兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
島津氏は三月に書いて、四月から信長編にしようかと考えています。
信長編と言っても、いままでの信玄や謙信のように、
何回かで事績や逸話を紹介するのではなく、
その時々の家臣たちを取り上げながら、
全体で信長の事跡がわかるような構成になればと考えています。
三十人くらいにしたいと思っていますが、もうちょっと増やすかもしれません。
さて、それは先の話なのでさておき。
島津氏を書いていて、島津氏の見出しに「鎌倉時代から幕末まで続く名門中の名門」と
書いてみましたが、どうもしっくりきません。
維新後は公爵になりましたし(ほかにも分家多数)、現代にも続いています。
「名門中の名門」と書くのもやや躊躇します。
日本の名門となると、天皇家の子孫か、四姓(源平藤橘)ということになりますが、
島津氏はいずれにもあてはまりません(頼朝の庶子を称してはいるが後世の自称に過ぎない)
とはいえ、将軍家の御台所を出していますし、皇室とも縁があります。
維新後に島津久光が「わしはいつ将軍になれるのだ」と言ったという話は
俗説にしておくには惜しいよくできた話。
信長編と言っても、いままでの信玄や謙信のように、
何回かで事績や逸話を紹介するのではなく、
その時々の家臣たちを取り上げながら、
全体で信長の事跡がわかるような構成になればと考えています。
三十人くらいにしたいと思っていますが、もうちょっと増やすかもしれません。
さて、それは先の話なのでさておき。
島津氏を書いていて、島津氏の見出しに「鎌倉時代から幕末まで続く名門中の名門」と
書いてみましたが、どうもしっくりきません。
維新後は公爵になりましたし(ほかにも分家多数)、現代にも続いています。
「名門中の名門」と書くのもやや躊躇します。
日本の名門となると、天皇家の子孫か、四姓(源平藤橘)ということになりますが、
島津氏はいずれにもあてはまりません(頼朝の庶子を称してはいるが後世の自称に過ぎない)
とはいえ、将軍家の御台所を出していますし、皇室とも縁があります。
維新後に島津久光が「わしはいつ将軍になれるのだ」と言ったという話は
俗説にしておくには惜しいよくできた話。
PR
この記事にコメントする