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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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 喫煙者ではありませんが、コンビニで電子タバコ買ってみたw
 吸うとちゃんと煙が出るんですね(蒸気成分が何かよくわからないのですが)。ただ、味は甘く感じるので、好き嫌いが分かれるかも。先が短くならないので、やめどきがわかりません(吸うたびにずっと煙が出る・・・400~500回くらい吸えるそうです)
 まあ、ニコチンもタールも使っていないので、煙が出るおもちゃですかねw

 前回、税金の話が出たので続き。タバコも税金のかたまりみたいなもんだw

 尾張の徳川宗春のように商業主義的政策を取った人物もいますが、江戸時代というのは基本的に農本主義なんですね(「農本主義」と書いてしまうと、昭和恐慌下の農村再建思想を指すので、厳密には区別する必要があります)。「米将軍」と言われた吉宗はそのピークで、通貨はもちろんあるんですけど、米が経済の基本で、吉宗は米価の安定に苦慮することになります。

 一方で、室町幕府は京にあったせいか、商業主義的性格を持っていて、それは幕府が課した税金にも表れています。金貸しに課した税金(倉役、酒屋役)、田畑に課した税金(段銭)、家屋に課した税金(棟別銭)、通行税や入港税である関銭・津料などがあります。

 応仁の乱の原因の一人ともなった日野富子(八代将軍義政の妻)ですが、この人は自ら高利貸をしていて、応仁の乱が起こると、西軍の大名にも東軍の大名にもお金を貸して巨利を得たと言います。まあ、当時はお金がたくさんある人は徳も高い(有徳者)という考え方がありましたし、富子の蓄財のおかげで幕府が運営できたという面もあるので、一概に批判はできませんが、にしても、この人は当時からいまでも評判が良くないw
 
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 おかげさまでコンスタントに更新できています。「戦国人物紹介」がメインになるはずですが、まだ4人(9回)しかやらずに済んでいます。コラム(補足説明)が多いせいですね。書き溜めているので、週末にでも出していきたいと思います。

 「江戸時代 戸籍」で検索が入ったので少し解説します。

 「江戸時代に戸籍はない」と言ってしまうと若干語弊があります。
 そもそも、なぜ「戸籍」を作るのかというと、徴税(税金を負わせる)や徴兵(兵士として集める)のためです。
 逆にいうと、徴税や徴兵ができない行政組織は戸籍を作らない、というか作るだけの支配力がないので「作れない」んですね。
 ただ、徳川幕府の場合は別の事情があって、この行政組織は全国の大名を支配していましたが、全国の領民から税を取り立てることはありませんでした。例えば、土佐でお米を売ったり買ったりしても「幕府に」消費税や所得税を納めるということはありません。
 秀吉の場合は全国で「太閤検地」をおこなって、石高を把握し、朝鮮出兵の際に各大名がどれだけ兵士を負担するかの目安としました(江戸時代も大名ごとに検地がおこなわれ、「検地帳」が作成されている)

 徳川幕府が全国の領民から税を取らなかった理由についてははっきりしていません。幕府ができたころは各地の金山・銀山からの収入もあり、財政的にも豊かなため徴税の必要がなかったのではないか、ということも言われています。

 では、江戸時代に幕府が全国の領民を把握していなかったかというと、そんなことはありません。江戸時代には「寺請制度」というものがあり(キリシタンでないことを寺院が証明する)、各地に檀家制度ができました。また「宗門改帳(宗旨人別帳)」があり、宗派と檀家のお寺を記載する仕組みがありました。これが戸籍の代わりを果たすんですね。
 
 いまの口蹄疫問題の赤松農相もそうだし、阪神・神戸大震災のときの村山首相もそうだが、社民党(旧社会党)の人たちには危機管理能力が欠如している。現実認識ができず、対応が後手に回るから被害が拡大するのである。ここまでいくと、もはや「人災」と言っていい。

 戦後、日本の平和が維持されてきたのは、日米安保と自衛隊のおかげだが、この党の人たちは「平和憲法」があるおかげで平和だったと本気で思っている人たちである。

 水戸の話ついでにやってみようかwww(すまん)

「ミトなはなしbyぼっこ先生」これからのあらすじ(勝手な妄想)

 佐幕派(徳川幕府支持派)にとって、水戸というのは「獅子身中の虫」以外の何物でもないんだよね。

 家康は石橋を叩いても渡らないくらいの慎重な人で、徳川家を残すにあたっても、将軍家以外に「御三家」というものを創りました。ただし、尾張は紀伊は将軍家(宗家)の血が絶えたときのスペアとして創設されたのですが、水戸だけは違ったようです(水戸出身である最後の将軍慶喜については後述)
 また、将来、幕府と朝廷が対立するようなことがあった場合に、どこかの家が朝廷に味方すれば「徳川」の家名は残せるとの判断もありました。
 実際、維新時にあって尾張はさっさと朝廷に味方しています。
 水戸も光圀(水戸黄門)が、近衛信尋(実はこの人は御陽成天皇の子で五摂家の一つである近衛家の養子となった人物)の娘を正室に迎えていることから、「万が一」のときには朝廷側につくことを期待されていたと考えられます。

 さて、徳川幕府は七代将軍家継が死去すると、家康以来の宗家の血が絶えることになりました。このときに御三家から出て、八代将軍となったのが、暴れん坊でも、西田敏行でもなく、紀州出身の吉宗でした。この前後、ライバルとなった尾張とは将軍後継をめぐって相当にもめたらしく、(紀州内でも?)暗殺まで行われたのではないかという印象すら受けます。吉宗が将軍となってからも、尾張は何かと吉宗に盾を突いて、最終的には処分を受けています。
 この吉宗が家康にならったのか、あえて家康の意向を無視したのか、創ったのが「御三卿」です(三家がそろったのは吉宗の死後)。吉宗の子孫だけを将軍にしようという仕組みであり、この時点で、徳川将軍家は紀州の血統に乗っ取られたといえます。

 しかし、現実は吉宗の思惑通りには行きませんでした。吉宗以降の将軍家も、御三卿もスムーズに家督継承が行なわれなかったからです。御三卿の一つ、清水家などは最初から最後まで養子ばかりです。そんな中、御三卿の一橋家に養子に入ったのが水戸出身の慶喜です(他の徳川家から御三卿に養子入りするのは可能だった)。そして、幕府と朝廷が対立した幕末に「朝廷に味方すべき」水戸出身の慶喜が将軍になってしまったのです。そんな慶喜が戊辰戦争で取った行動は「ひたすら朝廷に恭順」でした。こんな人をトップにおいて幕府は戦えるわけがありません。まあ、これは慶喜や水戸に対する一つの見方であって、徳川慶喜という人物はもっと複雑な人物です。

 光圀の話に戻りますが、彼が朱子学にかぶれて始めたのが「水戸学」です。光圀が始めた『大日本史』の編纂を中心に水戸学が興るのですが、この『大日本史』が完成したのは、明治も終わりに近づいた1906年です。幕府が滅んでも編纂作業を続けていたってことですね。光圀は藩の財政すら傾けて編纂に当たったと言いますから、水戸藩の領民はいい迷惑でした。
 この「水戸学」、幕府の御三家である水戸家の編纂なのに(水戸家の編纂だからというべきか)、うたっているのは尊王論(君主は将軍ではなく天皇)なんですね。これがのちに幕末の尊王攘夷論や尊王倒幕論につながっていくのですから、幕府にとって水戸は獅子身中の虫と言わなければならないのです。

 幕府と朝廷が対立した場合は朝廷に味方せよ、というのはいいとしても、水戸学を始めて幕府と朝廷が対立する原因を作ってしまうとは、光圀の祖父である家康も想像しなかったでしょう。ちなみに、幕末の水戸藩は天狗党事件で内ゲバ(内乱)状態で、幕府の役にも朝廷の役にも立ちませんでした。

 綱吉が「生類憐みの令」を出しても肉食していたとか、日本で初めてラーメンを作ったとか、納豆の話(?)とかはぼっこ先生にまかせた!w
 
「味が長続きする」じゃなくて、初めから「味が薄い」ガムだ、これw

勝手に妄想する「銀河英雄伝説Online」(仮)

・基本的な構図としては「帝国」対「同盟」か。
 フェザーンや地球教、門閥貴族などの勢力はNPC、もしくはイベントで登場とか。

・ただし、「帝国」対「同盟」の構図にしてしまうと、最終的勝利の有無が気になります。
 相手の首都星系の制圧などができるとゲームが終わっちゃうからね。
 このへんはほかのネットゲームの経験が少ない私にはわかりかねます・・・。

・同じく両者の登場人物をどのように活かすのか。
 「おれ、ミッター役!」「僕はユリアンね」というわけにはいかないでしょうから、
 どんな感じで登場人物が出てくるのか。でも、完全にNPCじゃ面白くなさそう。

・出撃するときに誰を提督にするのか選べるとか。
 ビッテンフェルトなら攻撃に、ミュラーなら守備に補正がつくとか。
 「芸術家提督」と言われたメックリンガーとかはどうなるんだろう・・・。

・これをギルドっぽいものでやってしまうと、人数的に運用が難しいか・・・。

・戦艦や巡洋艦、空母などの区別はあると思うのですが、どのように編成するのか。
 階級が上がっていくと、保有できる艦船の数が増えるとか。
 複数の種類の艦船を編成できるのか(工作鑑や輸送艦なども含めて)

・艦隊戦が単なる数字の減らし合いだとつまらないので、戦術の入り込める余地を。
 となると、複数の艦隊を同時に動かす必要が出てきそうですが、さて。

・そもそも艦隊の数は誰が管理するのか。体制側から供給されるのか、
 「ギルド」っぽいものの管轄なのか(私兵か?w)

・シミュレーションゲームなら内政の概念も入れてほしい。
 戦争で勝てばお金が手に入るとか、お金を内政と軍備に配分するとか、
 兵器開発に回すとか。諜報活動も重要ですね。

・星系がいくつかあって、星系ごとに内政パラメータがあって、
 統治者も選べるようだと・・・別のゲームになってしまうか。

・内政があるなら資金概念、税制、治安などは出てきそうかな、と。
 
いま読んでいる本。
 
『逆説の日本史16江戸名君編』。サブタイトルは「水戸黄門と朱子学の謎」。

 井沢元彦は昔はNHKの歴史番組に出てたよなあと。このシリーズを読んでいるのは、ふと書店で見かけた第5巻を読んだからなんですね。鎌倉幕府の成立について書いているのですが、非常に納得のできる内容でした。タイトルや内容にアンチな人もアレルギーがある人も読んでみると参考になるところが多いでしょう。いまは文庫版も出ています。

 ぼっこ氏がブログで書いていた、不良少年だった水戸光圀が『史記』の伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)伝を読んで改心したという話もようやく納得しました(というか思い出したというべきか)

 伯夷・叔斉というと、殷王朝を滅ぼした周王朝に反対してハンガーストライキ(山にこもってわらびだけを食べて餓死した)をした兄弟というところだけ覚えていたのですが、もとはといえば、孤竹国の王子で王位を譲り合って出国した兄弟でした。

 父王は三男の叔斉に後を継がせるよう遺言しますが、叔斉は兄が継ぐべきと譲りません。兄の伯夷は父の遺言を実行すべく国を出ますが、叔斉も兄を追って国を出ます(結局、二男が王に立てられた)

 このへんの王位を譲り合うところが光圀に感銘を与えたのだろうという話です。光圀にも兄頼重がいましたが、二人とも側室の子であったため、頼重は水戸家を継ぐことができず、のちに松平頼重として讃岐高松藩主となります。結果的に水戸藩主となった光圀ですが、兄頼重の子を養子に迎えて水戸家を継がせます。また、自らの子を兄の養子として讃岐高松藩を継がせています。兄の血統に本家を継がせるために子供を交換したわけです。

 詳しいいきさつは本書を読むか、ぼっこ氏のブログを読んでねw
 
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