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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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『軍師官兵衛』は泣けました。

だいたいの展開は予想できるとしても、役者さんの熱演に感動します。

信長の詫びを引き出す竹中秀吉の演技は素晴らしいですね。わざとらしいところも、ある意味秀吉っぽさを感じられていいですね。全身に雰囲気を醸し出しています。

これがどこかで「警戒」に変わるんでしょうけど。

竹中半兵衛に対する「死してなお信長をたばかるとは・・・」の台詞は、伝説的な軍師に対する「死せる孔明、生ける仲達を走らす」を彷彿とさせます(話の核心は全然違うけど)

半兵衛人気が高まってしまいそうです。

田中哲司さんの荒木村重もいいですね。

明智光秀に連鎖していくところが、遠藤周作の『反逆』を思い出させます。

栗山善助(利安)が家臣の筆頭とされたのは、官兵衛を救出した功績が大きいのですが、子供は・・・。


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三笠宮さま(崇仁親王)の三子はみな親に先立って亡くなられてしまったなあ。

先々週婚約発表されたの高円宮典子さまの結婚式はどうなるのだろうと思ったり。

いよいよ先細りですが、典子さまの皇籍離脱と合わせて「女性宮家の創設」や「女性天皇」、あるいは「女系天皇」などといった変な話がぶり返さなければいいのですが…。

「万世一系」かどうかはともかくとして、男系でなければ天皇ではなくなってしまいますし、継承するには旧皇族を皇籍復帰させるしかありません。


敗者の名前は定まらないことが多いのでは、
そして勝者も複数の名前があったのでは、
という前回の続きです。

学生時代に学校の図書館で戦前の百科事典を見つけたのですが、
当然ながら、そこには「第一次世界大戦」などという見出しはないのです。

「第二次」があっての「第一次」ですが、のちに「第一次世界大戦」
と呼ばれる戦争はあったのですから、それを何と呼んだかということですが
(当時は事典から見つけられなかった)、
「世界戦争」「大戦争」「欧州大戦」などと呼ばれていたようです。

石原莞爾(かんじ)は満州事変の首謀者の一人ですが、
彼が書いた(講演がベース)のが『世界最終戦論』です。
すでにヨーロッパでは第二次世界大戦が始まっていましたが、
「第一次欧州大戦」「第二次欧州大戦」という書き方をしています。

ちなみに、指揮者の小澤征爾は石原莞爾にちなんだ名前です。
「莞爾」は「莞爾とする、莞爾として笑う」などと使い、
「にっこり笑う様子」を表します。

主たる戦場がヨーロッパでしたから、「欧州大戦」の表記も
もっともですが、この戦争は日本にも拡大していきます。

日本が起こした戦争は中国を中心とした東アジアでしたから、
戦場を表す意味では「大東亜戦争」という呼称も適当でしょうが、
どうもこの表記はイデオロギーを含んでおり、
一般に使われるものではありません。
「太平洋戦争」の呼称も同様です。

特に日本人は「名前」にこだわりますが、
これはそこに何か宿る、言霊(ことだま)的な考え方でしょうか。
例えば、大地震が起きたときも、名前を決めるまで時間がかかります。

「阪神・淡路大震災」も当初は「兵庫県南部地震」
「関西大震災」「阪神大震災」などの呼称が使われました。
(「阪神」を入れることが適当かという議論はある)

「東日本大震災」も最初は「東北」が入っている報道が
多かった記憶があるのですが、被害の拡大が確認されるとともに、
「関東」も含まれていき、最終的には「東日本大震災」の名称を
閣議で決めたことを覚えています。
(名前を決めないと、法令等を出す際に支障が生じるという
現実的な問題もある)

リアルタイムでは名前の変遷を認識できますが、
時間が過ぎると、途中に存在していた名前の記憶は薄れていきます。
「関ヶ原の戦い・大名一覧」で次の南部利直を書きつつ、前から感じていた疑問。

利直は関ヶ原の戦いのあとで、西軍の将四人を預けられるんですけど、以下の四人です。

石川貞清(光吉、三吉)
宮部長房(長煕、定行)
岸田忠氏(晴澄)
松浦宗清(定一)

かっこ書きで別名を書きましたが、この人々に限らず、敗者は名前が確定しないことが多いような気がします。

家が滅んでしまうと、後世に伝える人がいないということで、当時の記録などで通称だけが伝わっていて実名が伝わらない場合、あるいは名前だけでなく、生年や没年がわからない場合も多々あります。

家が残っていても、その家の史家が怠慢だったのか、そもそも当時の記録が乏しかったのか、伝わらない場合もあります。

ただ、名前については、勝者はあまりそういうことがないように見えるのは、そう見えるだけで、実際は勝者も敗者も少なからず名前を変えていたということなのかも。

信長も秀吉も名前は変わりませんが、家康は元信、元康、家康と変わっています。

ただ、家康を認識する時に、家康と言えば間違いなく認識できますが、上の四人みたいな例は、どれを「主たる名前」として採り上げるべきか、判断の材料が少なすぎます。

要は、家康の一代記を書こうとしたら、「松平元信の一生」とは書きませんよね。人名事典の索引で松平元康を引いたら、「徳川家康を見よ」となりますよね。



北朝鮮は、結局、朝鮮総連の本部ビルの競売の件でごねるんでしょ?
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