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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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流血が止まらない事態ですが、明日が仕事のピークです。

うまくできれば、この4月、5月の苦労が報われます。

間違いなく書類をもらうのもたいへんだし、

ミスなくオペレーションをするのもしんどいんだよね。


月9はなんだろう…。

密室のトリックを解くのはいいけど、

犯人の自供を待たなければならないというのは、ミステリとしては致命的。

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1週間で来たメッセージは16件。

平均で1人週2件になりますが、まったく来ない人もいるので、ムラはあります。

(本命の人もメールに移行しています)

本命以外はだんだん雑になってきたw

2012年5月13日現在の状況

掲示板終了 2件
お話ししましょう断られる 1件
手持ちの掲示板 7件(前週比-2件)


1週間以上メッセージがないところは整理しています。

紹介書は来ますが、もう自分から増やすつもりはありません。
「戦国人物紹介」

大友氏

 
初代は大友能直であるが、出自ははっきりとしない。源頼朝の庶子とするのは島津氏と同じく伝説に近い。古庄(ふるしょう)能成(あるいは近藤能成)の子で母の父である波多野経家の相模大友荘を領したことから大友能直と名乗ったという。頼朝の側近で、母の縁戚でもある中原親能の猶子となり中原能直と名乗るなど、名字は転々としている。この縁で頼朝に寵愛され、豊後などの守護職に任じられた。実際に九州に赴いたのは孫の三代頼泰の代であるが、能直の子が託磨氏や一万田氏、志賀氏、田原氏などの祖となって九州に下っている。
 
六代貞宗は後醍醐天皇の挙兵に呼応して、北条氏の鎮西探題を攻め滅ぼした。南北朝時代には大友氏も南北に分裂する。その後は九州に勢力を伸ばす大内氏と対立、家中からも大内氏に与する勢力が出て、分裂が続いた。これを統一するのが十五代の親繁である。しかし、親繁の死後、子の政親とその子義右が対立、政親は義右を毒殺するが、政親は大内氏に攻められて自害、大友氏は滅亡の危機に瀕するが、政親の弟親治が家督を相続する。親治の代に大友氏は戦国大名化したとされる。
 
親治は将軍足利義澄と通じ、子義長への家督譲渡の承認を得た。また、豊後・豊前・筑後の守護職を安堵され、大友氏の治世は一応の安定を得た。義長は「大友義長条々」を制定、以降、義鑑・義鎮(宗麟)・義統(吉統)の代における家訓となった。1534年、義鑑は勢場ヶ原の戦いで長く対立していた大内義隆に勝利。しかし、嫡子義鎮(塩法師丸)に代えてその弟である塩市丸を寵愛し、塩法師丸を廃嫡して塩市丸に家督を継がせようと図ったため、反対派に斬られる。臨終に際して、塩法師丸に家督を譲って死去した。これが二階崩れの変である。ここに大友氏の家督として義鎮(宗麟)が登場する。1550年のことである。
 
南北朝時代に南北両派に分かれて争ったころは、争うだけの一門がいたのだが、それが終焉するとほぼ長子が単独で相続する形となり、一門の数も少なくなる。一方で早くから分かれた一族(一万田、田原、立花など)が宗家を支える(あるいは争う)のは武田、伊達、島津といった古くからの名家と同様である。宗麟は義統に家督を譲って隠居した後も一定の影響力を持ち続けて二頭政治を招くなど、どうもこの家は他の家に比べると内紛の要素が多い。
 
その後の大友氏については「秀吉の改易」のところで書いた。
 
http://naraku.or-hell.com/Entry/393/
これはボツ原稿(笑)

ボツにするつもりはなかったんだけど、アップするタイミングを逃してしまいました。


お酒のない人生なんてつまらないのである。わざわざ私が書くまでのことでもない。
 
試験勉強したくないからうだうだ書くw
 

取り立てて趣味もない生活ですから、仕事を取ってしまうとほとんど何も残らないんですね。ただ、それでは人生つまらない。
 
そこで人との交わり(コミュニティ)を持とうとして始めたのが、ネットであり、飲みに出ることでした。婚活もその一環なのかもしれません。
 
とはいえ、おのずからキャパ(容量)がありますから、ネットと言っても手当たり次第に何でもやるわけではありません。せいぜいこのブログとツイッターくらいで、mixiやFacebookなどは始めるつもりもありません。私の場合、ツイッターもコミュニケーションツールとして使われているかは疑問が残りますが…。
 
飲みに行くところも、場所は数軒に決めてあって、ほとんど新規開拓はしません。紹介でのつながりがほとんどです。その中で女性がいるお店(女性とお話しながら、女性がお酒を作ってくれるお店、スナック)があります。前にちらっと書きましたが、婚活を始めたら、この手のお店に行くのはやめようと思っていたんですね。私としては女性と話すこととしては同じですから、精神的な余裕が足りなくなると考えていました。前にちらっと書きましたが、この世界は捨てようと思っていました。
 
しかし、実際に婚活を始めましたが、捨てることなく続いています(以前と比べて回数は減りましたが)。この世界を捨てずに残しているということは、いまはある程度余裕を持って婚活ができているということなのかもしれません。毎日婚活サイトの掲示板をチェックして、返事が来ているかいないかに一喜一憂するようではそれこそ「婚活疲れ」になってしまいかねません。
 
それと、女性の意見を求めるようになりました。相談することが増えました。男性と女性では物事の考え方に違うところがありますから、そこは男性だけで考えていてもわかりません。スナックに行くと言ってもお酒を飲むために行くわけではなく(そこは本来的な目的ではない)、会話をするために行っているのです。
http://www.avanti-web.com/

東京FM系列で土曜の夕方5時から放送されている、

「Suntory Saturday Waiting Bar "AVANTI"」

20周年です。長いなー。


初めて聴いたのが高校生のころかな。

ジャズが流れるバーの雰囲気にあこがれまして、

いつかこういうお店に行ってみたいと思っていました。

(その夢は社会人になってかなった)


ラジオがなくてもラジコで聴けます。いい時代になりました。

http://radiko.jp/


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