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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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「戦国人物紹介」

「老将フェチ」「じじいフェチ」の話はかつてしましたが。

http://naraku.or-hell.com/Entry/161/

今回もその話。儒教文化圏でなくても、老いた人は経験において優れるということで、その判断には耳を傾けるべきところがあるとされます。「三国志」の呉でも、赤壁の戦いでは降伏論を唱えた張昭が、その後も長く孫権に重用された(重用せざるを得なかった)のは、一つに長く生きたことにあります。

一方で老害という部分もたしかにありまして、同じく長く生きた孫権は後継者の選択を誤って陸遜を死に追いやることになります。

大友氏の三老
さて、日本の戦国時代の話。豊後の三老と言うと、おもに軍事面のことで、立花道雪を含めて、臼杵鑑速、吉弘鑑理の三人を指します。政治では以下の三人とされます。三人とも「戦国IXA」に登場するので、武将カードの画像付きで紹介します。生没年が伝わらないのが多いのは大名としての大友氏が滅んだためでしょうか。
 
臼杵鑑速 【うすきあきはや】 1538-74(75)
 
鑑景、四郎左衛門尉、越中守。
臼杵長景の子。鑑続の弟で兄と同じく大友義鑑・義鎮の加判衆を務め、外交を担当。上洛して足利義晴に謁見し、1559年、宗麟の守護就任の御礼にも上洛して義輝に謁見している。一方で、豊前・筑前、さらには肥後に進出して戦功を立てている。特に筑前では毛利氏、秋月氏、立花氏などと戦っている。宗麟が耳川で敗戦すると、立花道雪は宗麟に「吉岡宗歓(長増)、臼杵鑑速の死後、大友の政治は無道でしかない」と書簡を送っている。系図には「あきすみ」ともあるが、「や」で終わる名前は珍しく、クイズを作ったり、人名でしりとりをやったりするときには役に立つだろう。
 


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文武両道の良将というにはスケールも知名度もまだ不足しているか。
 
吉岡長増 【よしおかながます】 ?-1573
 
左衛門尉、左衛門大夫、越前守、越前入道、宗歓。
鑑興の子。大友義鑑の時代から三老として、大友氏最盛期に重きをなした。義鑑・義鎮(宗麟)の代に四十年余に渡って加判衆を務めた。毛利氏との戦いで、大内氏の一族輝弘を周防に入らせて毛利氏の後方を攪乱させたのは長増の献策と言われる。
 


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この献策で名を残したと言っていい。
 
吉弘鑑理 【よしひろあきまさ】 ?-1571?
 
太郎、鑑直、左近大夫、伊予守。
氏直の子。大友宗麟の加判衆。大友氏全盛期の宗麟を補佐。1534年、勢場ヶ原の戦いで大内氏と戦う。1556年には小原鑑元の謀叛を討つ。毛利氏との戦いでは立花氏、高橋氏、原田氏などと戦う。二男孫七郎は高橋鑑種追放後の高橋氏を継ぎ、鎮種と名乗る。のちの高橋紹運(紹雲)である。
 


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古くから息の長い活躍を見せる。

ということで、次回は龍造寺家兼を書きたい。
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