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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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競馬とは血のドラマと言われますが。

92年皐月賞・ミホノブルボンの次は、91年天皇賞(春)・メジロマックイーンでしたね。

裏でライスシャワーを顕彰しているのかw


メジロマックイーンというと、TVCMでもあったように、父子三代天皇賞制覇を成し遂げた馬です。

祖父のメジロアサマは極端に受胎率が悪く、産駒は19頭しかいませんでしたが、

そこから出たのがメジロティターン(マックイーンの父)で、天皇賞父子制覇を成し遂げます。


マックイーンは三代制覇の同じ年、秋の天皇賞では、

武豊の騎乗ですが、スタート直後の「大斜行」により、

6馬身差での1着入線にもかかわらず降着処分となりました(G1では初)


産駒としては(牝馬でしたが)エイダイクインに期待していましたが、骨折もあって振るわず。

マックイーンは2006年に死去しますが、父系の子孫からG1馬は生まれるのでしょうか。

(母の父としてはドリームジャーニーにG1勝ちがある)

※追記

今日の皐月賞の勝ち馬はドリームジャーニーの弟(普通、兄弟とは母親が同じ馬のことを言う。

父が同じ馬となると時に百頭を超える兄弟がいることになるので)、

オルフェーヴルでした。母の父マックイーンのCMと絡めたJRAのサイン馬券だったか!
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「戦国人物紹介」外伝

199 豊臣秀吉 【とよとみひでよし】

「羽柴」の名乗りについての考察・1

下の名前をもらう
人から字をもらうということですが、先に下の名前について考えてみましょう。家臣が主君から一字を賜ることはよくあることで、「偏諱(へんき)」「諱(いみな)」というものです。戦国大名が足利将軍家から一字を賜った例は東北から九州まで数多くあります。 例えば足利義輝の偏諱を賜ったものとしては、伊達輝宗(政宗の父)、上杉輝虎(謙信)、毛利輝元など。義輝の初名は義藤ですが、「藤」の字を賜ったのが細川藤孝(幽斎)など。武田義信など、「義」の字を賜った例も多くあります。ただし、通常、賜った字を下につけることはありません。主君の名前の下の字を賜って、自分の名前の上につけることが多く、自分の名前の下の字はその家の「通字」になる例が多く見られます。

具体的に見てみましょう。独眼竜政宗で有名な伊達氏から。この「政宗」は中興の祖であるご先祖様にあやかってつけた名前で(後日別途記述)、ご先祖様の方は官職から大膳大夫政宗と呼ばれます(銀閣寺、応仁の乱で知られる足利義政とは無関係)。大膳大夫政宗以降の系譜は以下のようになっています。なお、伊達氏の場合は「宗」の字が通字です(必ずつくというわけではない)。

政宗(大膳大夫)-氏宗-持宗-成宗-尚宗-稙宗-晴宗-輝宗-政宗

氏宗:鎌倉公方足利氏満から一字を賜る。
持宗:鎌倉公方足利持氏ではなく四代将軍足利義持から一字を賜ったと思われる。
成氏:古河公方足利成氏と思われるが、そうなると「なりうじ」ではなく、「しげうじ」と読むことになる。
尚宗:九代足利義尚から。「よしひさ」なので「なおむね」でなく「ひさむね」と読む。
稙宗、晴宗、輝宗:十代義稙、十二代義晴、十三代義輝から。

ちなみに、政宗の子ですが、庶長子は秀吉から一字を賜って秀宗と名乗りましたが、本家を継げず、大坂の陣後に伊予宇和島を与えられました。幕末の藩主が四侯会議に参加した宗城(むねなり)です。一方、政宗の二男(正室の子)は徳川秀忠より一字を賜って忠宗と名乗り、仙台藩の藩主を継ぎます。



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剣豪将軍。名刀蒐集家。



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子政宗の器量を早くから見抜いていましたが、凶刃に斃れます。


もう一つ、毛利氏の例を見てみましょう。毛利氏と言えば、陶晴賢(隆房)との厳島の戦い、三本の矢の逸話などで有名なのが元就(戦国随一の謀将と評してよい)ですが、元就の前後はこのようになっています。

煕元-豊元-弘元-元就-隆元-輝元

煕元、豊元:山名氏からの偏諱。
弘元:大内政弘(義隆の祖父)から。
隆元:大内義隆から。
輝元:足利義輝から。

毛利氏が独立する前は、山名氏や大内氏に属していたことがわかります。そういえば、元就はというと、この人は二男なんですね(二男だから偏諱がないということではない)。元就の兄は興元といって、大内義興(義隆の父)から一字を賜っていますが若くして死去します。その子幸松丸も九歳で死去したため、元就が毛利氏の家督を継ぐことになります。



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まさかの眼鏡武将w 終わりがよくないので評価は低いが、実力はもっと評価されてよい。



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偉大な父の陰に隠れた名将。長州が維新を成し遂げた陰の功労者。


「諱」が中央の政権や有力者とのつながりを示すものであること、また上下関係を表すものなので、基本的には、もらった字を下にはつけないことがおわかりいただけたでしょうか。
昨日のNHK「歴史秘話ヒストリア」ですが、

小和田哲男(昔と今とで言うことがコロッと変わる)がしつこく出てくるのと、

築山殿事件の扱いにこらえかねて途中で寝ましたw


信長は信康に嫁いでいた娘五徳から、姑の築山殿と仲が悪く、信康とも不仲になった、という手紙をもらったため、家康の重臣である酒井忠次を呼んで、真偽を質しましたが、忠次は弁明をしませんでした。ただ、信康に切腹を命じたわけではありませんし(処分は家康にまかせている)、築山殿の処分も求めていません。

武田信玄と義信のように派閥抗争だと思うんですよね。浜松の家康派と岡崎の信康派の。

それほどまでに惜しい人物で、信長の命によって無念の死を遂げたとすれば、信長が死んだあと、それがはばかられるなら天下を取ったあとにでも、信康の墓を厚く改葬すればいいものを、家康はそんなことはしていません。酒井忠次も少なくとも表向きは処分されることなく重臣として活躍を続けます(忠次が息子の所領が少ないと家康にぐちったときに、「お前も子がかわいいか」と家康が言ったという逸話がある)。

信長が自分の嫡男信忠よりも信康の器量の方が優れていると考えて、信康を殺すように促したというのもとんだとばっちりです。信忠は最後の判断を誤りましたが、信長の後継者としては十分な能力を有した人物でした。

信康は乱行だったという話もありますが、家康とその子らにはたまに狂気の血が出るんですよね。長男信康、次男秀康、秀康の子忠直、六男忠輝、家光の弟忠長などがその例です。

詳しくは、徳川信康(このように表記されるようになったのは最近。かつては「松平信康」と表記されたが、徳川家康の嫡男が徳川を名乗らないのはおかしい)を取り上げる機会があったときに。



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酒井氏は松平氏と親戚関係にあり、忠次自身も家康の縁戚に当たる。徳川四天王の筆頭である。
JRAの皐月賞のTVCMが好評なのではないでしょうか。

92年の皐月賞馬、モンスター・ミホノブルボンを紹介していますが、

映像、音楽ともに競馬ファンを興奮させます。


ミホノブルボンというと、戸山為夫調教師によって坂路で鍛えに鍛えられ、

筋肉の塊のような馬でした(まだ生きてるけど)

機械のように正確なラップを刻んで逃げを打ったことから、

モンスターというより、「サイボーグ」の異名の方がなじみ深いですね。


逃げに逃げて、朝日杯を制し、そのまま皐月賞、ダービーと無敗で二冠を達成。

三冠最後の菊花賞でも一番人気となりますが、

のちに「刺客」と呼ばれたライスシャワーの二着に敗れます。

その後は脚部不安から骨折に至り、引退します。


もうちょっとレース映像を見たいんだけど、気になるのは皐月賞の次のCMですね。

どのレースでどの馬を取り上げるのでしょうか。

予想するのも楽しいですね。

NHKマイルCはエルコンドルパサーかな。
前回で土地がキーワードと言っていますが・・・。

『花の慶次』の原作である『一夢庵風流記』を書いた隆慶一郎は、

『一夢庵風流記』も含めて、網野善彦の史観の影響を受けています。

中世の民衆というと、どうしても農民(武士と完全に分離したわけではない)、

そして土地中心の見方になりがちですが、網野善彦は非農業民にも光を当てたんですね。

「農民-定住」と対照的な非農業民、職人や芸能民(芸能人ではない)といった非定住の人々。

中世には我々が想像するよりももっと幅広い、豊かな世界が広がっていました。

新書でも文庫でもいいので、一冊、手に取って読んでみてほしいと思います。


「戦国人物紹介」は関東三国志から始まりました。

北条氏は氏康が死んだところ、武田氏は滅亡まで、上杉氏は御館の乱まで書きました。

上杉氏の次は上杉景勝と直江兼続じゃね?

というところですが、前のところで一度書いたので、リンクだけ貼っておきます。

立候補の話とか懐かしいwww

上杉景勝
http://rakuna.blog.shinobi.jp/Entry/286/

直江兼続
http://rakuna.blog.shinobi.jp/Entry/277/ (前編)
http://rakuna.blog.shinobi.jp/Entry/278/ (後編)

関ヶ原の戦いを書くときに、再度取り上げる予定です。
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