兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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昨日の大河ドラマ「八重の桜」はみんな見ていないのかな?
要所にいい役者さんが配されていますので、土曜日の再放送でぜひ。
ツイッターで山本五十六(いそろく)連合艦隊司令長官の話をしたら、
何人かの人からリツイートされたので補足(昨日の映画は見ていませんw)
赤穂浪士の討ち入りは義挙とは思いませんし(彼らには公の義がない、
あるのは私的な義である。吉良が浅野を切ったのではない)、
討ち入りは私的制裁(テロと言ってもいい)に過ぎません。
幕府との関係で大衆がどう思ったかはまた別の話です。
ただ、広大な屋敷に討ち入って、一人も欠けることなく、
吉良の首を取るという最大の目的を達した点については壮挙だったと思います。
相手も討ち入りを予想する中で、計画的に目的を遂行したと思います。
さて、山本長官の撃墜ですが、これも米軍による「暗殺」と言ってもいいんですよね。
山本五十六の話を始めると、戊辰戦争(北越戦争)までさかのぼってしまうので、
それはまた別の機会にしたいと思いますが、もとは高野五十六という名前でした。
米軍との開戦には反対していましたが、
太平洋戦争では緒戦の真珠湾攻撃(米軍も予期していた攻撃をあえて「奇襲」とは言わないが)で
戦果を挙げます。「成功」と言うべきかは迷いますが(最後は結局戦争に負けるからね)
ミッドウェー海戦には参加していません。
それから前線視察に行くところを、米軍に暗号を傍受、解読されて、襲撃されてしまいます。
連合艦隊、船の指揮官が一式陸攻(一式陸上攻撃機)に乗って
前線に行くというのもよくわかりませんが(陸攻に乗ったことじゃなくてね)
一式陸攻と言えば、防弾性能が弱く(この機に限ったことではないが)、
「ワンショットライター」(一発で火が着くライター)と言われたほどです(誰が言ったかは諸説ある)
で、ツイートの話ですが、連合艦隊司令長官が前線に出てきたところを逃さず、
襲撃できるような米軍に勝てるわけがないんですよね。
米軍(ニミッツ)は山本を殺しても、山本より優れた司令官が出てくる可能性はない、
とそこまで判断して襲撃計画を実行させているんですよね。
(もし山本よりも優秀な司令官が出てくるなら、山本を殺さずにそのまま指揮させておけばよい)
作戦のレベルにしろ、考えているレベルにしろ、全然違うわけですよ。
(山本個人の能力を批評しているわけではありません)
要所にいい役者さんが配されていますので、土曜日の再放送でぜひ。
ツイッターで山本五十六(いそろく)連合艦隊司令長官の話をしたら、
何人かの人からリツイートされたので補足(昨日の映画は見ていませんw)
赤穂浪士の討ち入りは義挙とは思いませんし(彼らには公の義がない、
あるのは私的な義である。吉良が浅野を切ったのではない)、
討ち入りは私的制裁(テロと言ってもいい)に過ぎません。
幕府との関係で大衆がどう思ったかはまた別の話です。
ただ、広大な屋敷に討ち入って、一人も欠けることなく、
吉良の首を取るという最大の目的を達した点については壮挙だったと思います。
相手も討ち入りを予想する中で、計画的に目的を遂行したと思います。
さて、山本長官の撃墜ですが、これも米軍による「暗殺」と言ってもいいんですよね。
山本五十六の話を始めると、戊辰戦争(北越戦争)までさかのぼってしまうので、
それはまた別の機会にしたいと思いますが、もとは高野五十六という名前でした。
米軍との開戦には反対していましたが、
太平洋戦争では緒戦の真珠湾攻撃(米軍も予期していた攻撃をあえて「奇襲」とは言わないが)で
戦果を挙げます。「成功」と言うべきかは迷いますが(最後は結局戦争に負けるからね)
ミッドウェー海戦には参加していません。
それから前線視察に行くところを、米軍に暗号を傍受、解読されて、襲撃されてしまいます。
連合艦隊、船の指揮官が一式陸攻(一式陸上攻撃機)に乗って
前線に行くというのもよくわかりませんが(陸攻に乗ったことじゃなくてね)
一式陸攻と言えば、防弾性能が弱く(この機に限ったことではないが)、
「ワンショットライター」(一発で火が着くライター)と言われたほどです(誰が言ったかは諸説ある)
で、ツイートの話ですが、連合艦隊司令長官が前線に出てきたところを逃さず、
襲撃できるような米軍に勝てるわけがないんですよね。
米軍(ニミッツ)は山本を殺しても、山本より優れた司令官が出てくる可能性はない、
とそこまで判断して襲撃計画を実行させているんですよね。
(もし山本よりも優秀な司令官が出てくるなら、山本を殺さずにそのまま指揮させておけばよい)
作戦のレベルにしろ、考えているレベルにしろ、全然違うわけですよ。
(山本個人の能力を批評しているわけではありません)
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奥田瑛二の佐久間象山もよかったね。あれなら暗殺されそうだ(笑)
18時からのBSプレミアムでオープニングを見逃したので、20時から総合でおかわり。
大河ドラマで「南北戦争」やるのか?! と思いましたが(ちょっと戦闘シーンが長かった)、
これがきっと、のちの重要な布石になるのでしょう。
大砲で撃たれてボロボロになる若松城。泣ける。
そして、松平容保でもう一回泣く。どんだけ好きなのか。
もうすでに悲劇フラグが立っていますね。
西郷頼母(たのも、名は近悳、ちかのり)はどう描かれるのか。
ちなみに、頼母は頼母助からの通称。
1830年生まれなので、黒船来航の頃にはまだ二十代です(笑)
一族はまあ、あれあれなのですが(ネタバレなので書けない)、
本人はどう評価されるのでしょうか。
佐川官兵衛は「鬼官兵衛」と言われましたが、どこまで描くのか。
二人とも、西郷隆盛との関連でどう描かれるのかも興味深いところです。
そう考えると、西南戦争って、会津からしたら、薩摩に対する復讐戦なんですよね。
(おかわりのおかわり)
西郷頼母は三河西郷氏の出ですが、三河西郷氏からは西郷局が出ています。
家康の側室で、秀忠の母となった女性です。
徳川宗家とまったく縁がないとも言えません。
三河西郷氏は南朝方として有名な菊池氏の子孫を称していますが、
薩摩の西郷さんも菊池の血を引いているという説があり、
西郷頼母と西郷隆盛は遠い親戚だったのかもしれません。
面識があったようですが、本人たちはどう思っていたのでしょうか。
18時からのBSプレミアムでオープニングを見逃したので、20時から総合でおかわり。
大河ドラマで「南北戦争」やるのか?! と思いましたが(ちょっと戦闘シーンが長かった)、
これがきっと、のちの重要な布石になるのでしょう。
大砲で撃たれてボロボロになる若松城。泣ける。
そして、松平容保でもう一回泣く。どんだけ好きなのか。
もうすでに悲劇フラグが立っていますね。
西郷頼母(たのも、名は近悳、ちかのり)はどう描かれるのか。
ちなみに、頼母は頼母助からの通称。
1830年生まれなので、黒船来航の頃にはまだ二十代です(笑)
一族はまあ、あれあれなのですが(ネタバレなので書けない)、
本人はどう評価されるのでしょうか。
佐川官兵衛は「鬼官兵衛」と言われましたが、どこまで描くのか。
二人とも、西郷隆盛との関連でどう描かれるのかも興味深いところです。
そう考えると、西南戦争って、会津からしたら、薩摩に対する復讐戦なんですよね。
(おかわりのおかわり)
西郷頼母は三河西郷氏の出ですが、三河西郷氏からは西郷局が出ています。
家康の側室で、秀忠の母となった女性です。
徳川宗家とまったく縁がないとも言えません。
三河西郷氏は南朝方として有名な菊池氏の子孫を称していますが、
薩摩の西郷さんも菊池の血を引いているという説があり、
西郷頼母と西郷隆盛は遠い親戚だったのかもしれません。
面識があったようですが、本人たちはどう思っていたのでしょうか。
第1回は子役の鈴木梨央さんの演技が光ったのではないでしょうか。
松平容保(かたもり)役の綾野剛は結構本物に似ている(笑)
方言はあまり違和感ありませんでした(大河ドラマは字幕入れて見ますけど)
だけど、会津は戊辰戦争の敗者だから、いっぱい死ぬんだよね、きっと。
幕末と維新後と、どれくらいの配分でやるんだろう。
http://naraku.or-hell.com/Entry/455/
http://naraku.or-hell.com/Entry/372/
会津については何度か書いていますが、いいですね。
松平容保だけで泣けます。
初代は保科正之ですが、この人は恐妻家だった秀忠の隠し子。
(正妻はご存じ、「お江」さんですね)
会津藩主となりますが、この家は神道なんですね。
保科正之は土津(はにつ)霊神という神号を持ちます。
第1回で「土津公」と出るのがそれです。
御家訓(ごかきん)十五箇条を定めていますが、第一条は次のようになっています。
(第1回にも登場した)
一、大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。
若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず 面々決して従うべからず。
大君(将軍、幕府のこと)に忠義を尽くし、他国の例は参考にしてはならない(幕府は絶対である)
もしこれに背くようなことがあれば、自分の子孫ではないから、家臣であっても従ってはならない。
会津藩は江戸時代においてこの家訓を忠実に守り、
常に臨戦態勢を取っていたという、ある意味、特殊な藩です。
(徳川一門だからできたというところもある)
それゆえに、幕末の京を守護するという任を与えられ、
そしてそれが幕末の悲劇へとつながっていくのですが。
松平容保(かたもり)役の綾野剛は結構本物に似ている(笑)
方言はあまり違和感ありませんでした(大河ドラマは字幕入れて見ますけど)
だけど、会津は戊辰戦争の敗者だから、いっぱい死ぬんだよね、きっと。
幕末と維新後と、どれくらいの配分でやるんだろう。
http://naraku.or-hell.com/Entry/455/
http://naraku.or-hell.com/Entry/372/
会津については何度か書いていますが、いいですね。
松平容保だけで泣けます。
初代は保科正之ですが、この人は恐妻家だった秀忠の隠し子。
(正妻はご存じ、「お江」さんですね)
会津藩主となりますが、この家は神道なんですね。
保科正之は土津(はにつ)霊神という神号を持ちます。
第1回で「土津公」と出るのがそれです。
御家訓(ごかきん)十五箇条を定めていますが、第一条は次のようになっています。
(第1回にも登場した)
一、大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。
若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず 面々決して従うべからず。
大君(将軍、幕府のこと)に忠義を尽くし、他国の例は参考にしてはならない(幕府は絶対である)
もしこれに背くようなことがあれば、自分の子孫ではないから、家臣であっても従ってはならない。
会津藩は江戸時代においてこの家訓を忠実に守り、
常に臨戦態勢を取っていたという、ある意味、特殊な藩です。
(徳川一門だからできたというところもある)
それゆえに、幕末の京を守護するという任を与えられ、
そしてそれが幕末の悲劇へとつながっていくのですが。
「隠居料五万石」って、領地をもらうのではなく、五万石相当の米か金をもらうものだと思っていましたが、実際に領地をもらう例もあるんですね。たとえば浅野長政(常陸真壁)、それから堀尾吉晴(越前府中)。全部は調べる気にならないのですいません。小早川隆景も筑前国内に隠居料五万石をもらったそうなのですが、ほかにも例があることを考えると「破格」なんですかね。
そもそも、石(こく)って何かという話をすると、尺貫法における容積の単位で、1石は10斗、10斗は100升、100升は1,000合に相当します。米1合が1食分で、1日3合食べると(1日何食食べていたかは諸説あるが、ともかく)、1石は1人の1年間に食べる米の量に相当すると見なされていました。
とても単純な話をすると、1石で1人を1年間養えるわけです。1万石なら、1万人。「加賀百万石」なんて言いますよね。加賀藩(金沢藩)は加賀だけでなく、能登や越中も領していましたが、この領地における人口がざっと見て百万人いたと考えていいわけです。
関ヶ原の戦い時における全国の大名を調べたことがありますが、この時の石高の合計が約1,800万石。当時の人口とほぼ一致します(ただし、当時の人口については諸説ある)。江戸時代の中期、吉宗の頃で人口は3,000万人に増加していたと推定されていますから、新田開発などで、米の収穫量が増えたと考えられます。維新後、大正の頃には5,000万人になりますが、一億人を超えたのは昭和45年の国勢調査の時でした。先の大戦中、戦艦大和の沖縄攻撃では「一億総特攻の魁」などと言っていましたが、これは外地の人口も含めてのことなんでしょうかね。
話を江戸時代に戻すと、農民は米を作っていましたが、その米を捨てていたという話は聞かないので、農民もそれなりに米を食べていたという説があります。「搾取される貧農」といったイメージは改める必要があるのかもしれません。
そもそも、石(こく)って何かという話をすると、尺貫法における容積の単位で、1石は10斗、10斗は100升、100升は1,000合に相当します。米1合が1食分で、1日3合食べると(1日何食食べていたかは諸説あるが、ともかく)、1石は1人の1年間に食べる米の量に相当すると見なされていました。
とても単純な話をすると、1石で1人を1年間養えるわけです。1万石なら、1万人。「加賀百万石」なんて言いますよね。加賀藩(金沢藩)は加賀だけでなく、能登や越中も領していましたが、この領地における人口がざっと見て百万人いたと考えていいわけです。
関ヶ原の戦い時における全国の大名を調べたことがありますが、この時の石高の合計が約1,800万石。当時の人口とほぼ一致します(ただし、当時の人口については諸説ある)。江戸時代の中期、吉宗の頃で人口は3,000万人に増加していたと推定されていますから、新田開発などで、米の収穫量が増えたと考えられます。維新後、大正の頃には5,000万人になりますが、一億人を超えたのは昭和45年の国勢調査の時でした。先の大戦中、戦艦大和の沖縄攻撃では「一億総特攻の魁」などと言っていましたが、これは外地の人口も含めてのことなんでしょうかね。
話を江戸時代に戻すと、農民は米を作っていましたが、その米を捨てていたという話は聞かないので、農民もそれなりに米を食べていたという説があります。「搾取される貧農」といったイメージは改める必要があるのかもしれません。
以前、地名の話をしました。
市町村合併で地名が消えるのも悲しいのですが、
地名を変えるのも簡単ではありません。
宝塚「歌劇町」改名ピンチ、市の説明不足に反発(読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121223-00000848-yom-soci
年賀状を書いていますが、ひらがなの地名には違和感があるんだよなあ。
「親しみやすい」のかもしれませんが、
そんな理由で由来のある地名を変えていいものかどうか。
歴史を軽んじているような気がします。
市町村合併で地名が消えるのも悲しいのですが、
地名を変えるのも簡単ではありません。
宝塚「歌劇町」改名ピンチ、市の説明不足に反発(読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121223-00000848-yom-soci
年賀状を書いていますが、ひらがなの地名には違和感があるんだよなあ。
「親しみやすい」のかもしれませんが、
そんな理由で由来のある地名を変えていいものかどうか。
歴史を軽んじているような気がします。