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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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昌さんが止まらない。無傷の5勝目で首位固め。
 
「戦国人物紹介」

017 村上義清
 【むらかみよしきよ】 1503-73

左衛門尉、周防守。信濃葛尾(かつらお)城主。

常勝を誇った信玄が唯一にして二度敗れた相手がこの村上義清である。怜悧な策士タイプと言うよりは、甲冑に身を包んだ猛将タイプの戦巧者である。

1548年、信濃佐久郡を攻めていた信玄と上田原で激突。敗走すると見せかけて武田軍を誘い出し、深追いしてきたところを包囲して散々に打ち破った。信玄の傅役(もりやく)である板垣信方、甘利虎泰を討ち取る勝利である。

1550年には支城の戸石城を包囲されるが、降伏する将の中に紛れ込み、機を見て蜂起。武田軍は大混乱に陥り、横田高松を失うなど大敗を喫した。これを戸石(砥石)崩れという。のちに戦国時代でも随一の名将となる信玄だが、義清との戦いで学ぶところも多かっただろう。

しかし、義清の抵抗もここまでだった。かつて武田信虎と盟約して上野に追放した真田幸隆の調略により戸石城は陥落。村上勢の多くが武田家に内通し、1553年、葛尾城も自落すると信濃から越後に逃れる。関東を治めることに熱心だった謙信が信玄と長きに渡って争うようになったのは、小笠原長時や義清が謙信を頼ったのがきっかけであるから、そうなると、意外と重要な人物なのかもしれない。

その後の義清は謙信の援軍を得て一度は葛尾城を回復するが、すぐに信玄の反攻に遭ってしまう。川中島の戦いにも参加するが、旧領の回復はかなわず、越後の地で没した。のちに義清の子国清が旧領を奪還して信濃海津城に入るのは、義清が信濃を追われてから三十年後のことであった。



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そうそう、こんなイメージw 「戦国IXA」ではコストが高くて使いにくいのですが・・・。
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無題
厄介な中ボスポジですね!(ゲーム脳
amasiz 2010/09/12(Sun)20:29 編集
無題
ラスボスは謙信、と思わせて信長だったり(病気でまさかのゲームオーバー
Rakuna 2010/09/12(Sun)22:40 編集
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