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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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とりとめがないので、いったんまとめ的なものを(まとまっていない)

■「村」の字について
赤松氏は播磨、荒木氏は摂津で、隣同士なんですよね。赤松氏の「村」は赤松円心(則村)から来ていますが、「則村」自体は明らかではありません。村上源氏の流れを汲むことを示しているのかもしれませんが、上の字を下に付けたとすれば疑問が残ります。村上天皇の「村上」は地名に由来するそうですが。

荒木氏は波多野氏の出身というのが最近の説ですが、「村」の字は村重以前からの通字で、播磨で勢力を持っていた赤松氏の影響を受けた可能性はあるかもしれません。過去に主従関係にあったとは思えませんが、播磨や摂津では「村」の字が人名に使われる字として認識されていたのかもしれません。他ではあまり「村」の字を下の名前に使う例はピンときません。

ちなみに、「群」を使った名前となると、さらに思いつかず、徳川達孝(徳川宗家の十六代目の当主、貴族院議長)の幼名で「群之助」があるのを見つけたくらいです。

伊達氏の「村」は二代目の伊達宗村が最初ですが、もと常陸伊佐郡の中村、あるいは下野の中村にいたことから、この中村に由来するのでしょうか。伊佐氏や中村氏とするならともかく(この例は実際にある)、地名の一部を名前にする(地名の一部を名前の一部にする)というのは他の例が必要でしょう。

■その他もろもろ
1.伊達宗村は平安時代末期から鎌倉時代初期の人物、赤松則村(円心)は鎌倉時代末期から南北朝時代初期の人物。これらよりも古い例はあるのかどうか
→平将門の乱の鎮定に活躍した藤原秀郷の父は村雄とされるが事跡は不詳。刀工の村正もいるので、人名として皆無ではないが…
2.幼名や通称などに「村」が含まれていて、それに由来する可能性
3.あるいは禅宗の僧の名前などに由来している可能性
4.幸村の姉村松(小山田氏に嫁ぐ)は地名から村松殿と呼ばれたようなので、地名に由来する可能性もあるが、上で書いたように、一文字だけを取るのはどうか

■実名は避ける話
江戸時代の講談にしろ、歌舞伎にしろ、実際に起こったことをそのまま取り上げると幕府からおとがめを受けるので、名前を変えるというのは普通にあることです。見れば元ネタはすぐわかるのですが、一字違えば他人となったようですが…(別の話を持ってきて、置き換えることもある)。

例えば、『忠臣蔵』(『仮名手本忠臣蔵』)では、赤穂事件の人物は『太平記』の人物に置き換えられています。浅野内匠頭長矩は塩冶判官(塩冶高貞がモデル、『忠臣蔵』ではあるいは「塩谷」「高定」、いずれにしても、「赤穂の塩」を連想させる)、吉良上野介義央は高武蔵守師直(足利尊氏の執事で権勢を誇った)に置き換えられています。大石内蔵助は「大星由良助(おおぼしゆらのすけ)」となっています。

『太閤記』の類では、明智光秀を武智光秀、織田信長を尾田(小田)春永、羽柴秀吉を真柴久吉と言い換えている例もあります。

真田幸村も実名の真田信繁をはばかって、「幸村」にしたのでしょうが、その由来についてはいまだ定説を見ません。
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