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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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土地がキーワード

御館の乱から、上杉景勝の集権化の試み、秀吉の改易から、家康の関東移封を通じての集権化、徳川幕府の改易政策などを見てきましたが、共通するのは土地の支配をどうするかということなんですよね。代々の土地から家臣を切り離す(在地性を断つ)というのは困難なことです。直轄地を増やすことは大名の権力強化につながりますが、戦争で領地を増やしても家臣に恩賞として配分すれば、大名の取り分は減ります。

江戸時代には大名は「鉢植え」のようだと言われましたが(植木鉢から抜いて他の鉢に移し替えることができる)、土地は幕府から与えられるもの、認められるものという意識が根付くには長い時間がかかりました。

さて、そうは言っても、一般の人々は何百年も先祖代々の土地を守ってきました。たとえ引っ越したとしてもルーツというものもあります。私自身は転勤族ですし、父親も本州から北海道に来た人なので、生まれ育ったところにはあまりこだわりはないのですが、本州の実家から「誰も農業をやらないから土地を手放そうか」という話が出てくると、「手放さないでほしいなあ」と抵抗があります。

今回の震災で、地震や津波、原発事故に遭っても土地を離れたがらない人が少なくない、という話を聞くと、日本人の土地に対する強いこだわりを感じます。
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↓の記事で宮澤を思い出した私は金融系w
在地性については農耕民族ニッポンってことの象徴だよねぇ。古くは律令制まで戻るのかしらん。。。
一方、技術革新により、生産力が上昇した戦国時代では、リスクを負う人(新たな土地を開拓する人)と負わない人(旧領にこだわる人)との分岐点だったのかもね。
 ただ、決して勝者が前者だけではない。幕末における薩長の活躍を考えると、両方の生き方があってこそという考え方もできるじゃないかのぉ。
ぼっこ 2011/04/18(Mon)22:34 編集
そりゃ喜一だw
代々「耕してきた」土地ということですからね。

生産力が上昇すると、相変わらず耕す人と、サラリーで食べていく人(いわゆる土地を耕さない武士層だったり町民だったり)が出てきて、その分岐点でもあったのかと思います。

維新の原動力となった毛利(長州)と島津(薩摩)ですが、なぜか二藩とも改易されなかったんですよね。薩摩は親幕府でしたが、毛利は長州征伐で負けた時点で改易されてもおかしくない。それよりももっと前に敵性大名として排除されていてもおかしくないのに幕府はしなかった、というのは不思議なところです。

関ヶ原でだまし討ちした後ろめたさがあったのかw
Rakuna 2011/04/19(Tue)21:13 編集
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