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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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「関ヶ原の戦い・大名一覧」で次の南部利直を書きつつ、前から感じていた疑問。

利直は関ヶ原の戦いのあとで、西軍の将四人を預けられるんですけど、以下の四人です。

石川貞清(光吉、三吉)
宮部長房(長煕、定行)
岸田忠氏(晴澄)
松浦宗清(定一)

かっこ書きで別名を書きましたが、この人々に限らず、敗者は名前が確定しないことが多いような気がします。

家が滅んでしまうと、後世に伝える人がいないということで、当時の記録などで通称だけが伝わっていて実名が伝わらない場合、あるいは名前だけでなく、生年や没年がわからない場合も多々あります。

家が残っていても、その家の史家が怠慢だったのか、そもそも当時の記録が乏しかったのか、伝わらない場合もあります。

ただ、名前については、勝者はあまりそういうことがないように見えるのは、そう見えるだけで、実際は勝者も敗者も少なからず名前を変えていたということなのかも。

信長も秀吉も名前は変わりませんが、家康は元信、元康、家康と変わっています。

ただ、家康を認識する時に、家康と言えば間違いなく認識できますが、上の四人みたいな例は、どれを「主たる名前」として採り上げるべきか、判断の材料が少なすぎます。

要は、家康の一代記を書こうとしたら、「松平元信の一生」とは書きませんよね。人名事典の索引で松平元康を引いたら、「徳川家康を見よ」となりますよね。



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