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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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『昭和天皇実録』には興味あるけど、
いま出ている内容は既出の話というか、
あまり目新しさはないんだよなあ。
取り上げるメディアに学がないのか。

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ちょっと違うな、

売れない商品を大量に作って、

売れるから売れるからと売ってはみたものの

(現場からは「何百個売れました!」と威勢のいい報告が相次ぐ)、

気付いてみれば在庫とクレームの山で、

冷ややかな目で見ていた我々が在庫処理をせざるを得ない、的な。


10年くらい前も同じようなことがあって、

その時は優秀な人から流出していきましたが、

優秀じゃなくても、身の振り方は考えたい今日この頃です。


んー、まるで戦前、戦中の某国のような…。

先輩と電話をしていても、

「うちもそこまで来たか…」

というところで、

沈みかかった船からどう移ろうか、

そろそろ算段の頃合いでしょうか。


明日あたり爆発しそう


毎回、重臣面して並んでいる安国寺恵瓊が笑えるw
まあ、それなりにキーパーソンではあるけど。

吉川元春も心中穏やかではなかったのでしょうが
(鮭は血を破るのエピソードが入らなかったのが残念ですが)、
そういえば、同じように秀吉にもやもやとした
感情を抱いていた丹羽長秀はいつの間に死んだ?w

ちらっと大友宗麟の子義統(のち吉統)が出ていたのも、
関ヶ原の戦い(九州)への布石というところでしょうか。

昨晩からの続き。

住居(家)の買ったときの値段が3,000万円として、
どれだけ住めば元が取れるか、あるいはリスクの確率として、
何年(何十年、何百年…)に一回(数回)の自然災害、
あるいは戦争などのために、家を喪失したとして、
それを許容できるか、それともそもそも許容できないのか。
(家という「物」だけではなく、そこには金銭で換算できないものもある)

日本の木造建築だと、二十年ほどで金銭的な価値はほぼなくなりますが、
だからといって、二十年に一回の災害で喪失して
納得がいくか、というと難しい話です。
かといって、百年や千年に一回と言われるような災害で喪失して
自分は運がなかったと納得するかというのも難しいでしょう。

家がなくなった事実は受け入れなければならないのですが、
次に家を再び手に入れるという選択をするのか、
それとも、そのような意欲がなくなるのか。

まず金銭に換算しても相応の金額で、
仮に保険で家という物が再建できたとしても、
さらに金銭で換算できない価値があるとすると、
自然災害、あるいは戦争などで
家を失うリスクが高くなると、
人々はどういう行動を取るでしょうか。

もしかしたら、家を持たない、
とはいかないのであれば、賃貸にするとか、
どうしても家が欲しければ、雨露をしのげるだけの
最低限の住居しか必要としなくなるかもしれません。
また家財(多岐にわたる)などは最小限しか手元に置かない、
という選択もあり得るのかもしれません。

そこで、もう一つ、昔の人はどうしていたのか考えてみたいのです。
そもそも耐久性といっても限界がありますし、
財産の蓄積にも限界があります。

イメージしやすい戦国時代を想定してみたとします。
といっても、年がら年中戦っていたわけではありません。
(普通は田植えや稲刈りをするような農繁期には戦争を避ける)
他国を攻めた軍隊が、他国の領民や家、田畑を破壊するようなことをすると、
その地から人がいなくなって(要は、山奥や近隣に逃げてしまう)、
いずれその地を占領するかもしれない領主も、
領国か荒れる他国の領主も、そのような事態は避けたいと考えました。
(あえて「乱取り」をしたり、稲や麦を刈るということもあったが)

戦争で破壊されなかったとしても、
大雨や地震などの自然災害に対する耐久性は
いまよりもはるかに低かったでしょうから、
家が壊れる可能性は高かったのでしょうが、
逆に、建て直すコストも低かったでしょう。

海外の自然災害や戦争で破壊された家々を見ると、
それにめげずに、また復旧にいそしむのだろうか、
とたくましさを感じることもあります。

最後に蛇足ですが、
日本に限らず、昔話、あるいはゲームの設定などでも、
地面を掘ったら、あるいは洞穴に入ったら、
お宝があったというのは、
災害に備えて財産を安全なところに隠したことの反映でしょうか。



今日もこんな時間になって(書き始めは、23:42)、
あと15分ほどしかないのですが、
広島の大雨による土砂災害や
イスラエルのパレスチナ自治区における軍事衝突、
もう少し前だと、東日本大震災における地震や津波による被害、
これらを見ていると、衣食住の「住」の部分が脅かされているのを感じます。
(もちろん、人命を初めとして、いろいろなものが脅かされていますが)

「衣食足りて礼節を知る」ではありませんが
(『管子』の一節で、実際の文章は少し違う)、
雨露をしのぐ住居、住まいというのも生活の基盤として重要なものです。

さて、考えやすいように、日本を想定したとして、
近年の異常気象としか言いようのない天候、
あるいは地震や津波などを考えて、
今後、住居を持つこともリスクが非常に高まったとします。
(現に高まっています)

たしかに、保険に入っていれば、
家や家財が補償されるでしょうが、
お金で買えるものばかりではありません。
(それ以前に、住んでいる人が死傷するかもしれない)
また、戦争や騒擾(騒じょう)で被った被害は補償してくれません。

ここで考えられるのはまず一つ、
自然現象で住居を失うリスクをどこまで許容できるか。

たとえとしてはやや不適ですが、
例えば、コンビニ傘(数百円)や自転車(数万円)を考えたとして、
傘を電車内に忘れる、あるいは飲み屋で傘入れに入れたら持って行かれた、
自転車を盗まれた、という状況を想定してみます。

数百円のコンビニ傘であれば、数回使えば元が取れたと考えて、
なくなっても納得できるでしょうか(普通は死ぬことはありませんし)
もしかしたら、数回使っただけで、
大風に吹かれて骨が折れてしまうこともあるでしょう。

買ったばかりの自転車が盗まれたら、
精神的にも金銭的にも痛いでしょうが、
10年乗り潰した自転車ならどうでしょうか。
(愛着がわくかもしれない…これはお金では買えない)

たとえが微妙でしたが、
ある程度の「物」であれば、金銭的に代替が可能で、
どのくらいの回数、年数使えば、
支払った金銭に見合うかというのは、見当がつきます。

ここで、一気に金額が上がりますが、
住居の場合はどうでしょうか。

いったん更新します。

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