兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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「戦国人物紹介」外伝
199 豊臣秀吉 【とよとみひでよし】
「羽柴」の名乗りについての考察・1
下の名前をもらう
人から字をもらうということですが、先に下の名前について考えてみましょう。家臣が主君から一字を賜ることはよくあることで、「偏諱(へんき)」「諱(いみな)」というものです。戦国大名が足利将軍家から一字を賜った例は東北から九州まで数多くあります。 例えば足利義輝の偏諱を賜ったものとしては、伊達輝宗(政宗の父)、上杉輝虎(謙信)、毛利輝元など。義輝の初名は義藤ですが、「藤」の字を賜ったのが細川藤孝(幽斎)など。武田義信など、「義」の字を賜った例も多くあります。ただし、通常、賜った字を下につけることはありません。主君の名前の下の字を賜って、自分の名前の上につけることが多く、自分の名前の下の字はその家の「通字」になる例が多く見られます。
具体的に見てみましょう。独眼竜政宗で有名な伊達氏から。この「政宗」は中興の祖であるご先祖様にあやかってつけた名前で(後日別途記述)、ご先祖様の方は官職から大膳大夫政宗と呼ばれます(銀閣寺、応仁の乱で知られる足利義政とは無関係)。大膳大夫政宗以降の系譜は以下のようになっています。なお、伊達氏の場合は「宗」の字が通字です(必ずつくというわけではない)。
政宗(大膳大夫)-氏宗-持宗-成宗-尚宗-稙宗-晴宗-輝宗-政宗
氏宗:鎌倉公方足利氏満から一字を賜る。
持宗:鎌倉公方足利持氏ではなく四代将軍足利義持から一字を賜ったと思われる。
成氏:古河公方足利成氏と思われるが、そうなると「なりうじ」ではなく、「しげうじ」と読むことになる。
尚宗:九代足利義尚から。「よしひさ」なので「なおむね」でなく「ひさむね」と読む。
稙宗、晴宗、輝宗:十代義稙、十二代義晴、十三代義輝から。
ちなみに、政宗の子ですが、庶長子は秀吉から一字を賜って秀宗と名乗りましたが、本家を継げず、大坂の陣後に伊予宇和島を与えられました。幕末の藩主が四侯会議に参加した宗城(むねなり)です。一方、政宗の二男(正室の子)は徳川秀忠より一字を賜って忠宗と名乗り、仙台藩の藩主を継ぎます。

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剣豪将軍。名刀蒐集家。

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子政宗の器量を早くから見抜いていましたが、凶刃に斃れます。
もう一つ、毛利氏の例を見てみましょう。毛利氏と言えば、陶晴賢(隆房)との厳島の戦い、三本の矢の逸話などで有名なのが元就(戦国随一の謀将と評してよい)ですが、元就の前後はこのようになっています。
煕元-豊元-弘元-元就-隆元-輝元
煕元、豊元:山名氏からの偏諱。
弘元:大内政弘(義隆の祖父)から。
隆元:大内義隆から。
輝元:足利義輝から。
毛利氏が独立する前は、山名氏や大内氏に属していたことがわかります。そういえば、元就はというと、この人は二男なんですね(二男だから偏諱がないということではない)。元就の兄は興元といって、大内義興(義隆の父)から一字を賜っていますが若くして死去します。その子幸松丸も九歳で死去したため、元就が毛利氏の家督を継ぐことになります。

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まさかの眼鏡武将w 終わりがよくないので評価は低いが、実力はもっと評価されてよい。

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偉大な父の陰に隠れた名将。長州が維新を成し遂げた陰の功労者。
「諱」が中央の政権や有力者とのつながりを示すものであること、また上下関係を表すものなので、基本的には、もらった字を下にはつけないことがおわかりいただけたでしょうか。
199 豊臣秀吉 【とよとみひでよし】
「羽柴」の名乗りについての考察・1
下の名前をもらう
人から字をもらうということですが、先に下の名前について考えてみましょう。家臣が主君から一字を賜ることはよくあることで、「偏諱(へんき)」「諱(いみな)」というものです。戦国大名が足利将軍家から一字を賜った例は東北から九州まで数多くあります。 例えば足利義輝の偏諱を賜ったものとしては、伊達輝宗(政宗の父)、上杉輝虎(謙信)、毛利輝元など。義輝の初名は義藤ですが、「藤」の字を賜ったのが細川藤孝(幽斎)など。武田義信など、「義」の字を賜った例も多くあります。ただし、通常、賜った字を下につけることはありません。主君の名前の下の字を賜って、自分の名前の上につけることが多く、自分の名前の下の字はその家の「通字」になる例が多く見られます。
具体的に見てみましょう。独眼竜政宗で有名な伊達氏から。この「政宗」は中興の祖であるご先祖様にあやかってつけた名前で(後日別途記述)、ご先祖様の方は官職から大膳大夫政宗と呼ばれます(銀閣寺、応仁の乱で知られる足利義政とは無関係)。大膳大夫政宗以降の系譜は以下のようになっています。なお、伊達氏の場合は「宗」の字が通字です(必ずつくというわけではない)。
政宗(大膳大夫)-氏宗-持宗-成宗-尚宗-稙宗-晴宗-輝宗-政宗
氏宗:鎌倉公方足利氏満から一字を賜る。
持宗:鎌倉公方足利持氏ではなく四代将軍足利義持から一字を賜ったと思われる。
成氏:古河公方足利成氏と思われるが、そうなると「なりうじ」ではなく、「しげうじ」と読むことになる。
尚宗:九代足利義尚から。「よしひさ」なので「なおむね」でなく「ひさむね」と読む。
稙宗、晴宗、輝宗:十代義稙、十二代義晴、十三代義輝から。
ちなみに、政宗の子ですが、庶長子は秀吉から一字を賜って秀宗と名乗りましたが、本家を継げず、大坂の陣後に伊予宇和島を与えられました。幕末の藩主が四侯会議に参加した宗城(むねなり)です。一方、政宗の二男(正室の子)は徳川秀忠より一字を賜って忠宗と名乗り、仙台藩の藩主を継ぎます。
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剣豪将軍。名刀蒐集家。
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子政宗の器量を早くから見抜いていましたが、凶刃に斃れます。
もう一つ、毛利氏の例を見てみましょう。毛利氏と言えば、陶晴賢(隆房)との厳島の戦い、三本の矢の逸話などで有名なのが元就(戦国随一の謀将と評してよい)ですが、元就の前後はこのようになっています。
煕元-豊元-弘元-元就-隆元-輝元
煕元、豊元:山名氏からの偏諱。
弘元:大内政弘(義隆の祖父)から。
隆元:大内義隆から。
輝元:足利義輝から。
毛利氏が独立する前は、山名氏や大内氏に属していたことがわかります。そういえば、元就はというと、この人は二男なんですね(二男だから偏諱がないということではない)。元就の兄は興元といって、大内義興(義隆の父)から一字を賜っていますが若くして死去します。その子幸松丸も九歳で死去したため、元就が毛利氏の家督を継ぐことになります。
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まさかの眼鏡武将w 終わりがよくないので評価は低いが、実力はもっと評価されてよい。
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偉大な父の陰に隠れた名将。長州が維新を成し遂げた陰の功労者。
「諱」が中央の政権や有力者とのつながりを示すものであること、また上下関係を表すものなので、基本的には、もらった字を下にはつけないことがおわかりいただけたでしょうか。
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