兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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サンデーモーニング(普段は見ない)
を見ていたら、先週の優駿牝馬(オークス)で
2着に敗れたハープスターは落鉄しかかっていたんですね。
落鉄がどこまで影響したかはわかりませんが、
装蹄師の人は悔いが残るでしょうね。
落鉄とは蹄鉄(ていてつ)がはずれることで、
蹄鉄は蹄(ひづめ)の保護のためにつける鉄でできたU字型の金具
のことです(鉄でない場合もある)。
普通は蹄にくぎで打ちつけますが(蹄には厚さがあるので痛くはない)
ディープインパクトのようにひづめが薄い場合、
特殊な接着剤で固定した例もあります。
「シンザン鉄」のように、蹄鉄に関する話は少なくありません。
要は、蹄のままだと足元に負担がかかりすぎるんですよね。
(蹄は柔らかい、あるいは、擦り減る)
レース直前に落鉄してそのまま走って敗れ、
「裸足のシンデレラ」と呼ばれたイソノルーブルを思い出しました。
ハープスターは札幌記念を使って、
成績にかかわらず、凱旋門賞に行くそうですから、楽しみです。
(本当に、故障しないことを祈ります)
を見ていたら、先週の優駿牝馬(オークス)で
2着に敗れたハープスターは落鉄しかかっていたんですね。
落鉄がどこまで影響したかはわかりませんが、
装蹄師の人は悔いが残るでしょうね。
落鉄とは蹄鉄(ていてつ)がはずれることで、
蹄鉄は蹄(ひづめ)の保護のためにつける鉄でできたU字型の金具
のことです(鉄でない場合もある)。
普通は蹄にくぎで打ちつけますが(蹄には厚さがあるので痛くはない)
ディープインパクトのようにひづめが薄い場合、
特殊な接着剤で固定した例もあります。
「シンザン鉄」のように、蹄鉄に関する話は少なくありません。
要は、蹄のままだと足元に負担がかかりすぎるんですよね。
(蹄は柔らかい、あるいは、擦り減る)
レース直前に落鉄してそのまま走って敗れ、
「裸足のシンデレラ」と呼ばれたイソノルーブルを思い出しました。
ハープスターは札幌記念を使って、
成績にかかわらず、凱旋門賞に行くそうですから、楽しみです。
(本当に、故障しないことを祈ります)
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土曜日の情報7daysで、
ドバイからの観光客を呼び込むために、
ハラール(ハラル)の話が出ていました。
(単に食べてはいけないということだけではなく、
食べる以前の処理法などにも細かい決まりがある)
イギリスでもハラールの件が話題になっているとか。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/bradymikako/20140523-00035595/
日本人(とひとくくりにして書いてしまうけど)はどう思うんでしょうかね。
文章の内容はともかく、自分もこれくらいの長さ、展開の文章が書ければと思います。
最後に風刺が効いているのもいいですね。
ドバイからの観光客を呼び込むために、
ハラール(ハラル)の話が出ていました。
(単に食べてはいけないということだけではなく、
食べる以前の処理法などにも細かい決まりがある)
イギリスでもハラールの件が話題になっているとか。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/bradymikako/20140523-00035595/
日本人(とひとくくりにして書いてしまうけど)はどう思うんでしょうかね。
文章の内容はともかく、自分もこれくらいの長さ、展開の文章が書ければと思います。
最後に風刺が効いているのもいいですね。
原貢(はらみつぐ)さんが亡くなられましたね。
巨人の原辰徳監督の父で、同じく巨人の菅野智之投手の祖父に当たります。
(菅野投手は原監督の甥)
福岡県の三池工業高校の野球部監督として、
昭和40年(1965年)の夏の甲子園に初出場初優勝。
翌年、神奈川県の東海大相模高校の監督となって、
春夏合わせて8回の甲子園出場、
昭和45年の夏には優勝しています。
昭和49年には長男の原辰徳が東海大相模に入学し、
翌年の春のセンバツで準優勝し、
「親子鷹(おやこだか)」として話題となりました。
(この時は親子の関係を一切絶ち、厳しい指導をした)
その後は東海大の監督を務めました。
平成23年(2011年)のドラフトで、日ハムが菅野を強行指名して
交渉権を獲得すると激怒、菅野を浪人させることにしましたが、
「日ハムからのあいさつが一言もなかったのは人権蹂躙」
「あいさつもなしに指名するのは、だまし討ち」
などと憤った一連の発言は物議をかもしました。
今年になってから、神奈川県内の入院した貢氏を、
原監督が遠征先の名古屋から急遽戻って
病院へ向かったこともありました(5月5日)。
この間、川相ヘッドコーチが指揮を執りましたが、
野球選手(監督なども含めて)と言えば(野球に限らず)、
各地を転戦して試合をしており、「親の死に目には会えない」
のが普通と言われたもので、この行動には批判もありました。
まあ、交通や通信の発達もあるでしょうから、
かつてとは状況が違うのかもしれませんが、
選手に示しがつくのかなとは感じました。
指導者として多くの実績を残した人でした。
ご冥福をお祈りします。
巨人の原辰徳監督の父で、同じく巨人の菅野智之投手の祖父に当たります。
(菅野投手は原監督の甥)
福岡県の三池工業高校の野球部監督として、
昭和40年(1965年)の夏の甲子園に初出場初優勝。
翌年、神奈川県の東海大相模高校の監督となって、
春夏合わせて8回の甲子園出場、
昭和45年の夏には優勝しています。
昭和49年には長男の原辰徳が東海大相模に入学し、
翌年の春のセンバツで準優勝し、
「親子鷹(おやこだか)」として話題となりました。
(この時は親子の関係を一切絶ち、厳しい指導をした)
その後は東海大の監督を務めました。
平成23年(2011年)のドラフトで、日ハムが菅野を強行指名して
交渉権を獲得すると激怒、菅野を浪人させることにしましたが、
「日ハムからのあいさつが一言もなかったのは人権蹂躙」
「あいさつもなしに指名するのは、だまし討ち」
などと憤った一連の発言は物議をかもしました。
今年になってから、神奈川県内の入院した貢氏を、
原監督が遠征先の名古屋から急遽戻って
病院へ向かったこともありました(5月5日)。
この間、川相ヘッドコーチが指揮を執りましたが、
野球選手(監督なども含めて)と言えば(野球に限らず)、
各地を転戦して試合をしており、「親の死に目には会えない」
のが普通と言われたもので、この行動には批判もありました。
まあ、交通や通信の発達もあるでしょうから、
かつてとは状況が違うのかもしれませんが、
選手に示しがつくのかなとは感じました。
指導者として多くの実績を残した人でした。
ご冥福をお祈りします。
タイやエジプトを見ていると、
軍政(エジプトの場合はムバラク政権時代)の方が
よかったのでは、と思ってしまいます。
タイは都市部と農村部の対立が収まりませんし、
エジプトは観光業中心の経済が崩壊しています。
少なくとも国民を食わせる、という根本的な部分では
軍政期の方がすぐれていたのではと思ってしまいます。
(もちろんすぐれていた部分ばかりではない)
民主主義ももっともすぐれた政体ではないのですが、
市民が責任を取る(自分たちのことを自分たちで決める)
という点において、独裁よりも「すぐれている」のであって、
どちらも欠点がないわけではないので、
要するに、他方よりは「マシ」という話でしかありません。
軍政のような独裁(一人とは限らない・・・寡頭制)から
民主主義に移っていく過渡期というのはあるのでしょうが、
民主主義の担い手である「市民」が育っていない状態では、
この現代だと、過渡期で経済が壊滅的な打撃を受けてしまって、
民主主義どころではなくなってしまうのではないでしょうか。
衣食足りて栄辱を知る、ではありませんが、
まず衣食住が安定しなければ、
政治どころの話ではありません。
日本の場合は、江戸時代から明治維新を経ましたが、
江戸時代は封建制となるのでしょうが、
幕府が独裁だったわけでも、
中央集権だったわけでもありません。
維新後は藩閥による寡頭制となり、
大正期には大正デモクラシーが起こりましたが、
結局は軍部や官僚、メディアも戦争に突き進んで敗戦となります。
与えられた「民主主義」を受け入れるのですが、
さて、担い手となる「市民」は存在するのでしょうか。
利益(既得権益)を代表する人が選ばれる点では、
江戸時代も現代も変わりはないのではないでしょうか。
あるいは政府の存在が大きいという意味では、
社会主義に近いのかもしれません。
(対義語というわけではない)
蛇足ですが、
「民族主義」も必ずしも尊重すべきとは思わないんですよね。
「同じ民族(民族の定義があいまい)」は
団結するのかもしれませんが、
もう一つの側面として、他の民族を排除する部分があります。
ナショナリズム(民族主義と完全にイコールではない)の高揚が
19世紀(早くは18世紀)以降の戦争に結びついていますが、
それ以前のオーストリアやトルコ(オスマン帝国)などの帝国は
多民族国家(さらには多宗教国家)として存在していたんですよね。
(どちらの帝国も第一次世界大戦後に解体、消滅)
民族や宗教の違いで争う現代において、
参考にすべき点は少なくないと思います。
軍政(エジプトの場合はムバラク政権時代)の方が
よかったのでは、と思ってしまいます。
タイは都市部と農村部の対立が収まりませんし、
エジプトは観光業中心の経済が崩壊しています。
少なくとも国民を食わせる、という根本的な部分では
軍政期の方がすぐれていたのではと思ってしまいます。
(もちろんすぐれていた部分ばかりではない)
民主主義ももっともすぐれた政体ではないのですが、
市民が責任を取る(自分たちのことを自分たちで決める)
という点において、独裁よりも「すぐれている」のであって、
どちらも欠点がないわけではないので、
要するに、他方よりは「マシ」という話でしかありません。
軍政のような独裁(一人とは限らない・・・寡頭制)から
民主主義に移っていく過渡期というのはあるのでしょうが、
民主主義の担い手である「市民」が育っていない状態では、
この現代だと、過渡期で経済が壊滅的な打撃を受けてしまって、
民主主義どころではなくなってしまうのではないでしょうか。
衣食足りて栄辱を知る、ではありませんが、
まず衣食住が安定しなければ、
政治どころの話ではありません。
日本の場合は、江戸時代から明治維新を経ましたが、
江戸時代は封建制となるのでしょうが、
幕府が独裁だったわけでも、
中央集権だったわけでもありません。
維新後は藩閥による寡頭制となり、
大正期には大正デモクラシーが起こりましたが、
結局は軍部や官僚、メディアも戦争に突き進んで敗戦となります。
与えられた「民主主義」を受け入れるのですが、
さて、担い手となる「市民」は存在するのでしょうか。
利益(既得権益)を代表する人が選ばれる点では、
江戸時代も現代も変わりはないのではないでしょうか。
あるいは政府の存在が大きいという意味では、
社会主義に近いのかもしれません。
(対義語というわけではない)
蛇足ですが、
「民族主義」も必ずしも尊重すべきとは思わないんですよね。
「同じ民族(民族の定義があいまい)」は
団結するのかもしれませんが、
もう一つの側面として、他の民族を排除する部分があります。
ナショナリズム(民族主義と完全にイコールではない)の高揚が
19世紀(早くは18世紀)以降の戦争に結びついていますが、
それ以前のオーストリアやトルコ(オスマン帝国)などの帝国は
多民族国家(さらには多宗教国家)として存在していたんですよね。
(どちらの帝国も第一次世界大戦後に解体、消滅)
民族や宗教の違いで争う現代において、
参考にすべき点は少なくないと思います。
外交は素人が口出しするものではない、と思っています。
外交とは権謀術数の支配するところで、
国の利益を背負って交渉が行われるますから、
感情が先に立っては交渉はできません。
好きとか嫌いの世界ではありません。
もちろん、だましだまされるだけでは、
相手と信頼関係は醸成できませんし、
信なくば立たず、ですから、
国民の支持は必要ではあります。
「玄人」だけでできるものでもありません。
その意味で、もちろん意見を言うのは構わないのですが
(むしろ言うべきである)、
メディアにおいて、
拉致被害者家族のコメントが、
外交官を含む政治家の発言などと
同様に並べられているのは違和感があります。
外交とは権謀術数の支配するところで、
国の利益を背負って交渉が行われるますから、
感情が先に立っては交渉はできません。
好きとか嫌いの世界ではありません。
もちろん、だましだまされるだけでは、
相手と信頼関係は醸成できませんし、
信なくば立たず、ですから、
国民の支持は必要ではあります。
「玄人」だけでできるものでもありません。
その意味で、もちろん意見を言うのは構わないのですが
(むしろ言うべきである)、
メディアにおいて、
拉致被害者家族のコメントが、
外交官を含む政治家の発言などと
同様に並べられているのは違和感があります。