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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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「平清盛」は見ていませんが、もうすぐ保元の乱のようです。

乱の主要な登場人物の一人である崇徳院と言えば、日本最大の怨霊としても知られています。いわゆる「○○天皇」などの諡は(原則として)あとから付けられるもので、崇徳院も当時は「新院」などと呼ばれていましたが、名前に「徳」が入る天皇(実在はともかく、聖徳太子も含めようか)は恨みを抱えて死んだ天皇で、祟らないように「徳」という漢字をつけて鎮魂したという説があります。

保元の乱で敗れた崇徳院は讃岐に流されますが、血で仏教の写本を書いたという話があります(墨で書いたという説もある)。これを後白河法皇に送りましたが、法皇は呪いがかけられているのではないかと疑って、写本を送り返すと、これに怒った崇徳院は舌を噛み切って「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と血で書いて、爪や髪を伸ばし続けて夜叉のような姿となり、生きながら天狗になったとされています。
 
要するに王を庶民に落とし、庶民を王とする、という呪いであるから、凄まじい。
 
乱後は罪人として扱われましたが、祟りと思われる凶事・変事が相次いだために、朝廷も院号を「讃岐院」から「崇徳院」に改めるなどの対応を取っています。
 
明治天皇は即位にあたって、讃岐に勅使を遣わし、御霊を京へ帰させて白峯神宮を建て、昭和天皇も没後八百年に当たる1964年、崇徳天皇陵に勅使を派遣しています。
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