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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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ネットが重い。つながりにくい。ウイルスにでも感染したか?


1日休むには2日分働けというのはわかりますが、

さらに休み明けに2日分働くというのはよくわかりません。

しかも2日連続です。


というくらい、今週は忙しく(だから暇な先週休んだのだが)、

10件書類を片付けたのに、次の日また10件書類が溜まっているという有り様でした。

1件30分くらい、高速で片付けますけどね。

今日の午後にはあらかた片付いて、定時に帰ってきました。

まだもう1件あるんだけど、届いてないんだよなあ。

締め切りを守れないというのは社会人として失格です。

本部に書類を送って終わりじゃないしね。

こちらで内容を確認して、不備があったり、

わからないところがあったりすれば、返しますし。

そのための余裕を持った「締切」なんですよ。

ギリギリに書類を出してきて、しかも不備だらけというのはどうしようもない。

お客さんからもらった書類を分析もせずにそのままつけてくるところとかね。

本部が審査しろってか!

本部は「支店の審査」を審査するところです。


で、次回はこれこれこうしてくださいね、とお願いするんだけど、

次回になってもやってないんだな。こういうのが頭に来ます。

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よほど前日に無理をしない限り、

次の日の日中に眠くなることはなくなったが、

熟睡しているという感じはいまだになかなか得られず、

夜中に2時間くらいで目が覚めるくらいの方が

寝ている(まだ寝られる)という実感がある。

今日などは朝の時間があまりにゆっくり過ぎて、

携帯の時計が壊れているのではないかと疑ったほどである。

連休で睡眠時間が狂ったためか。
「戦国人物紹介」番外編

本拠地の話・4-4


単身赴任はつらいよ
 
仮名遣い、漢字は適宜改めた(角川日本古典文庫による)
 
正月二十九日、御弓の者福田与一宿より火事出来。是偏に妻子を引越し候はぬ故回禄の由、御諚なされ、則、菅屋九右衛門御奉行として、御着到を付けさせられ、御改候の処、御弓衆六十人・御馬廻六十人、百二十人妻子越し候はぬ者一度に御折檻。御弓衆の内より火を出し申すに付いて、先曲事の旨上意にて、岐阜中将信忠公へ仰遣はされ、岐阜より御奉行出され、尾州に妻子置き申候御弓衆の私宅悉く御放火なされ、竹木迄伏(伐)せさせられ、これに依って、取物も取敢へず、百二十人の女房共安土へ越し申候。今度の過怠として、御構の南江の内に新道を築せられ、何れも御赦免候なり。
 
(天正六年、1578年)正月二十九日、弓衆の福田与一宅から火事が起こった。これは偏(ひとえ)に妻子を連れて(安土に)引越ししなかったための火事とのことで、信長は菅屋九右衛門(長頼)を奉行として人名を書き並べさせて、検分したところ、弓衆六十人、馬廻六十人、合計百二十人の者が妻子を連れてきておらず(要は単身赴任だった)、一斉にお叱りなされた。弓衆から火を出すのはけしからん(信長の直臣だから、か?)ということで、信忠(信長の嫡男、当時は岐阜城主)に使者を出し、岐阜から奉行を出して、尾張に妻子を置いていた弓衆の家をことごとく火を放ち、竹や木まで伐採してしまった。このため、妻子は取るものも取りあえず、弓衆・馬廻百二十人の妻は安土へ引っ越した。今回の罰として、安土城の構の南、琵琶湖の入り江に新道を築かせ、いずれもお許しになられた。
 
実は、火事(放火)というのは昔から罪が重い。現住建造物等放火罪の法定刑は死刑、無期懲役、5年以上の有期懲役と規定されており、殺人罪と同等である。理論上は、死者が出なくても、死刑になる可能性がある。
 
住んでいる人を殺すだけでなく、延焼によりほかの建物(人を含む)も燃える可能性があることから、傷害罪や傷害致死罪とは別に罪が定められているのである。
 
江戸の町は「火事と喧嘩は江戸の花」という言葉が残っているほど、火事が多かったが、ここでも放火は重罪とされ、放火犯は市中引き回しの上、火あぶりの刑に処された(失火の場合はこの限りではない)

日本一短い手紙として知られている本多重次の手紙も「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」である。
1862年、薩摩藩主島津忠義の父久光は兵を率いて上洛し、朝廷の威光を背景に幕府に幕政の改革を迫った。これがいわゆる文久の改革である。
 
これにより人事では一橋慶喜が将軍後見職に、松平春嶽が政治総裁職になった。また京都所司代とは別に京都守護職を新たに置き、松平容保をこの任に当てた。江戸時代には「守護」はなくなったため、守護職という名称は違和感がないではない(ただし、読みは室町時代の「しゅごしき」ではなく「しゅごしょく」である)
 
春嶽が会津の家訓を持ち出して守護職就任を迫ったのが事実かどうかは知らないが、会津藩には反対するものが多く、容保が家訓を持ち出したため、家臣たちも折れたという。
 
西田敏行(西郷頼母)が最後まで反対していたけど、これは後々の伏線かな。

ついに会津藩が中央の政争に巻き込まれていきます。そしてこれが幕末の悲劇へとつながっていくのです。

「たら、れば」の話になれば、ここで京都守護職就任を断っていれば、という話になるんだろうけど、御三家は除いて、御家門(徳川家の一族)で京都守護職を任せるだけの家柄と石高、そして兵力を持っている家というのは、それこそ越前(福井藩)と会津くらいしかいないんだよね。越前は春嶽が政治総裁職になっちゃうから、あと残るは容保しかいない。

すでに北方警備にお台場の警備など、ある意味都合のいいように使われていた会津では、主従が「これで会津藩は滅ぶ」と泣いたというが、京都守護職就任は会津が本当に滅びる寸前まで行ってしまうきっかけとなる。
「戦国人物紹介」番外編

コラム 本拠地の話・4-3


ここからは、信長の話を二つ挙げよう。
 
まずは清洲から本拠を移したときの話。
 
昔のブログで清洲から小牧に移ったやり方は「敵本主義」だと書いたことがある。明智光秀が「敵は本能寺にあり」と実際に言ったかどうかはともかく、この台詞はよく知られていて、そこから生まれたのが「敵本主義」という言葉である。「目的は他にあるように見せかけて、急に真の目的に向かうやり方(新明解)」のことを言う。

本能寺の変に明智方として参加した兵の覚書には「信長様を狙うとは夢にも思わなかった」「家康様を討つと思っていた」という記述がある(本城惣右衛門覚書)。最初から信長を目的としていることを表明しては、誰かが信長に通報する恐れがある。この部分を完全に秘匿して、信長襲殺に成功した光秀の、この部分における手腕は見事としか言いようがない。
 
引用は角川日本古典文庫『信長公記』より。適宜漢字を改めている。
 
首巻三十九 二宮山御こしあるべきの事
一、上総介信長、奇特なる御巧これあり。清洲と云ふ所は国中真中にて富貴の地なり。或時、御内衆悉く召列れられ、山中高山二の宮山へ御あがりなされ、此山にて御要害仰付けられ候はんと上意候て、皆々家宅引越し候へと御諚候て、爰の嶺かしこの谷谷を誰々こしらへ候へと御屋敷下さる。その日御帰り、又、重ねて御出であつて、弥(いよいよ)右の趣御諚候。此山中へ清洲の家宅引越すべき事、難儀の仕合なりと上下迷惑大形ならず。

 
信長には極めて優れた計画があった。清洲は尾張の中心にあって、経済的にも栄えた地であった。ある時(1563年七月以前)、信長は近い家来をみな連れて、高い山である二の宮山にのぼって、この山に城を築いて居城とすると言い始めた。みなみな引っ越すべしと決められて、この嶺、あそこの谷には誰々に屋敷を作らせると言われる。その日は帰ったが、また再び出かけて行って、先に言われたように決められた。この山の中へ清洲から引っ越すのは難儀なことだと、上も下も大混乱になった。
 
左候処、後に小牧山へ御越し候はんと仰出だされ候。小真木山(小牧山)へは、ふもとまで川つづきにて、資財・雑具取り候に自由の地にて候なり。どつと悦んでまかり越し候なり。是も始めより仰出だされ候はば、爰も迷惑同前たるべし。
 
そうしたところ、信長は今度は小牧山に移ると言い出された。小牧山はふもとまで川が続いていて、物資の運搬には便利な地である。みな喜んで小牧山へ移って行った。これも、最初から小牧山に移ると言っていたならば、(二の宮山に移ると言い出した時と同様に)混乱しただろう。
 
小牧山に移ることを考えていながら、引っ越しには抵抗があることを見越して、最初は不便な二の宮山への移転を言い出したことは、信長の優れたところであった、という話である。これこそ「敵本主義」と思うのだが、どうだろうか。
 
以後、敵対していた犬山城の織田信清を圧迫し、最後は追放した。そして美濃攻略へと進む。美濃へは清洲よりも小牧山からの方が近い。美濃を攻略した信長は岐阜に移り、小牧山は廃城となった。この地が再び脚光を浴びるのは、十七年後、小牧・長久手の戦いで家康が陣を置いた時である。
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