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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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「戦国人物紹介」

049 丸目長恵 【まるめながよし】 1540-1629

 
兵法家。丸目蔵人。蔵人佐(くらんどのすけ)、石見守。号は徹斎。東の柳生新陰流と並ぶ、西のタイ捨流兵法の創始者。信長の野望「覇王伝」で相良氏にやたらと戦闘能力の高い家臣がいるなと思ったがこの人である。
 
肥後八代郡人吉に生まれる。十九歳で上洛して剣聖・上泉伊勢守秀綱(信綱)に新陰流を学んだ。信綱が足利義輝の前で兵法を上覧した時、信綱の相手として打太刀を務めたという。二十八歳で印可状を得た。
 
肥後に帰国するが、島津家久と戦った時に不始末があって敗戦、相良義陽の不興を買って一時逼塞する。長毎(頼房)の代に復帰し、その後は九州一円にタイ捨流を広めた。タイ捨流は示現流兵法の祖である東郷肥前守重位(ちゅうい)にも受け継がれている。
 
長恵は武芸十八般に通じただけでなく、書も青蓮宮の免許の腕前であった。隠居所として与えられた切原野で隠居生活を送った。1629年没、法名は雲山春龍居士。

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