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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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『真田丸』第1回

ドラマのストーリーに限らず、今後のネタバレを激しく含む可能性があるので、ご注意ください。

・おお、『信長の野望』だ(シブサワ・コウが3D地図の監修をしていますし)
(去年はガンダム)
・黒田基樹先生か。小和田哲男がいなくてよかった
・背景に金色の字は微妙に見づらい
・登場人物の中で天正十年に死ぬ人が何人いるかな
・盗んだ馬で走りだし・・・この時代の馬であんなことができたのかはともかく、赤備えの装束に騎馬に乗り槍を持ち戦場を駆ける幸村(信繁)の姿を見るだけで泣けてくる感動
・いきなり出生の秘密に迫る姉。こまけぇこたぁいいんだよ
・いつの間にか「御屋形様」になっている勝頼(なったという説もある)
・いまだ信玄公ロスの武田家一同
・穴山の佞臣っぷり。小山田の佞臣っぷり。跡部の佞臣っぷり
・さっそく二枚舌の昌幸
・利発な弟と凡庸な兄という描き方(大泉洋は嫌いじゃないけど)
・しれっと内野家康の横に座っている榎木梅雪。しかし家康似てない
・炭鉱王(吉田鋼太郎)信長。似てない
・いまだ汁を二度がけする氏政
・しゃべる景勝

最高にかっこよくて哀しい武田勝頼(平岳大)。来週、武田家が滅亡したら登場しなくなるのでしょうが、信繁の今後の生き方に影響を与えていてほしい。

真田家の長男が早世だったかはともかく、太郎は飛ばして、さらに次男の厄を飛ばして長男(信幸)に三郎と付けて、次男(信繁)に次郎と付けた、でいいと思うんですけど。

天正十年(1582)から始まって、慶長二十年(1615)、大坂夏の陣で戦死するまで三十年余。一年をかけて、年数的にはどのような割合で描くのでしょうか。大坂両陣で数か月かかるでしょうね。配流生活はあまり長くても退屈ですかね。関ヶ原の戦いもしばらくかかるでしょう。

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