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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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昨晩からの続き。

住居(家)の買ったときの値段が3,000万円として、
どれだけ住めば元が取れるか、あるいはリスクの確率として、
何年(何十年、何百年…)に一回(数回)の自然災害、
あるいは戦争などのために、家を喪失したとして、
それを許容できるか、それともそもそも許容できないのか。
(家という「物」だけではなく、そこには金銭で換算できないものもある)

日本の木造建築だと、二十年ほどで金銭的な価値はほぼなくなりますが、
だからといって、二十年に一回の災害で喪失して
納得がいくか、というと難しい話です。
かといって、百年や千年に一回と言われるような災害で喪失して
自分は運がなかったと納得するかというのも難しいでしょう。

家がなくなった事実は受け入れなければならないのですが、
次に家を再び手に入れるという選択をするのか、
それとも、そのような意欲がなくなるのか。

まず金銭に換算しても相応の金額で、
仮に保険で家という物が再建できたとしても、
さらに金銭で換算できない価値があるとすると、
自然災害、あるいは戦争などで
家を失うリスクが高くなると、
人々はどういう行動を取るでしょうか。

もしかしたら、家を持たない、
とはいかないのであれば、賃貸にするとか、
どうしても家が欲しければ、雨露をしのげるだけの
最低限の住居しか必要としなくなるかもしれません。
また家財(多岐にわたる)などは最小限しか手元に置かない、
という選択もあり得るのかもしれません。

そこで、もう一つ、昔の人はどうしていたのか考えてみたいのです。
そもそも耐久性といっても限界がありますし、
財産の蓄積にも限界があります。

イメージしやすい戦国時代を想定してみたとします。
といっても、年がら年中戦っていたわけではありません。
(普通は田植えや稲刈りをするような農繁期には戦争を避ける)
他国を攻めた軍隊が、他国の領民や家、田畑を破壊するようなことをすると、
その地から人がいなくなって(要は、山奥や近隣に逃げてしまう)、
いずれその地を占領するかもしれない領主も、
領国か荒れる他国の領主も、そのような事態は避けたいと考えました。
(あえて「乱取り」をしたり、稲や麦を刈るということもあったが)

戦争で破壊されなかったとしても、
大雨や地震などの自然災害に対する耐久性は
いまよりもはるかに低かったでしょうから、
家が壊れる可能性は高かったのでしょうが、
逆に、建て直すコストも低かったでしょう。

海外の自然災害や戦争で破壊された家々を見ると、
それにめげずに、また復旧にいそしむのだろうか、
とたくましさを感じることもあります。

最後に蛇足ですが、
日本に限らず、昔話、あるいはゲームの設定などでも、
地面を掘ったら、あるいは洞穴に入ったら、
お宝があったというのは、
災害に備えて財産を安全なところに隠したことの反映でしょうか。



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