兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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南鳥島レアアース開発は30年かけても難しい(東洋経済オンライン)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130329-00013478-toyo-bus_all&p=1
こういった冷静な意見も。
どれが正しいんだろうね。
ナショナリズムに踊らされているような気がします。
「レアアースはレアではない。需要がレアなだけ」
というのは説得力があります。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130329-00013478-toyo-bus_all&p=1
こういった冷静な意見も。
どれが正しいんだろうね。
ナショナリズムに踊らされているような気がします。
「レアアースはレアではない。需要がレアなだけ」
というのは説得力があります。
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婚活している人は、自分の気持ちに素直になった方がいいですね。
きっとその方がうまく行きやすいと思います。
2回目、3回目会うってことは、
相応の好意があるということですから、
好きな気持ちがあるなら、自信を持って、想いを告げた方がいいと思います。
これは男性だけに限りません。
告白は男性がすべきと考えるのは男女とも同じですが、
女性もアピールは必要です。
ここで駆け引きは不要です。
お相手にも競合相手がいるのに、引いてしまっては、
別の相手に行ってしまいます。
そこは恋愛とは違います。
きっとその方がうまく行きやすいと思います。
2回目、3回目会うってことは、
相応の好意があるということですから、
好きな気持ちがあるなら、自信を持って、想いを告げた方がいいと思います。
これは男性だけに限りません。
告白は男性がすべきと考えるのは男女とも同じですが、
女性もアピールは必要です。
ここで駆け引きは不要です。
お相手にも競合相手がいるのに、引いてしまっては、
別の相手に行ってしまいます。
そこは恋愛とは違います。
「選抜」というシステムのよくわからない野球はスルーしていますが、
プロ野球の開幕となると、試合を見てしまいますよね。
我らがドラゴンズは負けてしまいましたが…。
(今年は何試合やるかわかりませんが)
開幕戦に負けても、百何十分の一、だから、
という言い方をする人がいますが、
負けたチームはそれで切り替えるかもしれませんが、
やっぱり開幕戦に勝つというのは気持ちが違いますよね。
今年も巨人が圧倒的に強いと思いますが、
ドラゴンズはAクラスをキープできるでしょうか…。
よりによって、開幕戦から、去年ドラゴンズにいたブランコにやられるなよ!
今年のDeNAとの戦いは因縁の対決になりそうです。
プロ野球の開幕となると、試合を見てしまいますよね。
我らがドラゴンズは負けてしまいましたが…。
(今年は何試合やるかわかりませんが)
開幕戦に負けても、百何十分の一、だから、
という言い方をする人がいますが、
負けたチームはそれで切り替えるかもしれませんが、
やっぱり開幕戦に勝つというのは気持ちが違いますよね。
今年も巨人が圧倒的に強いと思いますが、
ドラゴンズはAクラスをキープできるでしょうか…。
よりによって、開幕戦から、去年ドラゴンズにいたブランコにやられるなよ!
今年のDeNAとの戦いは因縁の対決になりそうです。
仕事に区切りをつけて、帰りに居酒屋でビールを一杯、
というのは一つの儀式ですね。
今日は年度末の締めの日でしたが、
何もなく、定時に帰ってきました。
部屋飲み。
こんなことは初めてだなあ。
というのは一つの儀式ですね。
今日は年度末の締めの日でしたが、
何もなく、定時に帰ってきました。
部屋飲み。
こんなことは初めてだなあ。
『信長の野望 天翔記辞典』のような文章が書ければ、と思っていますが、「戦国人物紹介」はそういうノリではないので…。まあ、ノリなんてものは壊せばいいのですが。
島津義久について抜粋してみると、「(略)勇猛な弟たちに先陣を任せて九州攻略を進めていた。このため当時の島津家の武勇談は弟たちに関するものばかりで、加えて男子がいないために当主の座を弟義弘に譲るし、関ヶ原の戦後は西軍についた義弘の尻ぬぐいをするなど、損な役回りばかりを務めている」という感じですが、結構まともな文章ですね。もっと崩れた文章がいいのですが。
(義弘が当主であったかには、肯定する説と否定する説がある)
秀吉の九州攻めにしろ、関ヶ原の戦いにしろ、戦後処理という損な役回りが多かったのは事実でしょうね。
義弘は「島津の退き口」と言われた、敵中突破、前進撤退という離れ業をやってのけましたが、義弘が西軍に属したというのは、ただでさえ警戒されがちな島津氏を窮地に追いやったわけです。まあ、鳥居元忠が伏見入城を拒否したのが悪いのですが…維新で島津氏が討幕側に転じたのも、鳥居元忠が遠因か…。
家康からは義弘に対して、伏見城の守備に協力を要請されていたと言いますし(ただ、これは後世の後付けの可能性もある)。伊集院忠真の庄内の乱にしても家康が仲介していますし(秀吉死後の政権代行者、という立場を差し引いても、家康自らの考えがあって仲介したのであろう)、島津氏と家康って、そんなに仲が悪いわけではなくて、島津氏の方はむしろ恩義を感じていたかもしれません。
江戸時代に入っても、島津氏は基本的に佐幕的な態度でしたし。毛利氏のように、徳川幕府と積極的に戦う理由というのはないんですよね。
義久についてもう少し補足しておきます。男子がおらず、三女亀寿を義弘の子忠恒に嫁がせたことは書きましたが、忠恒と亀寿は不和だったらしく(子もなかった…ただし、子がなかったことが不仲の証明にはならない)、次女の子久信を当主にしようと画策していたとも言います。こうなってくると、兄弟仲は良かったのか、悪かったのか、よくわかりませんね。
さて、弟義弘の方は、晩年になると、一人で食事も取ることが難しいほどに体が衰えましたが、家臣が「殿、戦でございまする」と言うと、目を見開いて、食事をしたと言います。このエピソードは好きです。
義弘は、関ヶ原の時に書こうと思うので、次回は歳久、家久の兄弟についてです。
島津義久について抜粋してみると、「(略)勇猛な弟たちに先陣を任せて九州攻略を進めていた。このため当時の島津家の武勇談は弟たちに関するものばかりで、加えて男子がいないために当主の座を弟義弘に譲るし、関ヶ原の戦後は西軍についた義弘の尻ぬぐいをするなど、損な役回りばかりを務めている」という感じですが、結構まともな文章ですね。もっと崩れた文章がいいのですが。
(義弘が当主であったかには、肯定する説と否定する説がある)
秀吉の九州攻めにしろ、関ヶ原の戦いにしろ、戦後処理という損な役回りが多かったのは事実でしょうね。
義弘は「島津の退き口」と言われた、敵中突破、前進撤退という離れ業をやってのけましたが、義弘が西軍に属したというのは、ただでさえ警戒されがちな島津氏を窮地に追いやったわけです。まあ、鳥居元忠が伏見入城を拒否したのが悪いのですが…維新で島津氏が討幕側に転じたのも、鳥居元忠が遠因か…。
家康からは義弘に対して、伏見城の守備に協力を要請されていたと言いますし(ただ、これは後世の後付けの可能性もある)。伊集院忠真の庄内の乱にしても家康が仲介していますし(秀吉死後の政権代行者、という立場を差し引いても、家康自らの考えがあって仲介したのであろう)、島津氏と家康って、そんなに仲が悪いわけではなくて、島津氏の方はむしろ恩義を感じていたかもしれません。
江戸時代に入っても、島津氏は基本的に佐幕的な態度でしたし。毛利氏のように、徳川幕府と積極的に戦う理由というのはないんですよね。
義久についてもう少し補足しておきます。男子がおらず、三女亀寿を義弘の子忠恒に嫁がせたことは書きましたが、忠恒と亀寿は不和だったらしく(子もなかった…ただし、子がなかったことが不仲の証明にはならない)、次女の子久信を当主にしようと画策していたとも言います。こうなってくると、兄弟仲は良かったのか、悪かったのか、よくわかりませんね。
さて、弟義弘の方は、晩年になると、一人で食事も取ることが難しいほどに体が衰えましたが、家臣が「殿、戦でございまする」と言うと、目を見開いて、食事をしたと言います。このエピソードは好きです。
義弘は、関ヶ原の時に書こうと思うので、次回は歳久、家久の兄弟についてです。