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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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「保科正直の娘は「ねね姫」か「栄姫」か?」
で検索が入りましたので、私見ですが検討してみましょう。
(NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』では、吉本実憂さんが演じるそうです)

『寛政重修諸家譜』から見る限りですが、まず、保科氏の項では、以下の通りとなっています。かっこは筆者(管理人)の補記です。

「母は(久松佐渡守)俊勝が女(家康の異父妹、多劫姫(たけひめ)…寛政譜で名が記されるのは珍しい)、東照宮(家康)の御養女となり、慶長五年(1600)六月六日(関ヶ原の戦いの直前)黒田筑前守長政に嫁がせらる。」

これでは名前についてはわかりません。続いて、黒田氏の項です。

「継室(最初は蜂須賀正勝の娘でのち離婚)は東照宮の御養女栄姫君、はじめねね姫君 実は保科弾正弾正忠正直が女。」

とあります。「はじめねね姫君」と注記してあります。

素直に考えると、最初は「ねね姫」で、家康の養女となって、黒田長政に嫁ぐ際に「栄姫」と改めたのではないでしょうか。

お江の方(督、江与、達子。法号は崇源院、浅井長政の三女で徳川秀忠の妻)のように複数の名があることも珍しくはないので、「栄姫」と名付けられた後も、内々に「ねね姫」と呼ばれていた可能性は否定できません(実際に呼ぶ場合には「ねね姫(様)」とは呼ばないでしょうが)。

なお、「栄姫」は「えいひめ」とされていますが、音読みとすべきかは判断しかねます。この時代に限った話ではなく、平安時代の藤原彰子(紫式部が仕えた)や藤原定子(清少納言が仕えた)の名をどのように呼んだかは定まっていません。

これらは「有職読み」そのものではありませんが、実際の名前と呼び方(呼び名)が違うこともあり得ます。そもそも、(現代でもそうですが)実名で呼ぶ場面は限られています。

http://naraku.or-hell.com/Entry/152/
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