兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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昨日のサッカーW杯最終予選、オマーン戦はいい試合でしたね。快勝でした。
格下の相手なので、勝って当たり前ですが、そこを勝つのが意外と難しかったりします。
スコアも3-0でまずまずでしたね。相手のGKに2、3点防がれた感じでした。
ほぼ海外勢だけでスタメンを組んで、連携が取れるようになりましたし、
引いて守る相手にも押し込んで点が取れました。
これからまだまだ強い相手が続きますが、この勢いで勝ってほしいですね。
格下の相手なので、勝って当たり前ですが、そこを勝つのが意外と難しかったりします。
スコアも3-0でまずまずでしたね。相手のGKに2、3点防がれた感じでした。
ほぼ海外勢だけでスタメンを組んで、連携が取れるようになりましたし、
引いて守る相手にも押し込んで点が取れました。
これからまだまだ強い相手が続きますが、この勢いで勝ってほしいですね。
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「戦国人物紹介」
042 大友宗麟 【おおともそうりん】 1530-87 (後編)
1567年には再び毛利氏と戦うが、重臣の高橋鑑種が毛利氏に内通して反旗を翻す。これは立花道雪を派遣して鎮圧させる。1569年にも毛利氏の侵攻に遭うが、大内輝弘(大内氏の一族)を周防に上陸させ、毛利軍を撤退させている。1570年、肥前に攻め込むも、今山の戦いで龍造寺隆信に敗れ、弟の大友親貞を失う。以後、この方面では龍造寺氏の勢力伸長を止められなくなってしまう。
1576年には長男の大友義統に家督を譲って丹生島城へ隠居するが、実権は握り続けており、二頭政治を招いたことから、大友氏の政情は混乱してしまう。1578年、島津氏に攻められて日向から逃れてきた伊東義祐の要請に応じ、日向に侵攻する。一説には現在の延岡市に「無鹿」という地名をつけ宗教王国の建設を夢見たという。無鹿(むじか)は「music」の意で、Muse、ゼウスの娘である9人の女神、その技、が原義である(もともと「務志賀」という地名があったともいう)。しかし、耳川の戦いで島津軍に惨敗し、佐伯惟教、田原親賢、田北鎮周、角隈石宗など多くの家臣を失うと、家臣の間には動揺が広がり、1579年には田原親貫(親賢、号紹忍、の本家筋に当たる)、1580年には田北紹鉄(名は鑑富、鑑重。鎮周の兄で養父)などの大友氏庶流や秋月種実、和睦していた龍造寺隆信らの謀叛、離反が相次いだ。島津氏の北上もあり、大友氏は急速に衰退していく。
1586年には自ら大坂城に赴き秀吉に支援を懇請、同年、豊臣軍の先遣隊が派遣される。しかし、戸次川の戦いで島津軍と戦って、長宗我部元親の嫡男である信親が戦死するなど大敗。島津軍は宗麟のこもる豊後に侵入、丹生島城に籠城する宗麟は大砲をもって島津軍を退けるが、大友氏は滅亡寸前まで追い詰められた。1587年、豊臣軍の本隊が到着。秀吉の九州攻めにより島津氏が敗れると、大友氏には豊後一国のみが安堵されたが、宗麟自身は島津氏の降伏直前に豊後津久見で病死した。死因は伝染病、ペストともチフスともいう。
1551年、フランシスコ・ザビエルと面会し、キリスト教の布教を許可、1578年には自らもキリスト教の洗礼を受ける。純粋な信仰心と言うよりは、鉄砲に使う硝石や大砲の輸入、さらには貿易の利益が目的であったというところか。
フランシスコの洗礼名を持つキリシタンであるから、仏教側の史料から見れば暗君であり暴君であるように書かれるところもあるのではないだろうか。家臣の妻を奪ったとか、酒色におぼれたというのは、典型的な暗君、暴君のあり方であり、偏った書かれ方である。
とはいえ、若いころは粗暴だったといい、父義鑑もそんな宗麟(当時は塩法師丸)を嫌い、塩法師丸の弟に家督を継がせようとしたともいう。
天正遣欧使節は大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の三大名が派遣したとされているが、宗麟は関与していなかったという説もある。また、耳川の戦いに至るまでの日向侵攻戦には宗麟も参加しているが、主導したのは子の義統という説もある。あまりに「大友宗麟」という光が強すぎて、何事も彼の功罪にされてしまう嫌いがある。

Copyright © 2010, 2011 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
この人ならこんな格好をしていてもおかしくはない、というのもイメージ。
042 大友宗麟 【おおともそうりん】 1530-87 (後編)
1567年には再び毛利氏と戦うが、重臣の高橋鑑種が毛利氏に内通して反旗を翻す。これは立花道雪を派遣して鎮圧させる。1569年にも毛利氏の侵攻に遭うが、大内輝弘(大内氏の一族)を周防に上陸させ、毛利軍を撤退させている。1570年、肥前に攻め込むも、今山の戦いで龍造寺隆信に敗れ、弟の大友親貞を失う。以後、この方面では龍造寺氏の勢力伸長を止められなくなってしまう。
1576年には長男の大友義統に家督を譲って丹生島城へ隠居するが、実権は握り続けており、二頭政治を招いたことから、大友氏の政情は混乱してしまう。1578年、島津氏に攻められて日向から逃れてきた伊東義祐の要請に応じ、日向に侵攻する。一説には現在の延岡市に「無鹿」という地名をつけ宗教王国の建設を夢見たという。無鹿(むじか)は「music」の意で、Muse、ゼウスの娘である9人の女神、その技、が原義である(もともと「務志賀」という地名があったともいう)。しかし、耳川の戦いで島津軍に惨敗し、佐伯惟教、田原親賢、田北鎮周、角隈石宗など多くの家臣を失うと、家臣の間には動揺が広がり、1579年には田原親貫(親賢、号紹忍、の本家筋に当たる)、1580年には田北紹鉄(名は鑑富、鑑重。鎮周の兄で養父)などの大友氏庶流や秋月種実、和睦していた龍造寺隆信らの謀叛、離反が相次いだ。島津氏の北上もあり、大友氏は急速に衰退していく。
1586年には自ら大坂城に赴き秀吉に支援を懇請、同年、豊臣軍の先遣隊が派遣される。しかし、戸次川の戦いで島津軍と戦って、長宗我部元親の嫡男である信親が戦死するなど大敗。島津軍は宗麟のこもる豊後に侵入、丹生島城に籠城する宗麟は大砲をもって島津軍を退けるが、大友氏は滅亡寸前まで追い詰められた。1587年、豊臣軍の本隊が到着。秀吉の九州攻めにより島津氏が敗れると、大友氏には豊後一国のみが安堵されたが、宗麟自身は島津氏の降伏直前に豊後津久見で病死した。死因は伝染病、ペストともチフスともいう。
1551年、フランシスコ・ザビエルと面会し、キリスト教の布教を許可、1578年には自らもキリスト教の洗礼を受ける。純粋な信仰心と言うよりは、鉄砲に使う硝石や大砲の輸入、さらには貿易の利益が目的であったというところか。
フランシスコの洗礼名を持つキリシタンであるから、仏教側の史料から見れば暗君であり暴君であるように書かれるところもあるのではないだろうか。家臣の妻を奪ったとか、酒色におぼれたというのは、典型的な暗君、暴君のあり方であり、偏った書かれ方である。
とはいえ、若いころは粗暴だったといい、父義鑑もそんな宗麟(当時は塩法師丸)を嫌い、塩法師丸の弟に家督を継がせようとしたともいう。
天正遣欧使節は大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の三大名が派遣したとされているが、宗麟は関与していなかったという説もある。また、耳川の戦いに至るまでの日向侵攻戦には宗麟も参加しているが、主導したのは子の義統という説もある。あまりに「大友宗麟」という光が強すぎて、何事も彼の功罪にされてしまう嫌いがある。
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この人ならこんな格好をしていてもおかしくはない、というのもイメージ。
「戦国IXA」
6月追加の新武将カードで、本多富正がなんと極で登場。
っていうか、本多富正はマニアックすぎるでしょ。
系図的には鬼作左、こと一筆啓上でも知られる本多重次の甥に当たりますが、
メインの活躍は結城秀康(家康の二男で、長男信康の死後は実質の長男でありながら秀吉、
さらに結城氏に養子に出された人物)、その子松平忠直に家老として仕えた人物。
戦国時代の活躍なんてのはほとんどない。
まあ、大坂の陣で越前福井藩は真田幸村を敗死させて、大坂城に一番乗りしていますから、
広い意味では戦国時代ととらえてもいいのでしょうが。
私も「戦国人物紹介」では大坂の陣までやるつもりですし。
にしても、まだ結城秀康も、本多重次も登場していませんし、
松平忠直が出たときは、ちょっとおかしいなーと思っていたのですが。
小説や漫画で出ているのでしょうか。

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申し分ない能力だが、誰かわからないと使う気になれないというのもわかる。
いま一つの能力でも好きだったら育てちゃうしね。
もう一人。
「梅姫」
梅姫で検索しても正しくヒットしません。
誰かと言うと、信玄の娘で北条氏政の室となった、黄梅院のことのようです。
ただし、オフィシャルには梅姫という名前は出てきません。
(梅姫、名前が梅だった可能性は高いが)

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豊臣秀次の側室で、秀次に連座した駒姫だとか、カードがおっさんだらけになってしまうよりは、
花があっていいのですが。
6月追加の新武将カードで、本多富正がなんと極で登場。
っていうか、本多富正はマニアックすぎるでしょ。
系図的には鬼作左、こと一筆啓上でも知られる本多重次の甥に当たりますが、
メインの活躍は結城秀康(家康の二男で、長男信康の死後は実質の長男でありながら秀吉、
さらに結城氏に養子に出された人物)、その子松平忠直に家老として仕えた人物。
戦国時代の活躍なんてのはほとんどない。
まあ、大坂の陣で越前福井藩は真田幸村を敗死させて、大坂城に一番乗りしていますから、
広い意味では戦国時代ととらえてもいいのでしょうが。
私も「戦国人物紹介」では大坂の陣までやるつもりですし。
にしても、まだ結城秀康も、本多重次も登場していませんし、
松平忠直が出たときは、ちょっとおかしいなーと思っていたのですが。
小説や漫画で出ているのでしょうか。
Copyright © 2010, 2011 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
申し分ない能力だが、誰かわからないと使う気になれないというのもわかる。
いま一つの能力でも好きだったら育てちゃうしね。
もう一人。
「梅姫」
梅姫で検索しても正しくヒットしません。
誰かと言うと、信玄の娘で北条氏政の室となった、黄梅院のことのようです。
ただし、オフィシャルには梅姫という名前は出てきません。
(梅姫、名前が梅だった可能性は高いが)
Copyright © 2010, 2011 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
豊臣秀次の側室で、秀次に連座した駒姫だとか、カードがおっさんだらけになってしまうよりは、
花があっていいのですが。
婚活中に「結婚願望」という言葉を聞くことがありますが、
結婚って、結婚するだけじゃダメなんだよね。
結婚して二人でどうしたいか、どういう生活を送るか、
そういうところが漠然とであってもないと考えていないとダメだと思います。
一般的に。
(女性が)結婚後も仕事を続けたいと思ったら、
お互いが通勤圏内の場所に居を構えなければなりませんし、
子供ができたら休職、あるいは退職しなければなりませんし、
復職できるか、再就職できるか、考えなければなりません。
たとえ、相手とフィーリングが合って、いい人だな、と思っても、
現実を考えなければなりません。
好きだからと言って結婚できるわけではありません。
(したらしたになるのでしょうが)
いまお話ししている人は私からすれば結構な年下になるのですが、
何を考えて申し込みされたんでしょうかね。
(婚活ではなくて)普通に恋愛できる年だと思いますけど。
私に何を見るのでしょうか。
結婚って、結婚するだけじゃダメなんだよね。
結婚して二人でどうしたいか、どういう生活を送るか、
そういうところが漠然とであってもないと考えていないとダメだと思います。
一般的に。
(女性が)結婚後も仕事を続けたいと思ったら、
お互いが通勤圏内の場所に居を構えなければなりませんし、
子供ができたら休職、あるいは退職しなければなりませんし、
復職できるか、再就職できるか、考えなければなりません。
たとえ、相手とフィーリングが合って、いい人だな、と思っても、
現実を考えなければなりません。
好きだからと言って結婚できるわけではありません。
(したらしたになるのでしょうが)
いまお話ししている人は私からすれば結構な年下になるのですが、
何を考えて申し込みされたんでしょうかね。
(婚活ではなくて)普通に恋愛できる年だと思いますけど。
私に何を見るのでしょうか。
大友宗麟はそういうことで、後編に続くが、
まあ、そういう人がいたということで認識いただければよいのだが、
リアルに生きる私としてはリアルの案件が最大の問題なのである。
会社に入って何年かは、目標(ノルマ)が与えられるとしても、
それは個人の目標である。店の目標を左右するほどの実力もないし期待もされない。
が。役がついた人間は別である。
率先して店の数字(目標)をこなす、牽引することが求められる上に、
個人の目標に加えて、店の目標を達成することが求められる。
店の目標の前では個人の目標などは小さなものだ。
(個人の目標で苦しんでいた時が嘘のように)
個人で目標に突き進んでもいいし、その能力は持っているのだが、
はっきり言ってめんどくさいのである。
金額が変わる(桁数が二つくらい上がる)と言えど、
交渉して契約して…の流れはいままでの仕事と何ら変わるところはない。
自分にしかできないエッセンス(要素)を抜き出して、
そこだけやって、あとは部下にやらせた方が楽なのである。
と思いつつも、頼りがいのない部下にはやらせるわけにはいかないので、
しぶしぶ全部自分でやるのだが、これをいつまでも続けるわけにはいかない。
役がつくと部下(時に別の部署の後輩まで)を育てなければいけないのだが、
これが育たないのである。
同じミスをいつまでも繰り返すわ、言ってもわからないわ、なので、
どこまで行ってもレベルアップしてくれないのである。
こりゃまあ、能力の限界なのかな、と思ってあきらめて、
また自分で全部の仕事をこなしていくのだが、面倒なのである。
手が速くてミスのない後輩がいてくれたらと思うのだが、
自分で二役こなすしかないのである。
組織としては恐ろしいことである。これは構造的な問題である。
で、今日書きたいのはそういうことではなく、
困ったことに上にも困った人が多いということである。
急速にパソコン化が進んで、さらに慣れたころにシステムが入れ替わる、
という二重苦、三重苦があって、ある年代から上の人になると、
急激にパソコンを使いこなせないのである。
教えるのもめんどくさいので、自分でやってしまうかということになるが、
要は、上の人も使えないし、下の人も使えない、
という、まさに中間管理職的な悩みを抱えて、
会社行きたくねーな、と思うのである。
(仕事をしたくないわけではない)
若いころ、目標が達成できずに仕事を辞めたいと考えていたのとは、
また別の悩みが生じてきたと言っていい。
自分の中ではまだ小さい悩みだけど、これからどんどん大きくなりそう。
店長が有能だからやっていけるけど、これで上が全滅したら投げるよ。
まあ、そういう人がいたということで認識いただければよいのだが、
リアルに生きる私としてはリアルの案件が最大の問題なのである。
会社に入って何年かは、目標(ノルマ)が与えられるとしても、
それは個人の目標である。店の目標を左右するほどの実力もないし期待もされない。
が。役がついた人間は別である。
率先して店の数字(目標)をこなす、牽引することが求められる上に、
個人の目標に加えて、店の目標を達成することが求められる。
店の目標の前では個人の目標などは小さなものだ。
(個人の目標で苦しんでいた時が嘘のように)
個人で目標に突き進んでもいいし、その能力は持っているのだが、
はっきり言ってめんどくさいのである。
金額が変わる(桁数が二つくらい上がる)と言えど、
交渉して契約して…の流れはいままでの仕事と何ら変わるところはない。
自分にしかできないエッセンス(要素)を抜き出して、
そこだけやって、あとは部下にやらせた方が楽なのである。
と思いつつも、頼りがいのない部下にはやらせるわけにはいかないので、
しぶしぶ全部自分でやるのだが、これをいつまでも続けるわけにはいかない。
役がつくと部下(時に別の部署の後輩まで)を育てなければいけないのだが、
これが育たないのである。
同じミスをいつまでも繰り返すわ、言ってもわからないわ、なので、
どこまで行ってもレベルアップしてくれないのである。
こりゃまあ、能力の限界なのかな、と思ってあきらめて、
また自分で全部の仕事をこなしていくのだが、面倒なのである。
手が速くてミスのない後輩がいてくれたらと思うのだが、
自分で二役こなすしかないのである。
組織としては恐ろしいことである。これは構造的な問題である。
で、今日書きたいのはそういうことではなく、
困ったことに上にも困った人が多いということである。
急速にパソコン化が進んで、さらに慣れたころにシステムが入れ替わる、
という二重苦、三重苦があって、ある年代から上の人になると、
急激にパソコンを使いこなせないのである。
教えるのもめんどくさいので、自分でやってしまうかということになるが、
要は、上の人も使えないし、下の人も使えない、
という、まさに中間管理職的な悩みを抱えて、
会社行きたくねーな、と思うのである。
(仕事をしたくないわけではない)
若いころ、目標が達成できずに仕事を辞めたいと考えていたのとは、
また別の悩みが生じてきたと言っていい。
自分の中ではまだ小さい悩みだけど、これからどんどん大きくなりそう。
店長が有能だからやっていけるけど、これで上が全滅したら投げるよ。