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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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ガチの方が価値が高いだろう。

横綱の白鵬を見ていると「負ける感じがしない」のですが、これは見ていないと味わえない感覚でしょうね。前にも書きましたが、「双葉山の69連勝」は現在とは年間の場所数も1場所の取り組み回数も違っていたときの記録で、当時は3年近く負けがなかったのですが、文字で見ていてもいまいち実感がわきません。こういうものは見られるときに見ておかないとね。


さて、ぼっこ氏からのリクエストですが、「信長の野望・天翔記」くらいで武将の知識が止まっている私が悪いのか、白井入道浄三って知らないのよね。『戦国人名事典』を初めとする手元の資料にも記載がありませんし。

上杉謙信に勝った、というのもサッカーで言うところの「マイアミの奇跡」みたいなものじゃないかと。

1996年のアトランタオリンピックの1次リーグで日本がブラジルに1-0で勝利したのが「マイアミの奇跡」。

もちろんオリンピックなので、選手には年齢制限があります(オーバーエイジ枠があるが、W杯のように自由にメンバーが組めるわけではない)。ブラジルに勝ったとはいえ、日本は1次リーグで敗退し、ブラジルは1次リーグを突破し、3位になりましたから、(そうでなくても)これだけで日本がブラジルより強いということにはなりません。日本のサッカーにとっては栄光の歴史ですが、ブラジルのサッカーの歴史には残らないでしょう。

謙信も常勝不敗であったわけではなく、小田原城を囲んで落とせませんでしたし(関東管領就任のデモンストレーションと見るべきか)、能登七尾城の攻略にも一年近くかかっています。謙信に限らず、上杉軍というのは野戦にめっぽう強い一方で攻城戦がうまくありません。謙信死後の御館の乱の恩賞をめぐって新発田重家が反乱を起こしますが、景勝はこの鎮圧に六年も費やしていますし、関ヶ原の戦いでは直江兼続が最上家の長谷堂城を大軍で囲みながら落とせませんでした。

攻城戦がうまいというのは秀吉などごく一部の武将だけであって、ほとんどの武将は攻城戦に苦労して当たり前なのですが。城攻めで攻城側が損害を受けて兵を退くというのはよくあることで、それをいちいち負けととらえていてはきりがありません。戦勝報告で味方の損害を小さく、敵の損害を大きく言うのもよくあることです。
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