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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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ドローン

夜中に飛ばしたら、見失って、首相官邸に落ちた、ということにするのかな。
威力業務妨害で済むのかどうかもよくわかりません。

首相官邸の警備がザルでした、と醜態を報道するのは、「戦争放棄」の放棄に前のめりな裸の王様に対する暗黙の批判でしょうか。

このニュースを聞いて思い出したのが、1987年、西ドイツの青年が、旧ソビエト連邦の赤の広場にセスナ機で強行着陸した事件です。

当時、日本を含めた西側諸国は、ソ連をはじめとした東側諸国について、「鉄のカーテン」と称されたように詳細な情報が(少なくとも一般には)明らかではありませんでした。軍事パレードや葬儀といったイベントで幹部が並ぶ位置を見て、体制内の序列を推測していました(いまの北朝鮮を思えばよいでしょう)

ソ連邦の崩壊は1991年ですが、1987年はいまだ東西冷戦の真っ只中で、いつ核戦争が始まってもおかしくない、と思っていましたから(思わされていましたから)、その中心であるモスクワ都心に西側のセスナ機が着陸した(着陸できた)というのは衝撃でした。多分に後付けではありますが、ソ連がちょっとおかしいな、と思うようになった契機の一つだったかもしれません。

さて、「ドローン」と聞いてイメージする無人航空機については、amazonの研究・開発などでご存知の方もいらっしゃると思いますが、実際のところは、アメリカのみならず、各国での法整備が追いついていないのが現状です(農薬散布に無人航空機を使う日本が少しだけ先行していたりするのですが)。火山などの災害調査に限って使用を認めたり、私有地外での使用を禁止するに留まっていたり、広く商用に使われるようにはなっていません。

いつ落ちてくるかわからないものが、無制限に空を飛びまわっていては、おちおち外も歩けませんからね(これもすり込まれたイメージかもしれませんが)

話を戻します。今日のニュースを聞くと、放射性物質(セシウム)はどこから入手したのかと思いましたが、福島の土を入れたとのことでした。「小浜」と聞いて、あのへんの原発関係者が持ち出したのか、いや、関係者なら反原発というのも違和感があるかな、と思ったりもしましたが、福島の土を入れたというのが事実だとしたら、放射性物質が野放しになっていて、テロリストが容易に手に入れられる可能性が高まっているということでしょうか(どこまでどうなのやら)

ともかく、反原発の運動とテロ行為を結びつけるような今回の件は、原発再稼働派からすると、恰好の批判対象かもしれません。さらに、あちこち飛びまわられて、不都合なものを映されると困る(と考える)人たちにとっては、これで規制をしやすくなったということでしょうか。考え過ぎだといいのですが。
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両陛下のパラオ訪問は、

戦争をしたがっている人たちに対する、

無言のアンチテーゼじゃないでしょうか。


ペリリュー島では守備兵約1万人がほぼ全滅し、

生存したのはわずか34人とのことですが、

いったいどういう戦い方をしたのか・・・。

(「生きて虜囚の辱めを受けず」の『戦陣訓』はあったけども)


両陛下の行動に使うのもおかしいのですが、

これが海外での最後の奉公(おつとめ)かなと思ったり。

今上天皇も背中が丸くなられました。

AIIB

中共が参加を呼び掛ける「アジアインフラ投資銀行」ですが、

やり方が狡猾ですね。まあ、うまいということです。

中国の経済力には誰もが関心がありますから(上品に言うとね)、

韓国はともかく、イギリス、フランス、ドイツ、オーストラリアなど、

欧米各国が参加表明するのも無理はありません。


日本だってアジア開発銀行の歴代総裁を占めているのですが、

そろそろ保ち続けるのは簡単ではなくなってきたのかもしれません。


もう一つ出て来たのが「東アジア経済共同体」で、

「日本、韓国と協力」と言っているのが白々しいところですが、

すぐに思い出すのが「大東亜共栄圏」でして、

(直接的には)戦前に出ていた概念ですが、

どこまで本気だったかはともかく、

武力による勢力拡大は、敗戦によって崩壊してしまいます。

これは、まったくやり方としてはうまくありません。


中共の本音はわかっているのでしょうが、

表向き平和裏に進められると、表立っては反対しづらいものです。

(もちろん、裏で、というか、あちこちでいろいろやっているのですが)


そこで、なぜこれが戦前の日本でできなかったのか、

というのを、痛切に感じるのです。

いままた目には見えない大きな力で、

進路がねじ曲がっているのですが、誰も抗しえない。

こんなことでいいのだろうかと自問自答します。


さて、AIIBにしろ、東アジア経済共同体にしろ、

中国のバブル崩壊が表面化するまでの時間稼ぎになるかどうかですかね。


ドイツ旅客機墜落

山の斜面に散らばる機体を見ると、

御巣鷹山を思い出してしまって、

直視できませんね・・・。


当初は「格安航空」を強調しているような感じがありましたが、

「ルフトハンザ航空の子会社の」と付けると、

「格安航空会社」、いわゆる「LCC」のジャーマンウイングス、

という言い方になるのでしょう。


経費を抑えているので、機体の整備が行き届いていないのでは、

とは多くの人が真っ先に思い浮かんだところかと思いますが、

いまのところの報道では、副操縦士が故意に機体を墜落させた、

とのことで驚きです。


「9.11」の影響で、操縦室への入室が難しくなったということですから、

あの事件は15年もたって、まだ影響を与えているんですね。


操縦士のメンタルが原因となると、ケアの態勢、

あるいは、そもそものそういうメンタルに追い込んだ労働環境など、

LCCの構造的な問題というところに話が戻るのかもしれません。


ただ、最近の報道(あるいはその元になっている発表)は

どこまでが本当なのか、よくわからないので、

今回の件もどこまで真実を伝えているのか理解に苦しむ部分があります。

(そのくらいに不可解な件)

第1回
http://naraku.or-hell.com/Entry/1921/

第2回
http://naraku.or-hell.com/Entry/1922/


『新解釈 関ヶ原合戦の真実 脚色された天下分け目の戦い』
白峰旬、宮帯出版社、本体1,300円+税

■第一章(続き)
■■書状の由来
本書では、生駒利豊が書状を記した経緯として、松浦武氏の研究を引いています(『生駒家戦国史料集』)。

「あるとき、井伊直孝・坪内家定・安藤直次・成瀬正成たちが一緒になった。たまたま関ヶ原合戦の話になり、この合戦で福島正則の麾下に入り、尾張衆として参戦した生駒利豊の活躍に話題が及んだ。生駒利豊は普段から自分の手柄話をすることがなかったので、一座の誰もその実態を知らなかったため、後日を期することになったのか、坪内家定の子息の坪内定次が生駒利豊のところへ問い合わせてきた。それに対して、生駒利豊が坪内定次に対して返書を書いたのがこの書状である」

とのことですが、この通りとすると、書状は坪内定次が受け取って、その後は坪内家で代々保存されていたと考えられそうですが、本書では生駒陸彦氏が所蔵していたとしていますから、生駒家で保存していたと思われます。

ただし、これ自体は不自然なことではありません。毛利元就は、子供たちに出した書状を「読んだら返す」ように命じています。また、立花宗茂を「九州之一物」と評した秀吉の書状は宗茂本人に宛てられたものではありませんが、のちに立花家が黒田家から譲り受けたことから、立花家文書に収められています(立花家はこの文言をどこかから伝え聞いたということになります)。

あるいは、書状を送る際に、同じ文面を書いて手元に残すこともありますから、その場合は生駒家にこの書状(坪内定次に出した返書の写し)があったことになります。いずれにせよ、書状がどこでどのように開示されたかも含めて本書には記されていません。

前回も書きましたが、主張の根拠となる史料の信憑性の根幹となる部分の説明が欠けており、閲覧が容易ではない別の『生駒家戦国史料集』を見てくださいというのでは不親切と思います。



「戦国IXA」

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元就は筆まめを通り越して、「手紙魔」とも言える人物ですが、毛利家に文書がよく遺されているのは、元就の性格とは無縁ではありません。


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