兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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『戦国人名事典』の南部利直の項を読んでいると、
「おりから領内の産金著しく財政に恵まれ近世的支配体制が進展した」とあります。
南部領に金山なんかあったかな、と思って、
『寛政重修諸家譜』を開いてみました。
慶長十七年、秀忠が利直の屋敷を訪れると、
いろいろなものを下賜しますが、その中に「白銀五百枚」というのがあります。
利直がお返しをするのですが、
「所領の白根山吹のこがね五十枚を献ず」(原文ママ)とあります。
「山吹(色)=黄金(色)」かと思いましたが、
続きを読んでいくと、「白根山で吹いた金」のようです。
白根山とは、尾去沢(おさりざわ)鉱山のことで、
現在では閉山していますが、地理的には秋田県鹿角市で、
青森県、岩手県、秋田県の県境になります。
次に、慶長十八年、利直は駿府の家康に拝謁しますが、
ここでも、「封内白根山に産する金若干を献ず」とあり、
さらに、「いとま申(す)のとき献ずるところのこがねのうち百三十枚を賜ふ」
とあります。家康に金(贈答用であれば大判か)を献上しますが、
キャッシュバックされたようです。
翌年の大坂冬の陣では、家康が次のような雑談をしていたのを伝え聞きます。
「日本の薫陸は南部領の産を以て第一とする」と。
そこで、今度は「貯ふるところの薫陸を献」じています。
「薫陸」とはあまり聞きませんが、「くんろく」と読んで、
香料、薬剤として使われる石のようなものです(樹脂)。
小判の仕上げに使われる薬剤の一つで、現在も岩手県で産出されます。
インターネットでも販売されているので、
検索してみると、どういうものか確認できます。
たしかに、『寛政譜』を読んでいると、金銀、というか、
金とその関係の物がザクザク取れていた印象を受けます。
大坂の陣では、家臣であった北信景(北信愛の養子)が南部十左衛門を名乗って、
豊臣方に味方し、その派手ないでたちから「南部の光り武者」と称されますが、
南部といえば、金が連想されたのでしょう。
なお、家中から豊臣方に味方した者が出たことは、
戦後、利直が追及される原因になります。
「おりから領内の産金著しく財政に恵まれ近世的支配体制が進展した」とあります。
南部領に金山なんかあったかな、と思って、
『寛政重修諸家譜』を開いてみました。
慶長十七年、秀忠が利直の屋敷を訪れると、
いろいろなものを下賜しますが、その中に「白銀五百枚」というのがあります。
利直がお返しをするのですが、
「所領の白根山吹のこがね五十枚を献ず」(原文ママ)とあります。
「山吹(色)=黄金(色)」かと思いましたが、
続きを読んでいくと、「白根山で吹いた金」のようです。
白根山とは、尾去沢(おさりざわ)鉱山のことで、
現在では閉山していますが、地理的には秋田県鹿角市で、
青森県、岩手県、秋田県の県境になります。
次に、慶長十八年、利直は駿府の家康に拝謁しますが、
ここでも、「封内白根山に産する金若干を献ず」とあり、
さらに、「いとま申(す)のとき献ずるところのこがねのうち百三十枚を賜ふ」
とあります。家康に金(贈答用であれば大判か)を献上しますが、
キャッシュバックされたようです。
翌年の大坂冬の陣では、家康が次のような雑談をしていたのを伝え聞きます。
「日本の薫陸は南部領の産を以て第一とする」と。
そこで、今度は「貯ふるところの薫陸を献」じています。
「薫陸」とはあまり聞きませんが、「くんろく」と読んで、
香料、薬剤として使われる石のようなものです(樹脂)。
小判の仕上げに使われる薬剤の一つで、現在も岩手県で産出されます。
インターネットでも販売されているので、
検索してみると、どういうものか確認できます。
たしかに、『寛政譜』を読んでいると、金銀、というか、
金とその関係の物がザクザク取れていた印象を受けます。
大坂の陣では、家臣であった北信景(北信愛の養子)が南部十左衛門を名乗って、
豊臣方に味方し、その派手ないでたちから「南部の光り武者」と称されますが、
南部といえば、金が連想されたのでしょう。
なお、家中から豊臣方に味方した者が出たことは、
戦後、利直が追及される原因になります。
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