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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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『戦国法の読み方-伊達稙宗と塵芥集の世界-』
桜井英治・清水克行、高志書院選書、2,500円+税
★★★☆☆

対談、いや、発行者の濱久年氏を入れて三人だから鼎談か。ともかく、対談形式だと口語文が中心ですから読みやすいのですが、あまりにくだけてしまうと、鼻に付くというか、うっとうしく感じることもあります。

対談形式の本でお勧めするのは、『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎+大澤真幸、講談社現代新書、840円+税別、2011年)、『おどろきの中国』(橋爪大三郎+大澤真幸+宮台真司、講談社現代新書、900円+税別、2013年)、最近ではこの2冊です。ほとんどの日本人はキリスト教にも中国(中国共産党)にも無知ですが(自覚すらしていない)、社会学、比較宗教学的な観点でこれらを見てみると、新たな発見があるでしょう。

ただ、対談がそうなるとは限らないはずなのですが、この2冊でも、橋爪氏が泰斗(大家)、大澤氏が教えを乞うような感じで、二人のことを知らない私からすれば、なぜこんな感じで(えらそうに)話すのだろう、と思うことが少なからずありました。

本書でも師弟、というか上限関係が感じられて、不快とまでは思いませんでしたが、対談形式における会話を文章、書籍にする場合の課題と思いました。

■話は私の大学時代にさかのぼります・・・
さて、ちょっとくだけすぎちゃいませんか、とは言ったものの、本書の内容自体は期待通りの素晴らしいものです。大学時代に桜井先生の講義、しかも「『塵芥集』を読む」というそのものの講義を受けたのですが、生徒の大半が講義を受けられるレベルに達していませんでした(本書23ページで語られているような授業の風景にはならなかった)。のちに先生が大学を移られたことを知って、大学のレベルがこの程度だったためかと思ったことがあります。

予習をしている生徒がほぼ皆無で、『塵芥集』を読む以前に、古文を現代文に訳す時間になってしまい、『塵芥集』の条文の奥に広がる世界を探る以前の話でした。残念に思っていましたが、ここで再び『塵芥集』、戦国法の世界に出会えるとは感動です。

他学部から文学部の講義に潜っていたのですが、転部して桜井先生に就いて歴史を学ぶ道を選んでいれば、私の人生も変わっていたかもしれません。ただ、その時は(いまも)自分の好きなこと、歴史でご飯は食べられないだろうと思って、サラリーマンになったのでした。

■とはいえ・・・
それから私も本を読んで勉強をしたので、いまなら当時の大学生のレベル(の低さ)が理解できないわけではありません。網野善彦くらいは普通に読んでいないとダメだったかもしれません。

網野善彦、網野史観については以前触れていますので、そちらで。
http://naraku.or-hell.com/Entry/397/

『無縁・公界・楽-日本中世の自由と平和』は初心者にはややとっつきにくいかもしれませんので、『日本社会の歴史(上・中・下)』あたりがいいかもしれません。

いまは「中世」と言わないのでしょうが(もともとは西洋史、ヨーロッパで使われている歴史区分)、鎌倉時代や室町時代に抱いている漠然とした暗いイメージが払拭されるのではないでしょうか。農民(しかも土地に縛られて搾取される存在というイメージ)だけでなく、海や山、さらには多様な職能民が存在していた豊かな世界に触れることができると思います。ちなみに、『影武者徳川家康』『一夢庵風流記』などの隆慶一郎や『もののけ姫』の宮崎駿も網野史観の影響を受けています。

最初の方で普通に「アジール」という用語が出てきますが解説はありませんし、「戦国法を読む」のですから、自力救済や当事者主義といった最低限の法律知識も必要です。

勝俣鎮夫などの先行研究に目を通しておくに越したことはありませんが、本書は『塵芥集』の全条文を整合的に解釈するのが本旨ではありません。そもそも伊達稙宗(藤次郎政宗の曽祖父)自身が条文間に齟齬をきたさない、矛盾がないように『塵芥集』を書いたとも思えません。

歴史や法律の専門家がガチガチに解釈するのではなく、条文に触れる中で「乱世の現実をリアルに実感」すること、「史料読みの楽しさを体感」(いずれも本書帯)することが本旨ですから、まずはわかるところからその楽しさを味わうことがいいのではないでしょうか。

■補足
アジール(asyl)というのは「聖域」「世俗権力の及ばない空間」「避難所」などの意味を持ちます。

駆け込み寺、縁切り寺として知られる鎌倉東慶寺も一種のアジール的性格を持っていますが(必ずしも宗教と関係があるとは限りません)、世俗権力からすれば自らの権力が及ばない空間が存在することは好ましいことではなく、次第に制限を加えていくようになります。その手段の一つが法であって、戦国法から当時の社会の一端をうかがい知ることができます。

なお、アジールに駆け込んだ方も、世俗権力からの影響から逃れる一方で、その保護(世俗権力のもとにいることで享受できる利益)は期待できなくなりますから、自分で生活していかないと野垂れ死にする可能性もありました。

権力の介入が制限されるという部分で、大学の自治、学問の自由も似たところがあって、いまの政権もいろいろな手段で規制を加えようとしています。






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