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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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年度末、年度初めの忙しさから解放されて(いまごろ!)、
ほぼ巡航速度に戻りました。

ようやくやりたい仕事ができるようになりましたが、
もしかしたら、時既に遅しかもしれません。
だいたいそういうものです。

こういうときは、自分の手からいまの仕事が離れることを
考えていますが(言い換えれば期待している)、
もしかしたら、やりたくない仕事も含めたいまの仕事を
そのままに、さらに新しい仕事が増える可能性もあります。

その前にどこかに飛ばされる可能性もゼロではありませんが。
別に自分の仕事自体のレベルが高いわけではありませんが、
新しい人が一からやって(せめて基礎知識は持っていてほしいが)、
すぐにできる仕事ではないんですよね。
慣れるまでは、時間もパワーもかかります。

それを表面は平然とこなしているわけですから、
周りの人から大した苦労をしていない、
それほどレベルの高い仕事をしているわけではない、
と思われてもやむを得ない部分はあります。

上司にはそれなりの評価はされていると思いますが、
どうしても事務方、というか、事務屋としての色が抜けませんから、
相応の評価なのか、そこは自信がありません。

結局は、自分はこういうこともできます、とアピールしなければ、
ステップアップはしないわけで(サラリーマンとはそういうものである)、
露骨なアピールプレーは苦手なだけに、苦しむところです。

目立たずに、コツコツと静かに自分の仕事を片づけていきたい、
というのは、それこそ事務屋の性分かなとは思います。

いまのやりたい仕事は、それこそアピールする絶好の機会ではありますが、
先述のように少しばかり遅かったかもしれません。

今月のうちに、いくつ成果を出せるか、形にできるかですね。
もちろん、自分のためだけではなく、後の人のためにもね。

自分だけが脚光を浴びて、後の人が尻拭いをさせられるというのは
もっとも嫌うところで、むしろ、その逆を歩んできましたから、
・・・後ろ向きの仕事でも、仕事があるだけありがたいのです。

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『戦国人名事典』の南部利直の項を読んでいると、
「おりから領内の産金著しく財政に恵まれ近世的支配体制が進展した」とあります。

南部領に金山なんかあったかな、と思って、
『寛政重修諸家譜』を開いてみました。

慶長十七年、秀忠が利直の屋敷を訪れると、
いろいろなものを下賜しますが、その中に「白銀五百枚」というのがあります。

利直がお返しをするのですが、
「所領の白根山吹のこがね五十枚を献ず」(原文ママ)とあります。

「山吹(色)=黄金(色)」かと思いましたが、
続きを読んでいくと、「白根山で吹いた金」のようです。
白根山とは、尾去沢(おさりざわ)鉱山のことで、
現在では閉山していますが、地理的には秋田県鹿角市で、
青森県、岩手県、秋田県の県境になります。

次に、慶長十八年、利直は駿府の家康に拝謁しますが、
ここでも、「封内白根山に産する金若干を献ず」とあり、
さらに、「いとま申(す)のとき献ずるところのこがねのうち百三十枚を賜ふ」
とあります。家康に金(贈答用であれば大判か)を献上しますが、
キャッシュバックされたようです。

翌年の大坂冬の陣では、家康が次のような雑談をしていたのを伝え聞きます。
「日本の薫陸は南部領の産を以て第一とする」と。
そこで、今度は「貯ふるところの薫陸を献」じています。

「薫陸」とはあまり聞きませんが、「くんろく」と読んで、
香料、薬剤として使われる石のようなものです(樹脂)。
小判の仕上げに使われる薬剤の一つで、現在も岩手県で産出されます。
インターネットでも販売されているので、
検索してみると、どういうものか確認できます。

たしかに、『寛政譜』を読んでいると、金銀、というか、
金とその関係の物がザクザク取れていた印象を受けます。

大坂の陣では、家臣であった北信景(北信愛の養子)が南部十左衛門を名乗って、
豊臣方に味方し、その派手ないでたちから「南部の光り武者」と称されますが、
南部といえば、金が連想されたのでしょう。
なお、家中から豊臣方に味方した者が出たことは、
戦後、利直が追及される原因になります。
「関ヶ原の戦い・大名一覧」で次の南部利直を書きつつ、前から感じていた疑問。

利直は関ヶ原の戦いのあとで、西軍の将四人を預けられるんですけど、以下の四人です。

石川貞清(光吉、三吉)
宮部長房(長煕、定行)
岸田忠氏(晴澄)
松浦宗清(定一)

かっこ書きで別名を書きましたが、この人々に限らず、敗者は名前が確定しないことが多いような気がします。

家が滅んでしまうと、後世に伝える人がいないということで、当時の記録などで通称だけが伝わっていて実名が伝わらない場合、あるいは名前だけでなく、生年や没年がわからない場合も多々あります。

家が残っていても、その家の史家が怠慢だったのか、そもそも当時の記録が乏しかったのか、伝わらない場合もあります。

ただ、名前については、勝者はあまりそういうことがないように見えるのは、そう見えるだけで、実際は勝者も敗者も少なからず名前を変えていたということなのかも。

信長も秀吉も名前は変わりませんが、家康は元信、元康、家康と変わっています。

ただ、家康を認識する時に、家康と言えば間違いなく認識できますが、上の四人みたいな例は、どれを「主たる名前」として採り上げるべきか、判断の材料が少なすぎます。

要は、家康の一代記を書こうとしたら、「松平元信の一生」とは書きませんよね。人名事典の索引で松平元康を引いたら、「徳川家康を見よ」となりますよね。



北朝鮮は、結局、朝鮮総連の本部ビルの競売の件でごねるんでしょ?
本田、本田、香川、と言いますけど、

キプロス戦を観た限りでは、どちらも精彩を欠きますね。

W杯でまともに動けるのは長友と遠藤くらいではないでしょうか。

残り2週間でどこまで取り戻せるでしょうか。


1次リーグは1勝1敗1分けで2位通過できれば上出来というところで、

3戦全敗、勝ち点なしもあり得ると思っています。


TVCMや本を見かけますが、

選手としてはいまが稼ぎ時かもしれません。

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