忍者ブログ
兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

安保法案に関する今朝のツイッターでの発言のまとめ

強行採決がいいとか悪いとかの話ではなくてですね、
もちろん、民主党はもっと強行採決やったじゃないか
(、だから自民党の強行採決も正当化されるべきだ)、
という話でもなくてですね。

この、数の横暴で憲法を無視するという行為が
法治国家(日本が本当にそうなのか言い切れないのだが、
ここでは建前としては法治国家であるとして)において
認められるのか、手続きに瑕疵があるということなのです。

目的が正しければ(正しいのか? その説明も足りない)
行為に瑕疵があっても正当化されるのか。
憲法九条を守って国が亡んでは意味がないのですが、
いまがその状況とは思えませんし、
納得のいく説明、議論が尽くされたとも思えません。

やるのであれば、正々堂々、憲法改正の手続きを踏んだら
いいのであって、そのために国民投票法を作ったり、
内閣法制局長官を替えたりしましたが、
難しいと見るや、姑息な手段で超えようというのは、
国家の最高法規である憲法を無視していますし、
主権者である国民を愚弄しています。

ここまでして安保法案を進めようとする背景には、
「世界の警察」をやめたがっているアメリカの意向があります。
アメリカは中国共産党ととことん事を構えるつもりは
ないのでしょうが、日本は中国共産党との有事には
アメリカの後ろ盾が不可欠と考えているのでしょう。

さて、為政者を縛るべき法が破られたらどうするのでしょうか。
裁判所に訴えるしかないのでしょうが、
「訴えの利益」がどこまで認められるでしょうか。

なお、「民主主義=多数決」ととらえている人が多いのかも
しれませんが、これだと数の暴力になってしまいます。
少数意見を尊重することも大切です。

また、多数決で決まれば何をしてもいい、ということはありません。
特に日本は「和をもって貴しとなす」の国ですから、
みんなが納得すれば何をしてもいい、ということが行われがちですが、
例えば、基本的人権などは多数決をもってしても制限できない権利です。
(みんながいいと言っても、ダメというものがある)

最後に、今回の話の中で、徴兵制の話が出てきて、
日本もスイスを模範とすべき、というような意見を目にしましたが、
スイスの歴史的・地理的要因と日本のそれとは大きく異なります。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
[2015]  [2014]  [2013]  [2012]  [2011]  [2010]  [2009]  [2008]  [2007]  [2006]  [2005
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
ブログ内検索
最新のコメント
[10/03 Rakuna]
[10/03 セレス]
[09/25 Rakuna]
[09/25 セレス]
[08/22 Rakuna]
[08/22 セレス]
バーコード
アーカイブ
カウンター
Admin / Write
忍者ブログ [PR]