忍者ブログ
兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

敗者の名前は定まらないことが多いのでは、
そして勝者も複数の名前があったのでは、
という前回の続きです。

学生時代に学校の図書館で戦前の百科事典を見つけたのですが、
当然ながら、そこには「第一次世界大戦」などという見出しはないのです。

「第二次」があっての「第一次」ですが、のちに「第一次世界大戦」
と呼ばれる戦争はあったのですから、それを何と呼んだかということですが
(当時は事典から見つけられなかった)、
「世界戦争」「大戦争」「欧州大戦」などと呼ばれていたようです。

石原莞爾(かんじ)は満州事変の首謀者の一人ですが、
彼が書いた(講演がベース)のが『世界最終戦論』です。
すでにヨーロッパでは第二次世界大戦が始まっていましたが、
「第一次欧州大戦」「第二次欧州大戦」という書き方をしています。

ちなみに、指揮者の小澤征爾は石原莞爾にちなんだ名前です。
「莞爾」は「莞爾とする、莞爾として笑う」などと使い、
「にっこり笑う様子」を表します。

主たる戦場がヨーロッパでしたから、「欧州大戦」の表記も
もっともですが、この戦争は日本にも拡大していきます。

日本が起こした戦争は中国を中心とした東アジアでしたから、
戦場を表す意味では「大東亜戦争」という呼称も適当でしょうが、
どうもこの表記はイデオロギーを含んでおり、
一般に使われるものではありません。
「太平洋戦争」の呼称も同様です。

特に日本人は「名前」にこだわりますが、
これはそこに何か宿る、言霊(ことだま)的な考え方でしょうか。
例えば、大地震が起きたときも、名前を決めるまで時間がかかります。

「阪神・淡路大震災」も当初は「兵庫県南部地震」
「関西大震災」「阪神大震災」などの呼称が使われました。
(「阪神」を入れることが適当かという議論はある)

「東日本大震災」も最初は「東北」が入っている報道が
多かった記憶があるのですが、被害の拡大が確認されるとともに、
「関東」も含まれていき、最終的には「東日本大震災」の名称を
閣議で決めたことを覚えています。
(名前を決めないと、法令等を出す際に支障が生じるという
現実的な問題もある)

リアルタイムでは名前の変遷を認識できますが、
時間が過ぎると、途中に存在していた名前の記憶は薄れていきます。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
[1705]  [1704]  [1703]  [1702]  [1701]  [1700]  [1699]  [1698]  [1697]  [1696]  [1695
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
ブログ内検索
最新のコメント
[10/03 Rakuna]
[10/03 セレス]
[09/25 Rakuna]
[09/25 セレス]
[08/22 Rakuna]
[08/22 セレス]
バーコード
アーカイブ
カウンター
Admin / Write
忍者ブログ [PR]