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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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三国志(と言うと、一般的に『三国志演義』か、それをモチーフにした小説や漫画、ゲームなどということになるが)を読まれた方ならば、呂蒙という呉の武将はご存じであろう。
 
周瑜から魯粛と続く呉の名将の系譜は呂蒙に受け継がれ、さらにそれは陸遜に引き継がれていくのだが、蜀のファンならずとも、策を弄して関羽を討った武将として、あまり人気がないのではないだろうか。その後、短命にして死んだのも惜しまれる。
 
彼に関する故事成語が二つ残っている。
 
一つは「呉下の阿蒙」である。「阿」は「~ちゃん」の意味であり、劉禅の幼名「阿斗」や、魯迅の小説『阿Q正伝』の主人公「阿Q」の「阿」も同じ意味である。
 
呂蒙も若い頃は短慮なところがあったようで、自分を馬鹿にした役人を斬って逃亡している。のちに自首して孫策に助けられている(孫策の人物を見抜く目は優れており、多くの人材を発掘した。これはのちに呉の大きな財産となる)。
 
その後しばらくして、魯粛が呂蒙に会ったが、いろいろ質問してみると、勉学に励んでいた呂蒙はよどみなく答えてしまう。さらに呂蒙から関羽を討つ策まで授けられてしまい、そこで魯粛が言ったのが「呉下の阿蒙に非ず」である。「呉にいた時の蒙ちゃんではないな」の意味である。魯粛も『三国志演義』では諸葛亮にいいようにあしらわれる人物として描かれているが、実際は周瑜亡き後、軍事だけでなく、外交でも実績のあった人物である。その魯粛に認められたのであるから、呂蒙も非凡な人物である。
 
その言葉に対して呂蒙が返したのが、もう一つの故事成語、「士別れて三日、即ち更に括目して相待すべし」である。日本では「男子三日会わざれば括目して見よ」という言葉になっている。「日々努力しているのだから、三日も会わなければ、強い関心を持って見よ」という意味である。
 
昨日は震災の話を書いたが、三日会わなければ人は変わるというのだから、二年もたてばその変化はもっと大きいであろう。
 
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