兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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『昭和天皇 第六部』(福田和也、文芸春秋)と『戦後史の正体』(孫崎享、創元社)を買いました。
『昭和天皇』は文芸春秋での連載は終了(以後はウェブで独立回復までを書くらしい)、第六部で完結ということでしょうか。終戦までを描きます。
『戦後史の正体』は「アメリカからの圧力」を軸に戦後史を読み解くというものです。著者自身「変わった本かもしれません」と書いていますが、私にはあまり違和感がありません。日本の戦後は常にアメリカの有形、無形の圧力にさらされてきました。現在は民主党政権がアメリカとの同盟を軽視し、中韓にこびへつらう外交を展開しているため、中韓に付け込まれる隙を与えてしまいました。
先帝陛下(昭和天皇)という方はたいへん偉大な方で、私は日本史における最後の偉人(最後の歴史上の人物、と言い換えてもよい)だと思っています。テレビに映るのは飄々とした人物像ですが、二度の大きな決断を成しています。一つは二・二六事件、決起して大臣らを暗殺した将校たちを「反乱軍」と断定し、鎮圧させています。この決断がなければ軍部によるクーデターが成功していました。しかし、軍部の発言力はこのあとも増大し、アメリカとの開戦に至ります。アメリカとの戦争により日本の国土は焦土と化しますが、軍部は戦争を継続するつもりでした。二つ目の決断はポツダム宣言受諾の決断です。これがなければ日本国内が敗戦を受け入れず、いつまで戦争が続いたかわかりません。戦争は、始めるよりも終わらせる方が難しいのです(全員、全構成員を殺すのならともかく、戦争の最終目的は「講和」である、そしてこれは「政治」である)
『戦後史の正体』に話を戻します。私はいわゆる「陰謀史観」には与しませんが、陰謀の存在までは否定しません。特に外交においては、表に知られないような陰謀がつきものです。それは過去も現在も変わりません。戦後史においても、アメリカ(だけではない)の陰謀は存在しています。
第一章について少し触れます。まずは「終戦」の話から。私は極力この言葉を使わないようにしていますが(使う時はあえて使っている)、第二次世界大戦が終わったのは、1945年8月15日ではありません。9月2日、アメリカの戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印した時が、日本が「敗戦」した時です。「終戦」というあいまいな言葉を使って、「無条件降伏」をしたことから目をそらしてはなりません。
阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣の自刃については私も同じ意見です。この人にはいろいろな評価があって、最近は見直されている感があります(軍部の暴走をとどめた、と見ることができなくもない)。とはいえ、遺書には「一死をもって大罪を謝し奉る」とありますが、「一死」では「大罪」をつぐなうことはできません。この人が生きて戦争責任を取れば、救われた命があったかもしれません。責任放棄という見方もできます。繰り返しますが、腹を切って済む話ではありません(A級戦犯はよく知られているが、B・C級戦犯が1万人以上いたという話はあまり知られていない)。
しかし、この先を読んでいくと、占領政策についてもっと衝撃的なことがいろいろと書かれています。
ただなあ、内容はともかく、本の書き方として、自説に都合のいい文章ばかりを引用しているという印象は拭えないんだよなあ。
『昭和天皇』は文芸春秋での連載は終了(以後はウェブで独立回復までを書くらしい)、第六部で完結ということでしょうか。終戦までを描きます。
『戦後史の正体』は「アメリカからの圧力」を軸に戦後史を読み解くというものです。著者自身「変わった本かもしれません」と書いていますが、私にはあまり違和感がありません。日本の戦後は常にアメリカの有形、無形の圧力にさらされてきました。現在は民主党政権がアメリカとの同盟を軽視し、中韓にこびへつらう外交を展開しているため、中韓に付け込まれる隙を与えてしまいました。
先帝陛下(昭和天皇)という方はたいへん偉大な方で、私は日本史における最後の偉人(最後の歴史上の人物、と言い換えてもよい)だと思っています。テレビに映るのは飄々とした人物像ですが、二度の大きな決断を成しています。一つは二・二六事件、決起して大臣らを暗殺した将校たちを「反乱軍」と断定し、鎮圧させています。この決断がなければ軍部によるクーデターが成功していました。しかし、軍部の発言力はこのあとも増大し、アメリカとの開戦に至ります。アメリカとの戦争により日本の国土は焦土と化しますが、軍部は戦争を継続するつもりでした。二つ目の決断はポツダム宣言受諾の決断です。これがなければ日本国内が敗戦を受け入れず、いつまで戦争が続いたかわかりません。戦争は、始めるよりも終わらせる方が難しいのです(全員、全構成員を殺すのならともかく、戦争の最終目的は「講和」である、そしてこれは「政治」である)
『戦後史の正体』に話を戻します。私はいわゆる「陰謀史観」には与しませんが、陰謀の存在までは否定しません。特に外交においては、表に知られないような陰謀がつきものです。それは過去も現在も変わりません。戦後史においても、アメリカ(だけではない)の陰謀は存在しています。
第一章について少し触れます。まずは「終戦」の話から。私は極力この言葉を使わないようにしていますが(使う時はあえて使っている)、第二次世界大戦が終わったのは、1945年8月15日ではありません。9月2日、アメリカの戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印した時が、日本が「敗戦」した時です。「終戦」というあいまいな言葉を使って、「無条件降伏」をしたことから目をそらしてはなりません。
阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣の自刃については私も同じ意見です。この人にはいろいろな評価があって、最近は見直されている感があります(軍部の暴走をとどめた、と見ることができなくもない)。とはいえ、遺書には「一死をもって大罪を謝し奉る」とありますが、「一死」では「大罪」をつぐなうことはできません。この人が生きて戦争責任を取れば、救われた命があったかもしれません。責任放棄という見方もできます。繰り返しますが、腹を切って済む話ではありません(A級戦犯はよく知られているが、B・C級戦犯が1万人以上いたという話はあまり知られていない)。
しかし、この先を読んでいくと、占領政策についてもっと衝撃的なことがいろいろと書かれています。
ただなあ、内容はともかく、本の書き方として、自説に都合のいい文章ばかりを引用しているという印象は拭えないんだよなあ。
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