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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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JRAのTVCMを見ながら。

まあ、宝塚記念と言えば、サイレンススズカですか。

もう10年以上経つんだなあ・・・秋の天皇賞で「戦死」してしまうわけですが・・・。

昔と違ってレース中の故障は少ないころだっただけに、ショックでした。

馬名から、翌日の新聞には「沈黙の日曜日」なんて書かれていましたね。


秋の天皇賞では一番人気が負け続けるというジンクスがあって、

「府中(東京府中競馬場)には魔物が棲む」なんて言われていましたね。


サイレンススズカというと、1998年の毎日王冠ですかね。

G1は録画していましたが、なぜかこのレースも録画していたのを覚えています。

ドバイWCを勝ったヴィクトワールピサの評価がどうなるかは、今後の走りにもかかっていますが、

それは別として、ここ十年余の競馬を見てきた中で、最強はエルコンドルパサーだと思っています。

ディープインパクトは推さない)

NHKマイルカップ、ジャパンカップを勝って、フランスの凱旋門賞で2着となりましたが、

ダートになった共同通信杯4歳S(当時の表記)を勝ってしまったり、自在という感じでしたね。

そのエルコンドルパサーが国内で唯一負けたのが、この毎日王冠なんですよね。


朝日杯3歳S(当時の表記)を
圧倒的なレコードで勝利して、

マルゼンスキーの再来」と言わしめたグラスワンダーも故障から復帰して、

このレースに出走しており、「三強対決」的なムードが漂っていましたが、

レースは逃げたサイレンススズカの圧勝。

エルコンドルパサーはサイレンススズカの影も踏めませんでした。


ディープインパクトのように後方から「飛んで」きて、差す競馬も見ていて面白いのですが、

スタートから先頭に立ち、そのまま逃げて勝つ馬が一番強い、という考え方もありますからね。

サイレンススズカはそれを体現するような馬でした。合掌。
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無題
3歳の時はまさに「荒ぶる10代」って感じだったので宝塚を勝ったときはこんなに強かったのかよと驚きましたw

サイレンススズカの死は、一頭の馬の死というよりも、これからも他を圧倒したであろう英雄の死のようにも感じましたね…その位に鮮烈だったと思います
amasiz 2011/06/13(Mon)14:02 編集
無題
日本ダービーはサニーブライアンの逃げの方が強烈でしたねw

その時代、その時代で強い馬はいるものですが、競走馬の強さは常に相対的なものでしかないんですよね。みんなで一緒によーいドンはできないから、絶対的に強いというのはあり得ない。

だから、たまたま他の馬が弱くて勝ったという例もなくはない。牝馬のウオッカが日本ダービーを制したときは、牡馬が弱かったんじゃね?という言い方もされました。

それでもサイレンススズカは負かした馬が強かったですから、逃げ馬最強説を地で行く馬かなという期待はあったのですが、残念ながら逝ってしまいました。宝塚記念というG1を勝って、その名が永久に残ることになったのはよかったと思います。
Rakuna 2011/06/13(Mon)21:31 編集
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