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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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『捨てられる銀行』
講談社現代新書、橋本卓典、800円+税

知人の銀行員から紹介されて購読。

四金融機関の事例はいいとこ取りというか、どこも表と裏があるのではないでしょうか。某所であった「提灯記事」との指摘もわからないではありません。

銀行の従来の役割は預金・融資・為替だったと思うのですが、いまではいずれも銀行がなければできないものではなくなっています。それでも最後に残ったメシのタネである融資も低金利競争でジリ貧です。貸出の残高は増えるものの金利低下で、トータルとしての金利収入は減少し続けています。

金融行政に翻弄された部分は大いにあって(監督官庁であり生殺与奪の権を握っている)、マネーがジャブジャブになっているのを放置してバブルを招いたのに、今度は不良債権処理を推し進めて引き当ての積めない金融機関には退場してもらう(半沢直樹の世界)、そして次は事業性評価やら何とやらで貸せという。ころころ変わる金融行政にも責任がありますが(森金融庁のこのスタンスもいつまで続くのか)、本業を見失った銀行は企業として、社会の公器として存在できないのではないでしょうか。

預金者から預かる預金を貸出先に融資する、預金者が取れないリスクを銀行が取って、貸出先の成長に資するのが銀行の本来的な役割ですが、そこには当然貸し倒れのリスクが存在します(その分が金利ということなのですが、正当な対価としての機能を果たすのが難しくなっている)。1万先に貸して1万先が元金と利息をきちんと返すなどということはないのですから、そこはリスクを判断して、金利をいくらいにするか決めなければなりません。リスクを取って融資をすべき銀行がリスクを取らなくなったら、誰が企業を育てるのでしょう。それ以前に、そもそもリスクの有無すら判断できない銀行員に存在価値はありません。

内外の事情により自分たちで考えなくなった銀行、目の前のお客さんを見ていないというのは致命的ですね。銀行員が来て、ただ「借りてください」と言われても困りますし、いざ貸してもそのあと何に使ったのか見ようともしません。これでは企業の成長に資するのかどうかもわからないでしょう。単にいくら貸した、投資信託をいくら売った(手数料をいくら稼いだ)の営業ノルマ達成しか考えていないのでしょう。

話を戻して、日本の経済が成長しない原因は銀行だけにあるのではないですから、いままで散々金融行政で振り回しておいて、地方創生だのなんだの言われて、それができないのは銀行のせいとされても困るでしょう。電機や自動車、建設会社などの不祥事を見ても、銀行だけでなく、日本の会社組織どこも同じです(特に大企業ほど腐る)。

2000年より前の話で、ゼミに信用保証協会の副理事?(夏の暑い時で、服(上着)を脱いだらえらくなりますと言ったおやじギャグはいまでも覚えている)が来て、信用保証協会の存在意義、必要性を説いていたことを思い出しますが、当時はわざわざ保証料を払ってなぜ借りないといけないのかと、その程度の認識でした。いまは借り手の方から「マル保でいいから(貸してくれ)」というのが現実なのでしょう。

金融検査マニュアルで、疑似資本としての性格を持っていた短コロ(手形借入などの短期コロガシ、短期継続融資)が条件緩和債権として断罪され、信用保証協会の長期借入に変わっていくと、常に元金返済が資金繰りにのしかかってきます。これは消費者がサラ金から借りるのと同じになってしまったのではないでしょうか。
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