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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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高校野球準決勝

(春は認めていないので、わざわざ「夏の」とは付けませんが…
 それを言うと、「全国高校野球選手権大会」と書くべきかもしれません)

まあ、負けると話題にも上らないというか、
名前すら出てきませんね…。
手のひらを返したようなこの報道は…。

研究されると苦しいのでしょうか。
(打者だけでなく、投手も同じだと思いますけどね)

仙台育英の佐藤投手、二死満塁のピンチから
牽制でのアウトは見事でした。

清宮、オコエと注目の選手が甲子園を去って、
仙台育英と東海大相模の決勝となりましたが、
東北に縁のある身としては、仙台育英を応援しますか。
仕事中で中継が見られないとなんとも。

そして、私が応援すると負けるジンクス…。

北海道の駒大苫小牧が「真紅の大優勝旗」の白河越えを
やってしまいましたが(あれは最初喜んで後から泣きました)、
東北勢初の優勝を果たしてほしいですね。

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早稲田実業・清宮選手

大器は晩成するといいますから、まだ大物「感」としておきます。

甲子園での本戦前から騒がれていたのは知っていましたが、
本戦でも納得の活躍です。

バットスピードの速さは強靭な下半身のなせる業でしょうか。

実力は申し分ないと思うので、まだ一年生ですが、
慢心せずに努力を続けてほしいものです。

顔はお父さんに似ていますね。
まつげが長いのか、目に特徴があります。

さて、私が注目すると負けるジンクス。

三年間活躍してプロに行くのか、
誰かみたいに大学がピークでプロでは鳴かず飛ばず、
ということはないと思いたいのですが。


あれ、4月は調子のいいことを書いていたのに、
今年は7月で「終戦」ですか・・・

去年も・・・

中日ドラゴンズは8月、20敗目で
リーグの最多敗戦数記録タイですと、
負けた記録で話題になるとは、わはははは

と書いていますが・・・

明日から8月ですが、記録更新して
話題になるかもしれませんな・・・
ああ、ファン休みたい

「終戦」のタイトルは何度か使っていますが。

■ギリシャ
「盗人武田家弑」・・・「盗人たけだけしい」とは言ったもので、
「緊縮策は嫌」「追加支援はしてほしい」とは、
一般の家庭にたとえると、「支出は減らせない」「お金は借りたい」
といったところでしょうか。

もう少し賢いのかと思ったら、そんなことはなく、
やはり勤勉とは程遠い、屁理屈をこねるだけの怠惰な国民のようです。

ギリシャ一国、ユーロから脱退させればいいのですが
(ただし離脱させるルールがないとか)、
イタリア、スペイン、ポルトガル、と他にも弱った豚
(PIIGS、アイルランドも含まれていた)がいますからね。

事前の楽観的な見方がことごとく外れていくとなると、
この先どうなっていくのでしょうか。

地政学的には、ロシアやISにも近いですし、
欧米も簡単に見放すわけにはいかないのでしょうが。

ギリシャの債務問題はともかく、
日本はどうなのかと・・・。

■なでしこジャパン
アメリカとの決勝は完敗でした。
4年前はアメリカに勝って優勝していますが、
2年前の五輪では負けていますからね。
30試合以上対戦して、勝ったのは4年前の1勝のみ。

力の差は歴然でしたが、
2大会連続で決勝の舞台に立ち、
アメリカとの再戦で何か起こしてくれるのでは、
という期待を少なくとも国内においては持たせてくれたのは、
選手の頑張りと佐々木監督の采配でしょう。

某紙に「神算鬼謀」とまで書かれていましたが、
ここが限界だったとも言えます。
ふと連合艦隊司令長官の山本五十六を思い出しました。
沢村栄治

私が語るのもおこがましいのですが。

・昭和9年の日米野球では全日本の一員として、
 ベーブ・ルースやルー・ゲーリックと対戦。
 メジャー相手に9奪三振(試合は0対1で敗戦)
・その後、プロ野球(当時は「職業野球」と呼ばれていた)の
 東京巨人軍に入団、昭和11年(初年度)にはプロ野球初の
 ノーヒットノーランを記録
・出征すると手榴弾(野球のボールよりも3倍重かったという)を
 ひたすら投げさせられて肩を痛める。さらにマラリアにも感染
・戦地から二度戻るが、オーバースローで投げられず、
 肩に負担の少ないサイドスロー、さらにはアンダースローに転向
・三度戦地に赴くが、輸送船が撃沈されて戦死
・先発完投型の投手に贈られる沢村賞(沢村栄治賞)は彼の栄誉をたたえたもの

試合中の投球映像が発見されたのは今回が初だそうですが、
伝説の投手である沢村栄治の投球が見られるとは感動です。

昭和11年、プロ野球初の日本一決定戦の映像とのことですが、
踏み出す左足がまっすぐなのが印象に残りました。
いまの日ハムの大谷でもあそこまではいかないかも。

同じ年の二・二六事件や翌年からの日中戦争などの映像は
残っていますが、今回の映像は個人が撮った映像とのことで、
当時のメディアは映像を撮っていなかったのかな。
この頃は東京六大学野球など大学野球の方が
はるかに人気が高かったという面もあります。

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