兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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名前の議論があるわけですが、私は宇多田ヒカルを全面的に擁護します。
ツイッターから引用しますが、
宇多田「最近日本では風変わりな名前の子供が多いらしいけど、絶対読めない名前とか、日本語っぽくない名前とか、ちょっとかわいそうだなと思う。親御さんたちは愛情をもって名付けたんだろうけど…」
ある人「可哀想って失礼ぢゃない?一生懸命考えて付けた名前を可哀想は失礼。可哀想か可哀想ぢゃないか、決めるのは子供だょ。最低な考え」
宇多田「たしかにかわいそうは失礼だったかもしれないですね。」
日本語が正しく使えない人に批判されたくないですが(「ぢゃ」→「じゃ」、「だょ」→「だよ」、そもそも何でも小文字にするのは気持ち悪い)、それに引用は正しく行わないとダメですね。「かわいそう」は「可哀想」と同一ではありません。
ある人にとっては極上のものでも、別の人にとっては不快なものというのはあるわけで、名前に関しても「DQNネーム」とか「キラキラネーム」とか、そういう単語自体がこの問題の存在を表しています(要するに価値観が対立している)
ただ、ほかの似たような問題と一線を画しているのは、現代の日本では名前は親がつける、まあ、おじいちゃんやおばさんがつけることがあるかもしれませんが、ともかく、自分の名前は他人がつけたものということです。自分で自分の名前は決められません(あくまで基本的にはの話であって、理由があれば変更することはできないわけではない)
これには、人名に使える漢字は決められている一方で、読みには制限がないということも影響しています。「太郎」と書いて、「はなこ」と読みを振っても問題はありません(ただし、実際問題として役所の窓口は通らないと思いますが)
価値観は時代によって変わるものですから、グローバル化(?)のせいか、英語っぽい読みにする例も増えていますが、まだまだ世間全体に受け入れられるまでには至っていないのではないでしょうか。
小野妹子(おののいもこ)という7世紀の男性がいますが、いまの時代に、男の子に「妹子(いもこ)」とつけるのは抵抗がありますし、そういう名前を見たら、(自分でつけた名前ではないので)「かわいそう」と思うことでしょう。
蘇我蝦夷(そがのえみし)も7世紀の人物ですが、「蝦夷」は言うまでもなく、東北以北の異民族(えぞ、えみし)のことで、異民族の強さにあやかった名前かと思いますが、いまの価値観からすればこれも少し変わった名前です。一方で、九州南部にいた異民族に「隼人(はやと)」がいますが、これはいまの名前にしても違和感はありません。2号ライダーが一文字隼人でしたっけ。少し古いかもという感じはありますが。さすがに「蝦夷」くんは現在ではどうかなと思います。
話を最初に戻すと、いわゆる「DQNネーム」や「キラキラネーム」というのは親がつけた名前であって、自分でつけた名前ではありません。「一般的な」価値観からすれば、そんな名前をつけられてかわいそう、と思うのは当然であって、ましてや一生懸命考えた名前がそんな名前であったら、なおかわいそうです。一生懸命やったら何でも正当化されるわけではありません。
ツイッターから引用しますが、
宇多田「最近日本では風変わりな名前の子供が多いらしいけど、絶対読めない名前とか、日本語っぽくない名前とか、ちょっとかわいそうだなと思う。親御さんたちは愛情をもって名付けたんだろうけど…」
ある人「可哀想って失礼ぢゃない?一生懸命考えて付けた名前を可哀想は失礼。可哀想か可哀想ぢゃないか、決めるのは子供だょ。最低な考え」
宇多田「たしかにかわいそうは失礼だったかもしれないですね。」
日本語が正しく使えない人に批判されたくないですが(「ぢゃ」→「じゃ」、「だょ」→「だよ」、そもそも何でも小文字にするのは気持ち悪い)、それに引用は正しく行わないとダメですね。「かわいそう」は「可哀想」と同一ではありません。
ある人にとっては極上のものでも、別の人にとっては不快なものというのはあるわけで、名前に関しても「DQNネーム」とか「キラキラネーム」とか、そういう単語自体がこの問題の存在を表しています(要するに価値観が対立している)
ただ、ほかの似たような問題と一線を画しているのは、現代の日本では名前は親がつける、まあ、おじいちゃんやおばさんがつけることがあるかもしれませんが、ともかく、自分の名前は他人がつけたものということです。自分で自分の名前は決められません(あくまで基本的にはの話であって、理由があれば変更することはできないわけではない)
これには、人名に使える漢字は決められている一方で、読みには制限がないということも影響しています。「太郎」と書いて、「はなこ」と読みを振っても問題はありません(ただし、実際問題として役所の窓口は通らないと思いますが)
価値観は時代によって変わるものですから、グローバル化(?)のせいか、英語っぽい読みにする例も増えていますが、まだまだ世間全体に受け入れられるまでには至っていないのではないでしょうか。
小野妹子(おののいもこ)という7世紀の男性がいますが、いまの時代に、男の子に「妹子(いもこ)」とつけるのは抵抗がありますし、そういう名前を見たら、(自分でつけた名前ではないので)「かわいそう」と思うことでしょう。
蘇我蝦夷(そがのえみし)も7世紀の人物ですが、「蝦夷」は言うまでもなく、東北以北の異民族(えぞ、えみし)のことで、異民族の強さにあやかった名前かと思いますが、いまの価値観からすればこれも少し変わった名前です。一方で、九州南部にいた異民族に「隼人(はやと)」がいますが、これはいまの名前にしても違和感はありません。2号ライダーが一文字隼人でしたっけ。少し古いかもという感じはありますが。さすがに「蝦夷」くんは現在ではどうかなと思います。
話を最初に戻すと、いわゆる「DQNネーム」や「キラキラネーム」というのは親がつけた名前であって、自分でつけた名前ではありません。「一般的な」価値観からすれば、そんな名前をつけられてかわいそう、と思うのは当然であって、ましてや一生懸命考えた名前がそんな名前であったら、なおかわいそうです。一生懸命やったら何でも正当化されるわけではありません。
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