに瑕疵があるということなのです。
目的が正しければ(正しいのか? その説明も足りない)
行為に瑕疵があっても正当化されるのか。
憲法九条を守って国が亡んでは意味がないのですが、
いまがその状況とは思えませんし、
納得のいく説明、議論が尽くされたとも思えません。
やるのであれば、正々堂々、憲法改正の手続きを踏んだら
いいのであって、そのために国民投票法を作ったり、
内閣法制局長官を替えたりしましたが、
難しいと見るや、姑息な手段で超えようというのは、
国家の最高法規である憲法を無視していますし、
主権者である国民を愚弄しています。
ここまでして安保法案を進めようとする背景には、
「世界の警察」をやめたがっているアメリカの意向があります。
アメリカは中国共産党ととことん事を構えるつもりは
ないのでしょうが、日本は中国共産党との有事には
アメリカの後ろ盾が不可欠と考えているのでしょう。
さて、為政者を縛るべき法が破られたらどうするのでしょうか。
裁判所に訴えるしかないのでしょうが、
「訴えの利益」がどこまで認められるでしょうか。
なお、「民主主義=多数決」ととらえている人が多いのかも
しれませんが、これだと数の暴力になってしまいます。
少数意見を尊重することも大切です。
また、多数決で決まれば何をしてもいい、ということはありません。
特に日本は「和をもって貴しとなす」の国ですから、
みんなが納得すれば何をしてもいい、ということが行われがちですが、
例えば、基本的人権などは多数決をもってしても制限できない権利です。
(みんながいいと言っても、ダメというものがある)
最後に、今回の話の中で、徴兵制の話が出てきて、
日本もスイスを模範とすべき、というような意見を目にしましたが、
スイスの歴史的・地理的要因と日本のそれとは大きく異なります。
強行採決がいいとか悪いとかの話ではなくてですね、
もちろん、民主党はもっと強行採決やったじゃないか
(、だから自民党の強行採決も正当化されるべきだ)、
という話でもなくてですね。
この、数の横暴で憲法を無視するという行為が
法治国家(日本が本当にそうなのか言い切れないのだが、
ここでは建前としては法治国家であるとして)において
認められるのか、手続きに瑕疵があるということなのです。
目的が正しければ(正しいのか? その説明も足りない)
行為に瑕疵があっても正当化されるのか。
憲法九条を守って国が亡んでは意味がないのですが、
いまがその状況とは思えませんし、
納得のいく説明、議論が尽くされたとも思えません。
やるのであれば、正々堂々、憲法改正の手続きを踏んだら
いいのであって、そのために国民投票法を作ったり、
内閣法制局長官を替えたりしましたが、
難しいと見るや、姑息な手段で超えようというのは、
国家の最高法規である憲法を無視していますし、
主権者である国民を愚弄しています。
ここまでして安保法案を進めようとする背景には、
「世界の警察」をやめたがっているアメリカの意向があります。
アメリカは中国共産党ととことん事を構えるつもりは
ないのでしょうが、日本は中国共産党との有事には
アメリカの後ろ盾が不可欠と考えているのでしょう。
さて、為政者を縛るべき法が破られたらどうするのでしょうか。
裁判所に訴えるしかないのでしょうが、
「訴えの利益」がどこまで認められるでしょうか。
なお、「民主主義=多数決」ととらえている人が多いのかも
しれませんが、これだと数の暴力になってしまいます。
少数意見を尊重することも大切です。
また、多数決で決まれば何をしてもいい、ということはありません。
特に日本は「和をもって貴しとなす」の国ですから、
みんなが納得すれば何をしてもいい、ということが行われがちですが、
例えば、基本的人権などは多数決をもってしても制限できない権利です。
(みんながいいと言っても、ダメというものがある)
最後に、今回の話の中で、徴兵制の話が出てきて、
日本もスイスを模範とすべき、というような意見を目にしましたが、
スイスの歴史的・地理的要因と日本のそれとは大きく異なります。
歴史を学ぶということ、歴史に学ぶということ
前々から書いていることですがあらためて。
歴史に学ぶということは、過去を知ることであり、現在、未来に活かすということです。艦船や刀剣がブームになっていることは、無関心であることよりははるかに望ましいことではありますが、知識を増やすことのみを目的とするのではなく、いまを生きる自分たちに活かさなければ、単なる自己満足に終わってしまいます。
もちろん、本を読んだり、誰かに聞いたりして得られる間接的な情報も大切ですが、「本物」に触れることで得られる直接的な情報も同じくらいに、いや、それ以上に大切なことです。
海の底に沈んでいる戦艦や美術館に置かれている刀剣は何も語りませんが、それを見る人が「思い」を持って見れば、また別のものが見えてくるはずです。感じられるはずです。
そのような経験を大事にして、感じた思いをまた他の人にも伝えていってほしいと思います。
ブームになっているいまがチャンスです。
普段は目に触れることが難しい貴重なものが見られる機会が増えるということですから。
とはいえ、いきなり歴史を学んで将来に活かそう、などと考えて歴史を学ぶのも肩が凝りますから、最初は知識の蓄積、いや、それすら意識せずに、好きなもの、関心の向いたものを貪欲に吸収していけばいいと思います。
前々から書いていることですがあらためて。
歴史に学ぶということは、過去を知ることであり、現在、未来に活かすということです。艦船や刀剣がブームになっていることは、無関心であることよりははるかに望ましいことではありますが、知識を増やすことのみを目的とするのではなく、いまを生きる自分たちに活かさなければ、単なる自己満足に終わってしまいます。
もちろん、本を読んだり、誰かに聞いたりして得られる間接的な情報も大切ですが、「本物」に触れることで得られる直接的な情報も同じくらいに、いや、それ以上に大切なことです。
海の底に沈んでいる戦艦や美術館に置かれている刀剣は何も語りませんが、それを見る人が「思い」を持って見れば、また別のものが見えてくるはずです。感じられるはずです。
そのような経験を大事にして、感じた思いをまた他の人にも伝えていってほしいと思います。
ブームになっているいまがチャンスです。
普段は目に触れることが難しい貴重なものが見られる機会が増えるということですから。
とはいえ、いきなり歴史を学んで将来に活かそう、などと考えて歴史を学ぶのも肩が凝りますから、最初は知識の蓄積、いや、それすら意識せずに、好きなもの、関心の向いたものを貪欲に吸収していけばいいと思います。
安保関連法案が衆議院の特別委員会で可決され、
明日にも本会議で採決されることになりました。
それから参議院に送られて、
参議院でも審議されることになりますが、
「60日ルール」とやらを勘案すれば、
与党としてはスケジュール的には
このあたりが限界でしょうか。
参考人招致で3人とも「違憲」としたことで、
「潮目」が変わった感がありますが、
各種の世論調査でも不支持率が支持率を上回っていますし、
経済もギリシャはともかく、
中国があやしくなってきたところで、
どうなりますか・・・。
前にも書きましたが、
(なぜ治安維持法が成立したのか、という問いと同様に)
後世の人は、この当時の人がなぜこの法案を止められなかったのか、
と問うことでしょうね。
明日にも本会議で採決されることになりました。
それから参議院に送られて、
参議院でも審議されることになりますが、
「60日ルール」とやらを勘案すれば、
与党としてはスケジュール的には
このあたりが限界でしょうか。
参考人招致で3人とも「違憲」としたことで、
「潮目」が変わった感がありますが、
各種の世論調査でも不支持率が支持率を上回っていますし、
経済もギリシャはともかく、
中国があやしくなってきたところで、
どうなりますか・・・。
前にも書きましたが、
(なぜ治安維持法が成立したのか、という問いと同様に)
後世の人は、この当時の人がなぜこの法案を止められなかったのか、
と問うことでしょうね。
最初に字数を決めてから書くと、脱稿しやすいような気がします。
自分のブログなので好きに書けばいいのですが、書きたいことを詰め込めるだけ詰め込むと、逆に焦点がぼやけるというか、推敲を重ねてぜい肉をそぎ落とした方が、読みやすい、わかりやすい文章になることはままあります。
あとはいまさらの話ですが、ワンセンテンス(一文)をなるべく短くするよう心掛けています。口語をそのまま文章にしてしまうと、句点(「。」)までが長い文章になってしまいがちです。読点(「、」)で区切って続けてもいいのですが、思い切って言い切った方がわかりやすくなるでしょう。
■土岐氏の人々
獅子王と書評で二度触れましたが、もう少し補足しておきましょう。
土岐氏というと、斎藤道三に追放された美濃守護の土岐頼芸(よりあき)が知られていますが、国を盗られた側として評価は決して高いものではなく、これが土岐氏自体の評価にも影響を与えています。今川氏真や大内義隆、朝倉義景などと似たようなところです。
土岐氏は清和源氏の流れで、鎌倉幕府に従い、南北朝時代には足利氏に従って、美濃守護となります。最盛期には美濃・尾張・伊勢三国の守護となりますが、土岐康行の乱で衰え、守護代斎藤氏によって実権を奪われます。
土岐頼遠 【ときよりとお】 ?-1342
いわゆる「ばさら大名」の一人で足利尊氏に従って戦功を立てました。光厳上皇の牛車に向かって、「院と言うか、犬と言うか、犬ならば射ておけ」と言って、矢を射たという狼藉で知られます。この罪で幕府に捕えられて斬首されました。
土岐康行 【ときやすゆき】 ?-1404
美濃・尾張・伊勢三国の守護となった伯父頼康の養子となりますが、足利義満は康行に美濃・伊勢二国の守護のみを認め、尾張は康行の弟満貞に与えてしまいます。兄弟の不和を利用して土岐氏の分断を図った義満は、挙兵した康行を討伐して土岐氏の勢力を削ぐことに成功します。のちに康行は許されて、伊勢守護の世保家(土岐世保家)として数代続きます。
斎藤妙椿 【さいとうみょうちん】 1411-1480
鎮守府将軍藤原利仁の子叙用(斎宮頭)に始まる斎藤氏の一族とされます(美濃斎藤氏)。「妙椿」は法名で、実名は不詳です。美濃守護代である甥の利藤(かつては同一人物と考えられていた)を後見し、応仁の乱では西軍の主力となり、また美濃を押さえて守護の土岐氏をしのぐ勢力を誇りました。北畠氏や織田氏とも縁戚関係にあります。
下剋上の典型であり、文武に秀でた良将ですが、いかんせん時代が古く、知名度はそれほどではありません。なお、斎藤道三はこの美濃斎藤氏の名跡を継いだとされます。また、光秀の重臣である斎藤利三も美濃斎藤氏の一族とされています。
土岐定政 【ときさだまさ】 1551-1597
美濃の土岐氏と同族。父定明は斎藤道三に敗死し、定政は母の父である三河の菅沼氏(同じ土岐氏)を頼りました。菅沼藤蔵と称して家康に仕え、姉川、三方ヶ原、長篠など多くの戦いに従軍して軍功を立て、甲斐巨摩郡内で一万石を与えられました。小牧長久手の戦い、小田原攻めにも加わって、下総守谷一万石に転じます。のち旧姓である土岐氏に復して従五位下山城守に叙任されています。子孫は転封を繰り返して、上野沼田三万五千石で廃藩を迎えました。
最後に、前回の書評に関連して、インターネットでも閲覧できる史料を紹介しておきます。
あくまで活字化されたものなので、機会があれば原典に当たるべきとは思います。
『寛政重修諸家譜』第2輯
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082719
土岐氏についてはコマ268から、大名となった土岐氏についてはコマ298からを参照ください。
『群書類従』第十八輯
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879575
コマ256の左下から「永禄六年諸役人附」が始まっており、永禄六年(1563)、足利義輝の代における幕府の諸役の一覧が示されています。
コマ259の右上、「足軽衆」に「明智」とだけ記されているのが明智光秀を指すと考えられています。これをもって、足利義輝の代から幕府に仕えていたとする説がありますが、途中でいったん切られているので(コマ258の右上。「足軽衆」で終わって、改めて「御供衆」となっている)、足利義昭の代に仕えたと考えた方がよさそうです。
自分のブログなので好きに書けばいいのですが、書きたいことを詰め込めるだけ詰め込むと、逆に焦点がぼやけるというか、推敲を重ねてぜい肉をそぎ落とした方が、読みやすい、わかりやすい文章になることはままあります。
あとはいまさらの話ですが、ワンセンテンス(一文)をなるべく短くするよう心掛けています。口語をそのまま文章にしてしまうと、句点(「。」)までが長い文章になってしまいがちです。読点(「、」)で区切って続けてもいいのですが、思い切って言い切った方がわかりやすくなるでしょう。
■土岐氏の人々
獅子王と書評で二度触れましたが、もう少し補足しておきましょう。
土岐氏というと、斎藤道三に追放された美濃守護の土岐頼芸(よりあき)が知られていますが、国を盗られた側として評価は決して高いものではなく、これが土岐氏自体の評価にも影響を与えています。今川氏真や大内義隆、朝倉義景などと似たようなところです。
土岐氏は清和源氏の流れで、鎌倉幕府に従い、南北朝時代には足利氏に従って、美濃守護となります。最盛期には美濃・尾張・伊勢三国の守護となりますが、土岐康行の乱で衰え、守護代斎藤氏によって実権を奪われます。
土岐頼遠 【ときよりとお】 ?-1342
いわゆる「ばさら大名」の一人で足利尊氏に従って戦功を立てました。光厳上皇の牛車に向かって、「院と言うか、犬と言うか、犬ならば射ておけ」と言って、矢を射たという狼藉で知られます。この罪で幕府に捕えられて斬首されました。
土岐康行 【ときやすゆき】 ?-1404
美濃・尾張・伊勢三国の守護となった伯父頼康の養子となりますが、足利義満は康行に美濃・伊勢二国の守護のみを認め、尾張は康行の弟満貞に与えてしまいます。兄弟の不和を利用して土岐氏の分断を図った義満は、挙兵した康行を討伐して土岐氏の勢力を削ぐことに成功します。のちに康行は許されて、伊勢守護の世保家(土岐世保家)として数代続きます。
斎藤妙椿 【さいとうみょうちん】 1411-1480
鎮守府将軍藤原利仁の子叙用(斎宮頭)に始まる斎藤氏の一族とされます(美濃斎藤氏)。「妙椿」は法名で、実名は不詳です。美濃守護代である甥の利藤(かつては同一人物と考えられていた)を後見し、応仁の乱では西軍の主力となり、また美濃を押さえて守護の土岐氏をしのぐ勢力を誇りました。北畠氏や織田氏とも縁戚関係にあります。
下剋上の典型であり、文武に秀でた良将ですが、いかんせん時代が古く、知名度はそれほどではありません。なお、斎藤道三はこの美濃斎藤氏の名跡を継いだとされます。また、光秀の重臣である斎藤利三も美濃斎藤氏の一族とされています。
土岐定政 【ときさだまさ】 1551-1597
美濃の土岐氏と同族。父定明は斎藤道三に敗死し、定政は母の父である三河の菅沼氏(同じ土岐氏)を頼りました。菅沼藤蔵と称して家康に仕え、姉川、三方ヶ原、長篠など多くの戦いに従軍して軍功を立て、甲斐巨摩郡内で一万石を与えられました。小牧長久手の戦い、小田原攻めにも加わって、下総守谷一万石に転じます。のち旧姓である土岐氏に復して従五位下山城守に叙任されています。子孫は転封を繰り返して、上野沼田三万五千石で廃藩を迎えました。
最後に、前回の書評に関連して、インターネットでも閲覧できる史料を紹介しておきます。
あくまで活字化されたものなので、機会があれば原典に当たるべきとは思います。
『寛政重修諸家譜』第2輯
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082719
土岐氏についてはコマ268から、大名となった土岐氏についてはコマ298からを参照ください。
『群書類従』第十八輯
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879575
コマ256の左下から「永禄六年諸役人附」が始まっており、永禄六年(1563)、足利義輝の代における幕府の諸役の一覧が示されています。
コマ259の右上、「足軽衆」に「明智」とだけ記されているのが明智光秀を指すと考えられています。これをもって、足利義輝の代から幕府に仕えていたとする説がありますが、途中でいったん切られているので(コマ258の右上。「足軽衆」で終わって、改めて「御供衆」となっている)、足利義昭の代に仕えたと考えた方がよさそうです。