兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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織田氏を中断してから5か月半ぶりに復活。
「戦国人物紹介」
平岩親吉・1
http://naraku.or-hell.com/Entry/1584/
平岩親吉・2
http://naraku.or-hell.com/Entry/1619/
平岩親吉・3
http://naraku.or-hell.com/Entry/1817/
平岩親吉・4
http://naraku.or-hell.com/Entry/1836/
平岩親吉・5
http://naraku.or-hell.com/Entry/1964/
平岩親吉 【ひらいわちかよし】 1542-1611
七之助。従五位下、主計頭(かずえのかみ、天正十六年四月叙任)
家康とは同い年であり、人質時代から近侍した。家康からの信任は厚く、長男信康の傅役となる。信康が謀反の嫌疑で切腹すると謹慎するが再出仕した。本能寺の変後、家康が甲斐を支配すると、目代(代官)となった。家康が関東に入ると、厩橋城(のちの前橋)で三万三千石を与えられた。
関ヶ原の戦いでは居城にあって上杉氏に備える。戦後、加増されて再び甲斐に入った。のち、家康の九男義直が武蔵忍から甲斐に移ると、傅役となり、甲府城代となった。さらに義直が尾張清洲五十三万石に転封されると、親吉もこれに従い犬山で十二万三千石を与えられた。
義直は清洲から名古屋に移ったが、名古屋城は家康が天下普請として西国の諸大名に築かせた城である。普請に参加した福島正則は「大御所(家康)の城ならともかく、大御所の息子の城普請まで手伝わなければならないのか」とこぼしたのに対し、加藤清正が「嫌なら国に帰って戦の支度をせよ」とたしなめた逸話が知られている。
親吉には嗣子がいなかったため、家康から八男仙千代を養子として与えられたが、仙千代はわずか六歳で夭逝。親吉が死ぬと、平岩家は無嗣絶家となったが、弟の家系が家名を伝えた。
平岩氏の出自
「平岩」の姓は親吉の五代前に当たる氏貞が三河国額田郡坂崎村(愛知県額田郡幸田町坂崎)に住み、同地にあった平らな巨岩にちなんで、平岩氏を称したという。しかし、当時の一般的な名字の付け方を考えると、先に「平岩」という地名があって、そこに住んだ氏貞が平岩氏を称したと考える方が自然であろう。
幸田町には「平岩」の地名があり、ここが名字の地と思われる。岡崎にも近い地である。なお、全国各地に「平岩」の地名があるが、愛知県内は地形のためか特に多く、二十以上の「平岩」の地名がある。
氏貞の四代前の照氏は三河国碧海郡平田庄上野に住んで上野氏を称し、新田義興(新田義貞の二男)に仕えたとするが、にわかには信じがたい。徳川氏の祖とされる新田氏と平岩氏の祖を結びつける創作ではなかろうか。
弓削氏
新田氏に仕えた話の真偽はさておき、平岩氏の本姓は弓削(ゆげ)氏とされる。弓削氏を祖とする家は珍しく、江戸時代に編纂された大名や旗本の系譜集である『寛政重修諸家譜(寛政譜)』でも弓削氏を祖とするのは平岩氏だけである。
弓削氏にもいくつかの流派があるが、この弓削氏は物部守屋(もののべのもりや)を祖としている。守屋は物部尾輿の子で、六世紀の仏教伝来に際しては、排仏派として、崇仏派の蘇我馬子と対立した。最後は馬子や厩戸皇子(いわゆる聖徳太子)らに攻められて敗死した。
守屋は母方の弓削氏を称して、物部弓削守屋とも呼ばれたが、この系統が弓削氏を称した。孝謙天皇(重祚して称徳天皇)に信任されて権勢をふるった道鏡(弓削道鏡)も一族になる。道鏡は女帝に取り入って皇位を狙った怪僧として知られていることから、『寛政譜』も、あえて「道鏡」の名は出していない。孝謙天皇の代に弓削氏の一族が河内国で繁栄したとのみ記されており、道鏡とその一門の出世を示唆するに留めている。
「戦国人物紹介」
平岩親吉・1
http://naraku.or-hell.com/Entry/1584/
平岩親吉・2
http://naraku.or-hell.com/Entry/1619/
平岩親吉・3
http://naraku.or-hell.com/Entry/1817/
平岩親吉・4
http://naraku.or-hell.com/Entry/1836/
平岩親吉・5
http://naraku.or-hell.com/Entry/1964/
平岩親吉 【ひらいわちかよし】 1542-1611
七之助。従五位下、主計頭(かずえのかみ、天正十六年四月叙任)
家康とは同い年であり、人質時代から近侍した。家康からの信任は厚く、長男信康の傅役となる。信康が謀反の嫌疑で切腹すると謹慎するが再出仕した。本能寺の変後、家康が甲斐を支配すると、目代(代官)となった。家康が関東に入ると、厩橋城(のちの前橋)で三万三千石を与えられた。
関ヶ原の戦いでは居城にあって上杉氏に備える。戦後、加増されて再び甲斐に入った。のち、家康の九男義直が武蔵忍から甲斐に移ると、傅役となり、甲府城代となった。さらに義直が尾張清洲五十三万石に転封されると、親吉もこれに従い犬山で十二万三千石を与えられた。
義直は清洲から名古屋に移ったが、名古屋城は家康が天下普請として西国の諸大名に築かせた城である。普請に参加した福島正則は「大御所(家康)の城ならともかく、大御所の息子の城普請まで手伝わなければならないのか」とこぼしたのに対し、加藤清正が「嫌なら国に帰って戦の支度をせよ」とたしなめた逸話が知られている。
親吉には嗣子がいなかったため、家康から八男仙千代を養子として与えられたが、仙千代はわずか六歳で夭逝。親吉が死ぬと、平岩家は無嗣絶家となったが、弟の家系が家名を伝えた。
平岩氏の出自
「平岩」の姓は親吉の五代前に当たる氏貞が三河国額田郡坂崎村(愛知県額田郡幸田町坂崎)に住み、同地にあった平らな巨岩にちなんで、平岩氏を称したという。しかし、当時の一般的な名字の付け方を考えると、先に「平岩」という地名があって、そこに住んだ氏貞が平岩氏を称したと考える方が自然であろう。
幸田町には「平岩」の地名があり、ここが名字の地と思われる。岡崎にも近い地である。なお、全国各地に「平岩」の地名があるが、愛知県内は地形のためか特に多く、二十以上の「平岩」の地名がある。
氏貞の四代前の照氏は三河国碧海郡平田庄上野に住んで上野氏を称し、新田義興(新田義貞の二男)に仕えたとするが、にわかには信じがたい。徳川氏の祖とされる新田氏と平岩氏の祖を結びつける創作ではなかろうか。
弓削氏
新田氏に仕えた話の真偽はさておき、平岩氏の本姓は弓削(ゆげ)氏とされる。弓削氏を祖とする家は珍しく、江戸時代に編纂された大名や旗本の系譜集である『寛政重修諸家譜(寛政譜)』でも弓削氏を祖とするのは平岩氏だけである。
弓削氏にもいくつかの流派があるが、この弓削氏は物部守屋(もののべのもりや)を祖としている。守屋は物部尾輿の子で、六世紀の仏教伝来に際しては、排仏派として、崇仏派の蘇我馬子と対立した。最後は馬子や厩戸皇子(いわゆる聖徳太子)らに攻められて敗死した。
守屋は母方の弓削氏を称して、物部弓削守屋とも呼ばれたが、この系統が弓削氏を称した。孝謙天皇(重祚して称徳天皇)に信任されて権勢をふるった道鏡(弓削道鏡)も一族になる。道鏡は女帝に取り入って皇位を狙った怪僧として知られていることから、『寛政譜』も、あえて「道鏡」の名は出していない。孝謙天皇の代に弓削氏の一族が河内国で繁栄したとのみ記されており、道鏡とその一門の出世を示唆するに留めている。
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『戦国IXA』 新武将カード(2013年12月のその2らしい…実質2014年1月分かな)
・花舜夫人
知らない。島津義久の正室で忠良の娘(忠良は義久の祖父であるから、
義久から見るとおばに当たる)。
・出雲阿国
歌舞伎の祖とされる伝説的人物。名は「クニ(国)」だが、様々に書かれる。
出雲大社の巫女とされる。当時、「出雲のおくに」と呼ばれたわけではない。
・愛姫
一般に「めごひめ」。田村清顕の娘で伊達政宗の正室。陽徳院。
政宗との間に忠宗、五郎八姫(松平忠輝室)らをもうけた。
秀吉の奥州仕置で改易された田村家の再興を願っていたが、
それが果たされたのは彼女の死後、孫の宗良の時である。
NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』では後藤久美子、のち桜田淳子が演じた。
『天地人』は知らない。
・朝日姫
あるいは旭姫。家康の継室。秀吉の異父妹。駿河御前、南明院。
最初、佐治日向守(あるいは副田甚兵衛、または副田吉成)に嫁ぐという。
小牧長久手の戦いののち、秀吉によって離縁させられ、家康に嫁がされる。
警護に当たった本多作左衛門重次が冷遇したため、病気がちになって、
母の大政所よりも先に死去した。
・栄姫
「えいひめ」。ねね姫。大涼院。
父は保科正直。母は久松俊勝の娘多劫(たけ)姫。
多劫姫の母は於大の方で、家康の異父妹である。
(栄姫は家康の姪に当たる)
関ヶ原の戦いの直前に、家康の養女として黒田長政に嫁いだ。
(来年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』を意識しての登場?)
石田三成らが東軍に属した武将の妻子を人質に取ろうとした際は
大坂を脱出して九州まで逃れている。
長政との間にもうけた忠之は、のちに黒田騒動を引き起こして、
黒田家を改易寸前に追い込むが、
ドラマではそこまで描かれるのかどうか…。
・千姫
天樹院。秀忠とお江の方との娘で秀頼に嫁ぐ。
大阪の陣後は本多忠刻(忠勝の孫)に嫁ぐ。
秀頼と側室の間にできた娘(天秀尼)の助命を嘆願、
天秀尼はのちに縁切り寺として知られる鎌倉東慶寺の住持となった。
「吉田通れば二階から招く」の吉田御殿での乱行は事実ではない。
・冬姫
信長の娘で蒲生氏郷に嫁ぐ。当時の氏郷は人質であったが、
信長が氏郷の才能を見込んで娘を嫁がせたという。
信長の一族は美貌で知られているが、
氏郷が若くして死去すると、冬姫も秀吉に狙われたという。
側室への誘いを拒否したことが、
子の秀行が会津九十二万石から宇都宮十二万石に
減転封される一因となったという。
蒲生氏は氏郷以後、早死にの家系なのか、
後継ぎが誰もいなくなって、断絶することになる。
冬姫はそれを見届けて死んだ。
・花舜夫人
知らない。島津義久の正室で忠良の娘(忠良は義久の祖父であるから、
義久から見るとおばに当たる)。
・出雲阿国
歌舞伎の祖とされる伝説的人物。名は「クニ(国)」だが、様々に書かれる。
出雲大社の巫女とされる。当時、「出雲のおくに」と呼ばれたわけではない。
・愛姫
一般に「めごひめ」。田村清顕の娘で伊達政宗の正室。陽徳院。
政宗との間に忠宗、五郎八姫(松平忠輝室)らをもうけた。
秀吉の奥州仕置で改易された田村家の再興を願っていたが、
それが果たされたのは彼女の死後、孫の宗良の時である。
NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』では後藤久美子、のち桜田淳子が演じた。
『天地人』は知らない。
・朝日姫
あるいは旭姫。家康の継室。秀吉の異父妹。駿河御前、南明院。
最初、佐治日向守(あるいは副田甚兵衛、または副田吉成)に嫁ぐという。
小牧長久手の戦いののち、秀吉によって離縁させられ、家康に嫁がされる。
警護に当たった本多作左衛門重次が冷遇したため、病気がちになって、
母の大政所よりも先に死去した。
・栄姫
「えいひめ」。ねね姫。大涼院。
父は保科正直。母は久松俊勝の娘多劫(たけ)姫。
多劫姫の母は於大の方で、家康の異父妹である。
(栄姫は家康の姪に当たる)
関ヶ原の戦いの直前に、家康の養女として黒田長政に嫁いだ。
(来年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』を意識しての登場?)
石田三成らが東軍に属した武将の妻子を人質に取ろうとした際は
大坂を脱出して九州まで逃れている。
長政との間にもうけた忠之は、のちに黒田騒動を引き起こして、
黒田家を改易寸前に追い込むが、
ドラマではそこまで描かれるのかどうか…。
・千姫
天樹院。秀忠とお江の方との娘で秀頼に嫁ぐ。
大阪の陣後は本多忠刻(忠勝の孫)に嫁ぐ。
秀頼と側室の間にできた娘(天秀尼)の助命を嘆願、
天秀尼はのちに縁切り寺として知られる鎌倉東慶寺の住持となった。
「吉田通れば二階から招く」の吉田御殿での乱行は事実ではない。
・冬姫
信長の娘で蒲生氏郷に嫁ぐ。当時の氏郷は人質であったが、
信長が氏郷の才能を見込んで娘を嫁がせたという。
信長の一族は美貌で知られているが、
氏郷が若くして死去すると、冬姫も秀吉に狙われたという。
側室への誘いを拒否したことが、
子の秀行が会津九十二万石から宇都宮十二万石に
減転封される一因となったという。
蒲生氏は氏郷以後、早死にの家系なのか、
後継ぎが誰もいなくなって、断絶することになる。
冬姫はそれを見届けて死んだ。
毎年、帰省でうやむやになっていた大掃除ですが、
今年はやります。
たまに(特に学生時代は試験前に)思い立ったように
大掃除をしたのですが、
不要になったもの、あるいは使えなくなったものを
捨ててきました。
今回は引っ越しを控えているので、
それ以上に捨てるという目標を立てたらどうなるのかと
思っています。
要は、先に、捨てる目標(あるいは残す目標)を
(例えば段ボール単位で)決めて、
要りそうなもの、使えそうなものでも、
捨てる判断をするということです。
歴史関係の本は捨てませんが、
通信講座関係の本は捨てたいですね。
いつか見ると思っても見ませんし。
(歴史関係の本もそういうところはありますが)
CDやDVD、衣類も捨てたいですね。
通販でどんどん買ってしまうので、
新しいものを一つ買ったら、
古いものを一つ捨てないと、
あっという間に物で埋まります。
トランクルームがあれば押し込んでしまいたいですが、
田舎にそんな便利なものはないですからね…。
今年はやります。
たまに(特に学生時代は試験前に)思い立ったように
大掃除をしたのですが、
不要になったもの、あるいは使えなくなったものを
捨ててきました。
今回は引っ越しを控えているので、
それ以上に捨てるという目標を立てたらどうなるのかと
思っています。
要は、先に、捨てる目標(あるいは残す目標)を
(例えば段ボール単位で)決めて、
要りそうなもの、使えそうなものでも、
捨てる判断をするということです。
歴史関係の本は捨てませんが、
通信講座関係の本は捨てたいですね。
いつか見ると思っても見ませんし。
(歴史関係の本もそういうところはありますが)
CDやDVD、衣類も捨てたいですね。
通販でどんどん買ってしまうので、
新しいものを一つ買ったら、
古いものを一つ捨てないと、
あっという間に物で埋まります。
トランクルームがあれば押し込んでしまいたいですが、
田舎にそんな便利なものはないですからね…。
来年の抱負(メモ、順不同)
競馬:GIレースを録画していましたが、今年で終わり
ブログ:自然体でいきたい
ゲーム:『艦これ』も『モンパレ』も卒業
スポーツ:見る方でなくやる方。運動すると格段に睡眠の質が上がる
料理:レパートリーを広げたい
引越:そろそろ寮は出たい
旅行:海外に逃亡したい(南の島)
ブログ、というか、戦国人物紹介は織田氏も平岩親吉も、
広げ過ぎて収拾がつかなくなってしまっているので、
全体の構成を考えるのと、それに合わせて文章をまとめるのと、
両方できるようにしたいと。
競馬:GIレースを録画していましたが、今年で終わり
ブログ:自然体でいきたい
ゲーム:『艦これ』も『モンパレ』も卒業
スポーツ:見る方でなくやる方。運動すると格段に睡眠の質が上がる
料理:レパートリーを広げたい
引越:そろそろ寮は出たい
旅行:海外に逃亡したい(南の島)
ブログ、というか、戦国人物紹介は織田氏も平岩親吉も、
広げ過ぎて収拾がつかなくなってしまっているので、
全体の構成を考えるのと、それに合わせて文章をまとめるのと、
両方できるようにしたいと。
年末進行がほぼ終息。
とはいえ、仕事がなくなったわけではないので、
時間をかけてゆっくり考える仕事に着手。
ひたすら提出書類を作りまくった三ヶ月でしたが、
さすがにこの時期は書類も減って、のんびりしてきました。
30日まで仕事ですが、
何事もなく年が越せますように。
まあ、年が明けたらまた忙しいのですが、
年が明けないとできない仕事もあるので…。
とはいえ、仕事がなくなったわけではないので、
時間をかけてゆっくり考える仕事に着手。
ひたすら提出書類を作りまくった三ヶ月でしたが、
さすがにこの時期は書類も減って、のんびりしてきました。
30日まで仕事ですが、
何事もなく年が越せますように。
まあ、年が明けたらまた忙しいのですが、
年が明けないとできない仕事もあるので…。