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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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「戦国人物紹介」

あの人のご先祖様
 
045 蒲池鑑盛 【かまちあきもり】 1519-78
 
「信長の野望・覇王伝」 政治71 戦闘67 智謀38 采配75 野望16
 
前回、龍造寺家兼を書くと言いながら、地方B級武将を取り上げるのは、子孫が再々婚したからである、と言いたいところだが、順番が逆であった。先に書いていたところ、松田聖子(蒲池法子)のニュースが入ってきたのだった。ともかく、どこからでも自在にネタを繰り出せるのが書いていて楽しいところである。
 
蒲池氏というと宇都宮氏の流れを組む筑後の武将である。いままで九州の戦国史を書いてきて旧国名と現在の都道府県名の関係は触れてこなかったが、筑後国はいまの福岡県南部であり、有明海に面した地域である。豊後(大分県)を中心としていた大友氏の勢力であるが、こんなところまで伸びていたのである。蒲池氏の歴代の名を見ても、大友氏の影響がうかがえる。鑑盛の父は鑑久だが、いずれも大友義鑑からの一字拝領だろう。
 
筑後では大身の大名と言っていい存在であったが、鑑盛は大友氏に従って耳川の戦いで戦死する。一方で、龍造寺家兼や隆信を庇護するなど義心に篤い武将として知られる。この人がいなければ龍造寺氏の後の興隆もなかったであろう。蒲池氏は耳川の戦い以降、龍造寺氏に属すが、のち隆信に攻められていったん滅亡する。二代に渡って大恩を被りながら、自らの野心のためには滅ぼすことも躊躇ないあたりは龍造寺隆信の残忍なところである。庶流が生き残って家名を伝えた。
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