兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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「獅子王」
刀の話。
土岐頼次 【ときよりつぐ】 天文十四(1545)-慶長十九(1614)
二郎、左馬助。号は見松。法名は宗卜。父は美濃守護土岐頼芸。母は六角定頼の娘。
兄頼栄(初名頼秀)が父の勘気を受けたため嫡子となるが、父と同じく美濃を追われて京に移り、さらに大和に赴いて松永久秀の多聞城に入った。天正十五年、秀吉に仕えて河内古市郡内に五百石を与えられた。
以下は『寛政重修諸家譜』の記載である。
慶長年中東照宮に拝謁し、本領を安堵しのち獅子王の剣を拝賜す。これそのかみ禁裏より源三位頼政にたまふところなるを、頼次同流たるをおぼしめさるるがゆへなり。
注1:土岐氏をさかのぼると源頼光に行きつく。頼光が酒呑童子を斬った刀が「童子切安綱」(国宝)、土蜘蛛を斬った刀が「膝丸」とされる。頼光は平安時代のゴーストバスターといった感がある。
注2:源頼政は頼光の四代後で、平治の乱では平清盛に味方し、従三位にまで昇進したことから、「源三位(げんざんみ)」と呼ばれた。のちに以仁王を擁して平家に反旗を翻すが、宇治平等院で戦死した。頼政が鵺(ぬえ)退治の褒美として天皇から賜ったのが「獅子王」(重文)である。
注3:土岐氏の祖は光信、あるいは光衡とされる。頼政の子孫ではないが、いずれも頼光の子孫で摂津源氏の流れであることから、同族として「獅子王」を与えられたようである。
注4:なお、「剣」は両刃(諸刃)であるが、ここでは厳密には区別して使っていない(広義の「剣」)
刀の話。
土岐頼次 【ときよりつぐ】 天文十四(1545)-慶長十九(1614)
二郎、左馬助。号は見松。法名は宗卜。父は美濃守護土岐頼芸。母は六角定頼の娘。
兄頼栄(初名頼秀)が父の勘気を受けたため嫡子となるが、父と同じく美濃を追われて京に移り、さらに大和に赴いて松永久秀の多聞城に入った。天正十五年、秀吉に仕えて河内古市郡内に五百石を与えられた。
以下は『寛政重修諸家譜』の記載である。
慶長年中東照宮に拝謁し、本領を安堵しのち獅子王の剣を拝賜す。これそのかみ禁裏より源三位頼政にたまふところなるを、頼次同流たるをおぼしめさるるがゆへなり。
注1:土岐氏をさかのぼると源頼光に行きつく。頼光が酒呑童子を斬った刀が「童子切安綱」(国宝)、土蜘蛛を斬った刀が「膝丸」とされる。頼光は平安時代のゴーストバスターといった感がある。
注2:源頼政は頼光の四代後で、平治の乱では平清盛に味方し、従三位にまで昇進したことから、「源三位(げんざんみ)」と呼ばれた。のちに以仁王を擁して平家に反旗を翻すが、宇治平等院で戦死した。頼政が鵺(ぬえ)退治の褒美として天皇から賜ったのが「獅子王」(重文)である。
注3:土岐氏の祖は光信、あるいは光衡とされる。頼政の子孫ではないが、いずれも頼光の子孫で摂津源氏の流れであることから、同族として「獅子王」を与えられたようである。
注4:なお、「剣」は両刃(諸刃)であるが、ここでは厳密には区別して使っていない(広義の「剣」)
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沢村栄治
私が語るのもおこがましいのですが。
・昭和9年の日米野球では全日本の一員として、
ベーブ・ルースやルー・ゲーリックと対戦。
メジャー相手に9奪三振(試合は0対1で敗戦)
・その後、プロ野球(当時は「職業野球」と呼ばれていた)の
東京巨人軍に入団、昭和11年(初年度)にはプロ野球初の
ノーヒットノーランを記録
・出征すると手榴弾(野球のボールよりも3倍重かったという)を
ひたすら投げさせられて肩を痛める。さらにマラリアにも感染
・戦地から二度戻るが、オーバースローで投げられず、
肩に負担の少ないサイドスロー、さらにはアンダースローに転向
・三度戦地に赴くが、輸送船が撃沈されて戦死
・先発完投型の投手に贈られる沢村賞(沢村栄治賞)は彼の栄誉をたたえたもの
試合中の投球映像が発見されたのは今回が初だそうですが、
伝説の投手である沢村栄治の投球が見られるとは感動です。
昭和11年、プロ野球初の日本一決定戦の映像とのことですが、
踏み出す左足がまっすぐなのが印象に残りました。
いまの日ハムの大谷でもあそこまではいかないかも。
同じ年の二・二六事件や翌年からの日中戦争などの映像は
残っていますが、今回の映像は個人が撮った映像とのことで、
当時のメディアは映像を撮っていなかったのかな。
この頃は東京六大学野球など大学野球の方が
はるかに人気が高かったという面もあります。
私が語るのもおこがましいのですが。
・昭和9年の日米野球では全日本の一員として、
ベーブ・ルースやルー・ゲーリックと対戦。
メジャー相手に9奪三振(試合は0対1で敗戦)
・その後、プロ野球(当時は「職業野球」と呼ばれていた)の
東京巨人軍に入団、昭和11年(初年度)にはプロ野球初の
ノーヒットノーランを記録
・出征すると手榴弾(野球のボールよりも3倍重かったという)を
ひたすら投げさせられて肩を痛める。さらにマラリアにも感染
・戦地から二度戻るが、オーバースローで投げられず、
肩に負担の少ないサイドスロー、さらにはアンダースローに転向
・三度戦地に赴くが、輸送船が撃沈されて戦死
・先発完投型の投手に贈られる沢村賞(沢村栄治賞)は彼の栄誉をたたえたもの
試合中の投球映像が発見されたのは今回が初だそうですが、
伝説の投手である沢村栄治の投球が見られるとは感動です。
昭和11年、プロ野球初の日本一決定戦の映像とのことですが、
踏み出す左足がまっすぐなのが印象に残りました。
いまの日ハムの大谷でもあそこまではいかないかも。
同じ年の二・二六事件や翌年からの日中戦争などの映像は
残っていますが、今回の映像は個人が撮った映像とのことで、
当時のメディアは映像を撮っていなかったのかな。
この頃は東京六大学野球など大学野球の方が
はるかに人気が高かったという面もあります。
集団的自衛権が憲法で許容される根拠に
砂川事件を持ち出すとは、政権も追い詰められているなあ。
(個別的自衛権と集団的自衛権を区別していないが、
区別すれば個別的自衛権の話で、集団的自衛権が許容される、
という解釈はおかしいし、そもそもそこが主題ではない)
参考人として呼んだ憲法学者三人が、
みな「違憲」と言ったあたりから微妙に空気が変わりだしたでしょうか。
マイナンバー法案は年金機構の情報流出であやしくなってきましたし
(担当大臣が影響がない、と言った時点で影響は不可避)、
労働者派遣法の改正は維新の党の支持で進みそうですが、
今度は維新の党の不協和音が表面化してきました。
数の力で無理矢理押し切らないところは、
巨大与党の理性なのか、良識なのか、
そんなものはないでしょうけど。
このへんでどこかの経済が傾くと、日本の株価にも影響が出て、
支持率にも影響が出たりするのかもしれません。
砂川事件を持ち出すとは、政権も追い詰められているなあ。
(個別的自衛権と集団的自衛権を区別していないが、
区別すれば個別的自衛権の話で、集団的自衛権が許容される、
という解釈はおかしいし、そもそもそこが主題ではない)
参考人として呼んだ憲法学者三人が、
みな「違憲」と言ったあたりから微妙に空気が変わりだしたでしょうか。
マイナンバー法案は年金機構の情報流出であやしくなってきましたし
(担当大臣が影響がない、と言った時点で影響は不可避)、
労働者派遣法の改正は維新の党の支持で進みそうですが、
今度は維新の党の不協和音が表面化してきました。
数の力で無理矢理押し切らないところは、
巨大与党の理性なのか、良識なのか、
そんなものはないでしょうけど。
このへんでどこかの経済が傾くと、日本の株価にも影響が出て、
支持率にも影響が出たりするのかもしれません。
刀剣女子ではありませんが、
国宝クラスの刀剣が見られる機会はそうそうないはなあ。
東京まで出張って見に行こうかな。
刀剣は写真を撮るものではなくて、
この目で見るものですからね。
(普通は撮影禁止ですし)
「見て楽しいの?」と言う人は
本物を見て、感じてほしいと思います。
国宝クラスの刀剣が見られる機会はそうそうないはなあ。
東京まで出張って見に行こうかな。
刀剣は写真を撮るものではなくて、
この目で見るものですからね。
(普通は撮影禁止ですし)
「見て楽しいの?」と言う人は
本物を見て、感じてほしいと思います。
大典太光世
「天下五剣」の一つである、
「大典太光世」を見てまいりました。
刀剣女子も少なからず見受けられましたよ。
大典太と書けば「おおてんた」、
大伝太と書けば「おおでんた」、
と読むのかもしれませんが、
一般的には大典太「おおでんた」でしょうか。
光世(みつよ)は刀工の名前です。
大典太光世の左右に太郎作正宗と富田郷(いずれも国宝)
が並べられていましたが、やはり中央の大典太が白眉でした。
長さはそれほど変わらないのですが、刃幅がある分、
他の二本よりも大きく見えました。
刃文も興味深かったのですが、
地肌にある独特の模様が美しかったです。
前田育徳会の所蔵品を中心に貴重な品々を見てきましたが、
刀剣のほかに興味を引いたのが書籍の類です。
自筆本や写本などが多数ありましたが、
時代が近い江戸時代の文書だから読めるということはなく、
平安時代の仏典(写経)の方が字が読めるとか。
写経する時は一字一字に心を込めますから、
続き字で何が書いてあるか読めない、
なんてことはなかったりします。
漢字自体が難しくて読めないことは普通にありますけどね。
そういうところは、釈文や大意を示してもらうとなおよかったかなと。
美術館の簡単な説明文は無味乾燥ですからね。
世界を広げるには自分で勉強するにしかずではあります。
刀剣それ自体や、刀剣にまつわる逸話を知りたいので、
刀剣関係がブームになっているいまがいい機会ですね。
「天下五剣」の一つである、
「大典太光世」を見てまいりました。
刀剣女子も少なからず見受けられましたよ。
大典太と書けば「おおてんた」、
大伝太と書けば「おおでんた」、
と読むのかもしれませんが、
一般的には大典太「おおでんた」でしょうか。
光世(みつよ)は刀工の名前です。
大典太光世の左右に太郎作正宗と富田郷(いずれも国宝)
が並べられていましたが、やはり中央の大典太が白眉でした。
長さはそれほど変わらないのですが、刃幅がある分、
他の二本よりも大きく見えました。
刃文も興味深かったのですが、
地肌にある独特の模様が美しかったです。
前田育徳会の所蔵品を中心に貴重な品々を見てきましたが、
刀剣のほかに興味を引いたのが書籍の類です。
自筆本や写本などが多数ありましたが、
時代が近い江戸時代の文書だから読めるということはなく、
平安時代の仏典(写経)の方が字が読めるとか。
写経する時は一字一字に心を込めますから、
続き字で何が書いてあるか読めない、
なんてことはなかったりします。
漢字自体が難しくて読めないことは普通にありますけどね。
そういうところは、釈文や大意を示してもらうとなおよかったかなと。
美術館の簡単な説明文は無味乾燥ですからね。
世界を広げるには自分で勉強するにしかずではあります。
刀剣それ自体や、刀剣にまつわる逸話を知りたいので、
刀剣関係がブームになっているいまがいい機会ですね。