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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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下が使えないのは、仕事を与えずに放っておけば済むが、上が使えないのは、いくら書類を書いても通らないので困る。
 
4月から直属の上司が代わったのだが、初めて課長をやる人なので、なかなかうまくいかない。我々からすれば、本部との橋渡しを上手にやってくれれば、それでいいのだが、最初からその能力がないことを本部に見抜かれてしまっている。こうなると、どれだけいい案件であったとしても、通るものも通らない。下の人の仕事でも自分の仕事であるかのように素早く動いてくれないと、組織は死ぬ。
 
複雑に絡み合った糸、のような話があって、ペーパー1枚にはまとまらないというのもよくある話(とはいえ、多くても2枚以内でまとめなさい、というのが暗黙の了解であり、それ以上長くても読み手は読む気をなくす)。理解力があって、文章も書ける人は、そこをうまくまとめて書くのだが、そうでない人は書いても言葉足らずだったり、逆にだらだらと長かったりして、うまくいかない。
 
そういう話があって、電話で本部に助けを求めると、このもつれた話を聞いて、きれいに解釈して筋道の通った解答を与えるという人もいるのだから、まあ、恐ろしいものである。要は基本の部分があって、そこに乗せて、枝葉を落としていく、ということなのだが、電話一本でこういうことをやってしまうというのは、相当に頭の良い人だなと感心せざるを得ない。
 
上を見て、自分がその立場になったときにどう振舞うべきか、というのは常に自問しなければならない。
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2012年4月の編集後記
 
4月の第1週にはまだ雪が降るという北海道でした。すぐに雪は解けたのですが、その後もなかなか気温が上がらず、肌寒い日が続きました。後半になってようやく春を感じられるようになってきましたね。ストーブはまだ使っています。
 
毎年5月、7月はあまり暖かくならないので、どうなることやら。日の出が早くなりましたが、逆に早く目が覚めて相変わらず熟睡できず、目覚めがよくありません。4月は仕事が忙しかったこともあって、寝つけないことも多く、不眠に拍車がかかりました。連休中にゆっくり体と神経を休めたいところです。それにしても、よく4月を無事に終えられたものです(ペンディングはありましたが)
 
いつもこのブログをご覧になっている方はご存知の通り、4月はほとんど歴史の話をしていません。2月から始めた婚活がようやく本格的に始まって、3分の1が婚活の話になりました。実際に二人の方とお会いしましたが、最初の人は全然ダメ(その場で説教しておけばよかった)、こういうものかと思いましたが、二人目の人は当たり。これから先が楽しみです。
 
5月は研修に試験と勉強続きです。休みも取れないので、6月の再会を目指して、それまでは仕事に励みます。
 
では、また、来月お会いしましょう。
「戦国人物紹介」~九州戦国史~

九州の戦国史を見るために、鎌倉時代までさかのぼる。戦国大名にも鎌倉時代以前より続く名家が多いからである。大友氏と島津氏の初代はいずれも源頼朝の落胤と称しているが、これらはいずれも伝説の域を出ない。大友氏、島津氏に少弐氏を加えた三氏(九州三人衆と呼ばれることもある)が九州の守護の中心であった。
 
元寇では少弐氏、大友氏をはじめとした九州の多くの武士が参加する。戦後処理のために鎮西探題が置かれるが、探題職には執権北条氏の一門が配され、九州でも北条氏の勢力が拡大する。一時は九州のうち六カ国が北条一門の守護国となったほどである。1333年、後醍醐天皇が挙兵すると九州三人衆はこれに呼応し、鎮西探題の北条英時を攻撃して滅ぼした。鎌倉幕府滅亡の三日後である。
 
その後、後醍醐天皇の建武新政が始まるが、足利尊氏は新政権に叛き、鎌倉から上京する。しかし、北畠顕家、楠木正成、新田義貞らに敗れて九州に逃れる。少弐頼尚に迎えられると、1336年、筑前多々良浜の戦いで天皇方の菊池武敏らを破り、態勢を立て直すと、東に向かい、湊川の戦いで楠木正成、新田義貞を破って再び京に入った。
 
三勢力の鼎立
九州には九州探題として一色範氏が残され、大宰府に入ったが、面白くないのが少弐頼尚である。少弐氏は太宰少弐という職に任じられたことを名字の由来とする家である。大宰府を中心に勢力を拡げてきた。1349年、足利尊氏の庶子で尊氏の弟直義の養子となった直冬は尊氏と対立して九州に逃れてくると、頼尚は直冬を擁立して一色範氏と争う。これには敗れるが、先に菊池氏に迎えられていた後醍醐天皇の皇子懐良(かねなが/かねよし)親王と結んで一色範氏を攻撃、1355年には一色範氏を九州から退去させることに成功した。共通敵がいなくなると、南朝方と対立するが、敗れて大宰府を追われた。
 
南朝勢力の躍進と今川了俊
以後、中央では衰退していた南朝勢力だが、九州においては最盛期を迎える。懐良親王は独自に外交を行い、「日本国王良懐」として明から冊封を受ける。
 
さて、中世の九州における人物を一人挙げよと言われれば、今川了俊を選ぶ。
 
今川了俊 【いまがわりょうしゅん】 1326-1420?
 
実はいまだに没年がはっきりしない。名は貞世(さだよ)。了俊は法名である。室町幕府の武将で、南朝勢力の強かった九州に入り、九州平定を成し遂げた武将であるとともに、『難太平記』などの著作を残し、歌人としても知られる人物である。「今川」と言えば、今川義元を思い浮かべる人も多いだろうが、了俊の兄範氏の子孫が義元である。今川氏は足利氏の一門である吉良氏の分かれで、畠山氏や斯波氏、一色氏なども同族である。
 
1370年に足利義満(三代将軍)から九州探題に任じられ、翌年九州へ赴く。当時の九州は菊池氏が奉じる後醍醐天皇の皇子である懐良親王の征西府が九州における南朝の最盛期を築いていた。足利義詮(二代将軍)が斯波氏や渋川氏を九州探題としたがうまくいかず、切り札として送り込まれたのが了俊である。
 
了俊は周防の大内義弘、肥前の松浦党などの協力も得て、当時南朝方に占領されていた大宰府を奪回し、懐良親王、菊池武光らを肥後に追った。1375年、水島の陣において九州三人衆(豊後の大友親世、筑前の少弐冬資、大隅の島津氏久)の来陣を促す。九州探題と対立する少弐冬資は来陣を拒んだが、島津氏久の説得で来陣した。しかし、了俊は陣において冬資を謀殺してしまう(水島の変)。これにより面目を失った島津氏久は了俊から離反、大友親世も了俊に疑いを抱き、了俊は二氏からの協力を得られなくなってしまう。一転して窮地に陥った了俊であったが、大内義弘の援助により態勢を立て直し、大友親世の帰順もあって、再び九州平定に乗り出した。1377年には肥前蜷打の戦いで南朝方に勝利。以後も戦いを続け、1391年には征西府を降伏させ、翌年、南北朝合一を機に菊池氏とも和睦し、二十年余をかけて九州平定を果たす。
 
しかし、九州における勢力拡大を恐れた義満によって九州探題を解任され、遠江と駿河の半国守護となった。1400年には義満によって了俊追討令が出されているが、赦された。晩年は『難太平記』(『太平記』を難じる、欠点を挙げて非難するの意)の執筆などを行い、90歳代半ばで死去した。子孫は遠江今川氏としてのち堀越氏を称するが衰退、江戸幕府の旗本として続いた。
 
その後の九州
了俊が去った後の九州探題には渋川氏が任命されるが、大内氏の後援によってようやく地位を保っていられる状況であった。少弐氏は菊池氏と連合して、探題側とたびたび戦っている。九州探題は衰退し、大内氏と少弐氏が対立するようになる。その少弐氏も大内義興(義隆の父)に敗れると、肥前東部の一勢力に転落。少弐氏の被官であった龍造寺氏が台頭する。大友氏、島津氏は内紛が続いていたが、やがて統一され、戦国大名へと成長していく。

少弐氏は戦国時代に滅び、大友氏は宗麟の子義統が秀吉によって改易され、江戸時代は幕府の高家として続いた。守護大名を経て戦国大名となり、江戸時代も大名として続いた島津氏がいかに名門かおわかりいただけると思う。

負けは負けでしかないのですが、この負け方は惨敗ですね。

この馬を負かすにはこのペース、レース展開しかない、というような絶妙な展開でした。

4歳時(旧表記)、圧倒的な強さを誇り、クラシック三冠と同年での有馬記念制覇を果たしたものの

(シンボリルドルフを含めて3頭しかいない)、

翌年からどうもおかしくなってしまったナリタブライアンと同じような道をたどるのかと危惧します。

血統的に期待されたところも含めてね。

ナリタブライアンの兄(半兄)はビワハヤヒデ(菊花賞、天皇賞・春、宝塚記念)

オルフェーヴルの兄(全兄)はドリームジャーニー(朝日杯FS、宝塚記念、有馬記念)

前走の阪神大賞典でこの馬の恐ろしさは十分すぎるほどにわかったので、

故障していなければいいのですが。

車での遠出は1年半ぶりだったのですが、

いくら運転が好きといっても、1日に400キロも走るとさすがに疲れます。

運転中はスイッチが入るのか、眠くなることはないのですが(その代わり後から来る)、

高速道路を高速でかっ飛ばすので、こう、何と言うか、ヒリヒリしたものがありますね。

日常生活よりは命が危険にさらされているというか(自分でさらしているんだけど)

たまにこういう「非日常」に自らを置くと、リフレッシュされるというか。

今日はそういう抽象的な話です。

運転する人はわかってくれるのではないかと。
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