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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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と言ったら、NHKのお天気キャスターの菊池さんが
「この時期でまだ空けるわけがないじゃん」と
鼻で笑ったように聞こえましたが、空耳かな?

北海道で猛暑日というのは厳しいですね。

受験の年の夏も蒸し暑くて、ほとんど勉強が手に付かず、
寝ていたような気がします。プレッシャーがきつくて、
やる気を喪失していたのだと思います。
(うつとまでは行かないけども)

社会人になってひどくなりましたが、
よく回復したものだと思います。
テンションが上がりすぎるのには
注意したいと思いますけどね。
どちらの状態も、最中になると
自分ではなかなか気づかないのですけど。

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「終戦」のタイトルは何度か使っていますが。

■ギリシャ
「盗人武田家弑」・・・「盗人たけだけしい」とは言ったもので、
「緊縮策は嫌」「追加支援はしてほしい」とは、
一般の家庭にたとえると、「支出は減らせない」「お金は借りたい」
といったところでしょうか。

もう少し賢いのかと思ったら、そんなことはなく、
やはり勤勉とは程遠い、屁理屈をこねるだけの怠惰な国民のようです。

ギリシャ一国、ユーロから脱退させればいいのですが
(ただし離脱させるルールがないとか)、
イタリア、スペイン、ポルトガル、と他にも弱った豚
(PIIGS、アイルランドも含まれていた)がいますからね。

事前の楽観的な見方がことごとく外れていくとなると、
この先どうなっていくのでしょうか。

地政学的には、ロシアやISにも近いですし、
欧米も簡単に見放すわけにはいかないのでしょうが。

ギリシャの債務問題はともかく、
日本はどうなのかと・・・。

■なでしこジャパン
アメリカとの決勝は完敗でした。
4年前はアメリカに勝って優勝していますが、
2年前の五輪では負けていますからね。
30試合以上対戦して、勝ったのは4年前の1勝のみ。

力の差は歴然でしたが、
2大会連続で決勝の舞台に立ち、
アメリカとの再戦で何か起こしてくれるのでは、
という期待を少なくとも国内においては持たせてくれたのは、
選手の頑張りと佐々木監督の采配でしょう。

某紙に「神算鬼謀」とまで書かれていましたが、
ここが限界だったとも言えます。
ふと連合艦隊司令長官の山本五十六を思い出しました。
病院めぐりをしていますが、
いきなりは行かないのでねえ。

まずはインターネットで、
どの病院に行くのか検索から始めます。

電話して、予約が必要かどうか確認するのですが、
電話応対がいいかどうかが、その病院に行くかどうかの
ポイントの一つになります。

だいたい女性が出るのですが、
ハキハキと、かつ事務的でなく電話応対する
若い女性だとポイントが高いですね。
しどろもどろでも、親切さが伝わる年配の女性も
病院の感じの良さが伝わってきます。

何事もそうですが、
電話をする方は素人ですから、
プロの目線では当たり前、の対応をされても、
こちらはよくわからないんですよね。

あちこち電話をしてみると、
予約制のところばかりではないようです。
インターネットで予約できる病院もありますが、
そういうところに限って、
1か月先まで予約がいっぱいだったりします。

「うちは予約制ではないので」というところでも、
早い時間に行けば、割と待たずに診察になります。

土曜日の午前中だけでも開いている病院もあって、
ありがたいですね。なかなか休みは取れませんから。

あとは、えらいハイテクな最新の病院もありますが、
初診でシステムがわからないと立ち往生します。
呼ばれて探されて、あちこち引き回されて、
アナログだったりします。

最後に薬をもらいに調剤薬局まで行くのですが、
薬を飲むのは人間でして、
首の痛み止めの薬を飲むと、フラッとするのは
大丈夫なのでしょうか。

ギリシャのgdgdぶりは目に余りますね・・・

ここで国民投票をしたところで・・・

そもそももう少し(いや、かなり)勤勉に働かないと、

ユーロに留まることは無理なのでは・・・。


日本にどこまで飛び火して、

経済から政治、安保法案にまで影響が出るでしょうか。

最初に字数を決めてから書くと、脱稿しやすいような気がします。
自分のブログなので好きに書けばいいのですが、書きたいことを詰め込めるだけ詰め込むと、逆に焦点がぼやけるというか、推敲を重ねてぜい肉をそぎ落とした方が、読みやすい、わかりやすい文章になることはままあります。

あとはいまさらの話ですが、ワンセンテンス(一文)をなるべく短くするよう心掛けています。口語をそのまま文章にしてしまうと、句点(「。」)までが長い文章になってしまいがちです。読点(「、」)で区切って続けてもいいのですが、思い切って言い切った方がわかりやすくなるでしょう。

■土岐氏の人々
獅子王と書評で二度触れましたが、もう少し補足しておきましょう。

土岐氏というと、斎藤道三に追放された美濃守護の土岐頼芸(よりあき)が知られていますが、国を盗られた側として評価は決して高いものではなく、これが土岐氏自体の評価にも影響を与えています。今川氏真や大内義隆、朝倉義景などと似たようなところです。

土岐氏は清和源氏の流れで、鎌倉幕府に従い、南北朝時代には足利氏に従って、美濃守護となります。最盛期には美濃・尾張・伊勢三国の守護となりますが、土岐康行の乱で衰え、守護代斎藤氏によって実権を奪われます。

土岐頼遠 【ときよりとお】 ?-1342
いわゆる「ばさら大名」の一人で足利尊氏に従って戦功を立てました。光厳上皇の牛車に向かって、「院と言うか、犬と言うか、犬ならば射ておけ」と言って、矢を射たという狼藉で知られます。この罪で幕府に捕えられて斬首されました。

土岐康行 【ときやすゆき】 ?-1404
美濃・尾張・伊勢三国の守護となった伯父頼康の養子となりますが、足利義満は康行に美濃・伊勢二国の守護のみを認め、尾張は康行の弟満貞に与えてしまいます。兄弟の不和を利用して土岐氏の分断を図った義満は、挙兵した康行を討伐して土岐氏の勢力を削ぐことに成功します。のちに康行は許されて、伊勢守護の世保家(土岐世保家)として数代続きます。

斎藤妙椿 【さいとうみょうちん】 1411-1480
鎮守府将軍藤原利仁の子叙用(斎宮頭)に始まる斎藤氏の一族とされます(美濃斎藤氏)。「妙椿」は法名で、実名は不詳です。美濃守護代である甥の利藤(かつては同一人物と考えられていた)を後見し、応仁の乱では西軍の主力となり、また美濃を押さえて守護の土岐氏をしのぐ勢力を誇りました。北畠氏や織田氏とも縁戚関係にあります。

下剋上の典型であり、文武に秀でた良将ですが、いかんせん時代が古く、知名度はそれほどではありません。なお、斎藤道三はこの美濃斎藤氏の名跡を継いだとされます。また、光秀の重臣である斎藤利三も美濃斎藤氏の一族とされています。

土岐定政 【ときさだまさ】 1551-1597
美濃の土岐氏と同族。父定明は斎藤道三に敗死し、定政は母の父である三河の菅沼氏(同じ土岐氏)を頼りました。菅沼藤蔵と称して家康に仕え、姉川、三方ヶ原、長篠など多くの戦いに従軍して軍功を立て、甲斐巨摩郡内で一万石を与えられました。小牧長久手の戦い、小田原攻めにも加わって、下総守谷一万石に転じます。のち旧姓である土岐氏に復して従五位下山城守に叙任されています。子孫は転封を繰り返して、上野沼田三万五千石で廃藩を迎えました。

最後に、前回の書評に関連して、インターネットでも閲覧できる史料を紹介しておきます。
あくまで活字化されたものなので、機会があれば原典に当たるべきとは思います。

『寛政重修諸家譜』第2輯
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082719
土岐氏についてはコマ268から、大名となった土岐氏についてはコマ298からを参照ください。

『群書類従』第十八輯
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879575
コマ256の左下から「永禄六年諸役人附」が始まっており、永禄六年(1563)、足利義輝の代における幕府の諸役の一覧が示されています。
コマ259の右上、「足軽衆」に「明智」とだけ記されているのが明智光秀を指すと考えられています。これをもって、足利義輝の代から幕府に仕えていたとする説がありますが、途中でいったん切られているので(コマ258の右上。「足軽衆」で終わって、改めて「御供衆」となっている)、足利義昭の代に仕えたと考えた方がよさそうです。

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