兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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2013年度NHK大河『八重の桜』主演に綾瀬はるか「日本中を元気に」 脚本は『ゲゲゲ』の山本むつみ
http://career.oricon.co.jp/news/89123/
綾瀬はるかは前から好きだけど・・・
「JIN-仁-」も見てるけど・・・
幕末維新の会津藩の女性が主人公なのですが、
東北に配慮しての選考なのか・・・
前回、会津若松について書いたばかりですが、
あえて幕末に触れなかったのは、幕末の会津は暗いからです。暗すぎる。
新政府軍、というより長州はなぜ大勢が決していたのに、
会津で戦わなければいけなかったのでしょうか(京でやられた恨みがあるにしても)
同じ日本人同士で殺し合わなければならなかったのでしょうか。悲しすぎます。
会津の人々はいまもなお、維新時の悲劇を忘れていません。
長州、いまの山口県萩市から福島県会津若松市に友好都市締結の申し入れが
あったことがありますが、会津若松市はこれを断っています(1986年)
当時の福島県知事であった松平勇雄を指して、「孫がまだ生きている」という意見もあったとか。
この松平勇雄、幕末の会津藩主として知られる松平容保の孫に当たります。
http://career.oricon.co.jp/news/89123/
綾瀬はるかは前から好きだけど・・・
「JIN-仁-」も見てるけど・・・
幕末維新の会津藩の女性が主人公なのですが、
東北に配慮しての選考なのか・・・
前回、会津若松について書いたばかりですが、
あえて幕末に触れなかったのは、幕末の会津は暗いからです。暗すぎる。
新政府軍、というより長州はなぜ大勢が決していたのに、
会津で戦わなければいけなかったのでしょうか(京でやられた恨みがあるにしても)
同じ日本人同士で殺し合わなければならなかったのでしょうか。悲しすぎます。
会津の人々はいまもなお、維新時の悲劇を忘れていません。
長州、いまの山口県萩市から福島県会津若松市に友好都市締結の申し入れが
あったことがありますが、会津若松市はこれを断っています(1986年)
当時の福島県知事であった松平勇雄を指して、「孫がまだ生きている」という意見もあったとか。
この松平勇雄、幕末の会津藩主として知られる松平容保の孫に当たります。
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地名の話・5
「有楽町」も「八重洲」も人の名前から(否定する説もある)
最初に地名の話をしたときに、(日本人は)地名を変えることにタブー意識がある、人名から地名を付けることはまれである、と書きましたが、「豊田市」があるじゃない、と思った人は鋭い人です。
豊田市ができたのは現代の話で、1959年のことです。もとは挙母市(ころもし)と言いましたが、トヨタ自動車を誘致するにあたって、市の名前ごと豊田市に変えてしまいました。もともと「挙母」が読みにくいという点や、長野県の小諸(こもろ)と混同されるという点もありましたが、市を二分するほどの議論の結果、市みずからが企業城下町となることを決めたのでした。ちなみに、トヨタ自動車は当然「とよた」と読みますが、トヨタ自動車の創業者豊田喜一郎(豊田自動織機の創業者豊田佐吉の子)は「とよだ」と読みます。
こういった個人の名字、あるいは組織、社名が地名となる例は非常に珍しく、もう一つ天理市の例が知られています(言うまでもなく、天理教に由来します)。また、北海道伊達市は仙台藩の一門である亘理伊達家の領主伊達邦成とその家臣たちが集団で移住し開拓したことに由来しています。福島県相馬市も相馬氏(相馬の名字は下総相馬郡に由来する)が治めたことに由来しています。
また、市町村合併などで地名を合成することもあります(近現代に限ったことではない)。大分県の温泉で有名なのが「湯布院」ですが、これは1955年に由布院町と湯平町が合併してできた町名です。文字も合併しています。2005年にさらに合併があって由布市となっています。なお、「湯布院温泉」という名の温泉は存在せず、「由布院温泉」が正しいのですが、音だけでは判断できないので注意が必要です。
平成の市町村合併により新しい地名が生まれる一方で、昔からの地名が消える例も少なくありません。ただ、市町村合併でひらがなの地名や、まったく新たな地名が出てくることは残念に思います。地名には昔の人が込めた思いがあるはずです。それは由来と言います。由来が消えてしまうようで残念に思います。もともと漢字だったものをひらがなにすると、由来がわかりづらくなってしまいます。地名に込めた昔の人の思いもわからなくなってしまうということですよね。
自分の名前であれば、たとえ難しい漢字であっても、学校で習っていない漢字であっても、最初は字体が崩れたとしても、自分の名前は漢字で書きたいと思うのではないでしょうか(下の名前はひらがなの場合もありますが)。それが親や先祖から与えられた、伝えられてきた名前だからではないでしょうか。そこに誇りを感じるからではないでしょうか。
「わかりやすいから」「親しみやすいから」などといった理由で、もとの由来は漢字であった地名がひらがなに変えられてしまうのは残念に思います。
次回からは「戦国人物紹介」、再開です。足利義輝、三好長慶、あたりから松永久秀へ。
「有楽町」も「八重洲」も人の名前から(否定する説もある)
最初に地名の話をしたときに、(日本人は)地名を変えることにタブー意識がある、人名から地名を付けることはまれである、と書きましたが、「豊田市」があるじゃない、と思った人は鋭い人です。
豊田市ができたのは現代の話で、1959年のことです。もとは挙母市(ころもし)と言いましたが、トヨタ自動車を誘致するにあたって、市の名前ごと豊田市に変えてしまいました。もともと「挙母」が読みにくいという点や、長野県の小諸(こもろ)と混同されるという点もありましたが、市を二分するほどの議論の結果、市みずからが企業城下町となることを決めたのでした。ちなみに、トヨタ自動車は当然「とよた」と読みますが、トヨタ自動車の創業者豊田喜一郎(豊田自動織機の創業者豊田佐吉の子)は「とよだ」と読みます。
こういった個人の名字、あるいは組織、社名が地名となる例は非常に珍しく、もう一つ天理市の例が知られています(言うまでもなく、天理教に由来します)。また、北海道伊達市は仙台藩の一門である亘理伊達家の領主伊達邦成とその家臣たちが集団で移住し開拓したことに由来しています。福島県相馬市も相馬氏(相馬の名字は下総相馬郡に由来する)が治めたことに由来しています。
また、市町村合併などで地名を合成することもあります(近現代に限ったことではない)。大分県の温泉で有名なのが「湯布院」ですが、これは1955年に由布院町と湯平町が合併してできた町名です。文字も合併しています。2005年にさらに合併があって由布市となっています。なお、「湯布院温泉」という名の温泉は存在せず、「由布院温泉」が正しいのですが、音だけでは判断できないので注意が必要です。
平成の市町村合併により新しい地名が生まれる一方で、昔からの地名が消える例も少なくありません。ただ、市町村合併でひらがなの地名や、まったく新たな地名が出てくることは残念に思います。地名には昔の人が込めた思いがあるはずです。それは由来と言います。由来が消えてしまうようで残念に思います。もともと漢字だったものをひらがなにすると、由来がわかりづらくなってしまいます。地名に込めた昔の人の思いもわからなくなってしまうということですよね。
自分の名前であれば、たとえ難しい漢字であっても、学校で習っていない漢字であっても、最初は字体が崩れたとしても、自分の名前は漢字で書きたいと思うのではないでしょうか(下の名前はひらがなの場合もありますが)。それが親や先祖から与えられた、伝えられてきた名前だからではないでしょうか。そこに誇りを感じるからではないでしょうか。
「わかりやすいから」「親しみやすいから」などといった理由で、もとの由来は漢字であった地名がひらがなに変えられてしまうのは残念に思います。
次回からは「戦国人物紹介」、再開です。足利義輝、三好長慶、あたりから松永久秀へ。
雑誌を探しに行ったついでに歴史の本を二冊。
『逆説の日本史17』 井沢元彦
松平定信はもっともっとこきおろしていいと思います。
『ドキュメント信長の合戦』 藤井尚夫
ムック版は長らく買っていなかったのですが、これは即決。
信長ファンなら間違いなく買いでしょう。
もろもろのことに関する最近の説も知りたかったので、じっくり読みます。
『逆説の日本史17』 井沢元彦
松平定信はもっともっとこきおろしていいと思います。
『ドキュメント信長の合戦』 藤井尚夫
ムック版は長らく買っていなかったのですが、これは即決。
信長ファンなら間違いなく買いでしょう。
もろもろのことに関する最近の説も知りたかったので、じっくり読みます。
今回取り上げる蒲生氏郷については、前のブログでも書いていますので、ご参考まで。
http://rakuna.blog.shinobi.jp/Entry/287/
http://rakuna.blog.shinobi.jp/Entry/289/
君主選挙に立候補したのはもはや封印したい黒歴史だなw
地名の話・4
地名を変えるという発想がなくても(普通、地名というものは自分が生まれるよりも先に存在しているものである)、誰かがやれば、それに倣う人が出てきます。その意味では、信長の岐阜改名(独創的かどうかは論じない)はエポックメイキング(画期的)な出来事でした。
これに影響を受けた一人と見られるのが蒲生氏郷です。信長には早くから才能を見抜かれ、娘冬姫を与えられています。「麒麟児」と評するのが適当かもしれません。早世したため過大評価されがちですが、天下を争うほどの器量はなかったものの、信長の娘婿としての気概は持ち合わせていたようです。
本能寺の変後、秀吉に属し、信長の二男信雄の旧領から南伊勢を与えられます。ここにはもともと信雄が松ヶ島城を築いていましたが、氏郷が入ると松坂城を築きました。明治に入ると「松坂」から「松阪」に改められ、現在は松阪市となっています。伊勢松坂(伊勢松阪)と言われますが、有名なのが松阪牛(一般的には「まつさかうし」)。氏郷が改名していなければ松阪牛も違う名前になっていたかもしれません。
氏郷は小田原攻めのあと、会津への転封を命じられます。このときの逸話が、「小国でも都に近いところにいれば一度は天下の功名もなすべきことだが、このような辺境に置かれたならばその志もむなしくなるだろう」と涙したという話です。本能寺の変の際は安土にいて、信長の妻子を護って居城の日野城に退いていますから、天下に変事があったときに「都に近いところにいれば」という気持ちもわからないではありません。さて、会津黒川は蘆名氏の勢力地として栄えましたが、伊達政宗によって蘆名氏が滅ぼされると、政宗の本拠地となります。しかし、すぐに秀吉により会津の地を没収されて、氏郷に与えられることになります。会津に入った氏郷は若松城(鶴ヶ城)を築き、黒川を若松と改めます。氏郷は城下町の整備を進め、これが現在まで続く会津若松市の基礎となります。なお、市制が施行された当初は「若松市」でしたが、福岡県にあった若松市(現在は北九州市の一部)との混同を避けて「会津若松市」としました。会津若松といえば城が有名ですが、2011年に黒瓦から赤瓦葺きに戻される工事が完了しました。

Copyright © 2010, 2011 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
秀吉や三成に毒殺されたというのはまったく根拠がない。
もう一人、黒田長政を挙げておきましょう。黒田氏と言えば、長政の父官兵衛が有名です。名は孝高(よしたか)、号の如水でも知られています。長政は関ヶ原の戦いで東軍に属し、小早川秀秋の寝返り工作を行うなど家康の勝利に大きく貢献します。戦後、筑前五十二万石余を与えられ名島城に入り、福崎に城を築いて福岡と改名します。この「福岡」という地名、もとは黒田家が拠っていた備前福岡に由来しています。移転先に故郷と同じ名前を付けたんですね。備前福岡というと、中世以降、定期市で知られており、福岡市(ふくおかのいち)がありました。
さて、北海道の人にはよくわからないのですが、いまでは「博多」と言うと、一般に「福岡市」の別称とされていますが、どの地域を指すかまでは多岐に渡っているようです。「博多駅」は存在しますが、現在まで「博多市」は存在したことがありません。また、福岡にある空港は「福岡空港」であって、「博多空港」はありません(福岡空港は、地下鉄が直結しており便利)。これはもとはと言うと黒田氏の治世に関係しています。もともと「博多」と「福岡」は別の場所であって、初めに、商人の町であり博多津と呼ばれる港町であった博多があって、福岡城があり武士の町であった福岡は後から築かれた町なんですね。

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父の方。「その時左手は何をしていたか」、これも含めて関ヶ原の時の逸話が大好き。
地名の話、最終回は現代における改名について。組織名や人名から採った地名について取り上げます。さらには市町村合併で次々と誕生したひらがなの地名、違和感がありませんか?
http://rakuna.blog.shinobi.jp/Entry/287/
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君主選挙に立候補したのはもはや封印したい黒歴史だなw
地名の話・4
地名を変えるという発想がなくても(普通、地名というものは自分が生まれるよりも先に存在しているものである)、誰かがやれば、それに倣う人が出てきます。その意味では、信長の岐阜改名(独創的かどうかは論じない)はエポックメイキング(画期的)な出来事でした。
これに影響を受けた一人と見られるのが蒲生氏郷です。信長には早くから才能を見抜かれ、娘冬姫を与えられています。「麒麟児」と評するのが適当かもしれません。早世したため過大評価されがちですが、天下を争うほどの器量はなかったものの、信長の娘婿としての気概は持ち合わせていたようです。
本能寺の変後、秀吉に属し、信長の二男信雄の旧領から南伊勢を与えられます。ここにはもともと信雄が松ヶ島城を築いていましたが、氏郷が入ると松坂城を築きました。明治に入ると「松坂」から「松阪」に改められ、現在は松阪市となっています。伊勢松坂(伊勢松阪)と言われますが、有名なのが松阪牛(一般的には「まつさかうし」)。氏郷が改名していなければ松阪牛も違う名前になっていたかもしれません。
氏郷は小田原攻めのあと、会津への転封を命じられます。このときの逸話が、「小国でも都に近いところにいれば一度は天下の功名もなすべきことだが、このような辺境に置かれたならばその志もむなしくなるだろう」と涙したという話です。本能寺の変の際は安土にいて、信長の妻子を護って居城の日野城に退いていますから、天下に変事があったときに「都に近いところにいれば」という気持ちもわからないではありません。さて、会津黒川は蘆名氏の勢力地として栄えましたが、伊達政宗によって蘆名氏が滅ぼされると、政宗の本拠地となります。しかし、すぐに秀吉により会津の地を没収されて、氏郷に与えられることになります。会津に入った氏郷は若松城(鶴ヶ城)を築き、黒川を若松と改めます。氏郷は城下町の整備を進め、これが現在まで続く会津若松市の基礎となります。なお、市制が施行された当初は「若松市」でしたが、福岡県にあった若松市(現在は北九州市の一部)との混同を避けて「会津若松市」としました。会津若松といえば城が有名ですが、2011年に黒瓦から赤瓦葺きに戻される工事が完了しました。
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秀吉や三成に毒殺されたというのはまったく根拠がない。
もう一人、黒田長政を挙げておきましょう。黒田氏と言えば、長政の父官兵衛が有名です。名は孝高(よしたか)、号の如水でも知られています。長政は関ヶ原の戦いで東軍に属し、小早川秀秋の寝返り工作を行うなど家康の勝利に大きく貢献します。戦後、筑前五十二万石余を与えられ名島城に入り、福崎に城を築いて福岡と改名します。この「福岡」という地名、もとは黒田家が拠っていた備前福岡に由来しています。移転先に故郷と同じ名前を付けたんですね。備前福岡というと、中世以降、定期市で知られており、福岡市(ふくおかのいち)がありました。
さて、北海道の人にはよくわからないのですが、いまでは「博多」と言うと、一般に「福岡市」の別称とされていますが、どの地域を指すかまでは多岐に渡っているようです。「博多駅」は存在しますが、現在まで「博多市」は存在したことがありません。また、福岡にある空港は「福岡空港」であって、「博多空港」はありません(福岡空港は、地下鉄が直結しており便利)。これはもとはと言うと黒田氏の治世に関係しています。もともと「博多」と「福岡」は別の場所であって、初めに、商人の町であり博多津と呼ばれる港町であった博多があって、福岡城があり武士の町であった福岡は後から築かれた町なんですね。
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父の方。「その時左手は何をしていたか」、これも含めて関ヶ原の時の逸話が大好き。
地名の話、最終回は現代における改名について。組織名や人名から採った地名について取り上げます。さらには市町村合併で次々と誕生したひらがなの地名、違和感がありませんか?
有給明けでもいいかと思っていた仕事を今日のうちにわさーっと片付けてしまい、
とてもすっきりしています。休み前にやっておいた方が精神的に楽ですからね。
あとは上の方で書類を片付けていただければ、休暇明けはスムーズに仕事に戻れます。
間違っても、休み中に電話してこないでね(起こされるのが一番困る)
これが逆の立場だと、どうにか電話しないように、自分で片付けようと思うのですが、
わからないとすぐ電話してくる人もいるので・・・それくらいそっちでなんとかせえとw
札幌に遊びに行く計画がなくなったので、さあどうしようか。
とてもすっきりしています。休み前にやっておいた方が精神的に楽ですからね。
あとは上の方で書類を片付けていただければ、休暇明けはスムーズに仕事に戻れます。
間違っても、休み中に電話してこないでね(起こされるのが一番困る)
これが逆の立場だと、どうにか電話しないように、自分で片付けようと思うのですが、
わからないとすぐ電話してくる人もいるので・・・それくらいそっちでなんとかせえとw
札幌に遊びに行く計画がなくなったので、さあどうしようか。