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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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神保雪(雪子)ね…。当然出るよね。


綾野剛の松平容保は相変わらずいいですね。

孝明天皇は随分と容保のことを信任しておられて、

のちの八月十八日の政変で長州藩の勢力を排除した働きを認めて、

宸翰(しんかん、天皇自筆の文書)と御製(ぎょせい、和歌)を与えられました。

容保はこれを竹筒に入れ、死ぬまで誰にも見せることはありませんでした。

孝明天皇の死後、朝敵とされて討伐を受けるとは、さぞ無念であったでしょう。


宸翰と御製を誰にも見せず、会津戦争のことも語ることはなかった

容保の秘めた思いというか、覚悟といいますかね、

そういうものに心を揺さぶられますね。


孝明天皇は公武合体的な姿勢を持ち続けますが、

「尊王討幕」の中心である天皇自身が幕府との協調を志向しているのですから、

討幕派には次第に天皇自身の存在が邪魔なものとなります。

1866年に三十代の若さで亡くなりますが、いまもなお毒殺説があります。
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