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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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ある作品で売れてしまうと、その作品での役がイメージとしてついてしまって、以後苦労する、というのはよくある話。

さて、江に限らず、女性は男性に比べて記録が極端に少なく、「隙間」が多いと言える。それゆえに作家や脚本家の想像の入り込む余地が大きいのだが、最近は受け手(読者、視聴者)の方も目が肥えてきており、納得のいかない場面があれば不満が出てくるし、ましてやネット時代であれば、批判も簡単に共有できるのである。

前回はお市の方の袋の豆(鼠)の逸話も変な使われ方をしたし、浅井万福丸が串刺しにされる場面もなかったし(中略)、子役の熱演もあって、なんだか悲しい話だなあ、という印象しかなかった。

江も「お江の方回想録」なんてものは残していないので(実は生年すらはっきり記録されていない)、伯父でもあり父の仇でもあった信長のことをどう思っていたのかはまったくわからない。おそらく物心つく前に、おじさんは本能寺で爆死してしまっていたのではないだろうか。

この脚本家は、江はおじさんのことをリスペクトして、性格も似たことにしたいようだが。判断材料がないので、受け入れようがない。
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「戦国人物紹介」

■上杉謙信2

1552年、関東管領の上杉憲政は小田原の北条氏康に圧迫され、上野の平井城を棄てて越後の景虎を頼ってきた。景虎は憲政を御館に住まわせる。為景時代、越中に出兵した例はあるが、関東への出兵には慎重だった長尾氏は、これにより北条氏と敵対することになる。ついで武田晴信(信玄、以後信玄で通す)の信濃侵攻により信濃を追われた小笠原長時、村上義清らが相次いで景虎に助けを求めたため、1553年、景虎は信濃に出兵、武田軍の先鋒を破っている。武田家の本陣とは戦わず、両者は兵を引き上げたが、これが第一回の川中島の戦いとされている。同年九月、初の上洛を果たし、後奈良天皇と将軍足利義輝に拝謁。天皇に拝謁した際は御剣と天盃を下賜され「治罰綸旨」を得ている。景虎の敵は賊軍とされ、戦いにおける大義名分を得たのである。

1554年十二月、家臣の北条(きたじょう)高広が信玄に通じて謀反を起こすが、翌年二月には景虎自らが出陣して北条城を包囲、高広を降伏させた。高広は帰参を許されている。ついで信濃に出兵すると犀川をはさんで武田軍と対峙。二回目の川中島の戦いである。このときは信玄が駿河の今川義元に仲介を依頼し、これにより和睦している。

ところが1556年、二十七歳のときだが、三月に突如国主の座を棄て出家すると宣言し、家臣の止めるのも聞かず、六月には高野山を目指して出奔してしまう。「家臣に見放されて国主の任に堪えない」「功成り名を遂げたからいまが引き際」などと旧師の天室光育への書に記している。この間、信玄に通じた大熊朝秀が反乱を起こす。天室光育、義兄の長尾政景らの説得で出家を断念した景虎は越後へ帰国し、朝秀の反乱を鎮圧する。

越後では景虎が国主の座に就いたものの、国内では豪族同士の争いが続き、景虎の支配も完全なものではなかった。信濃に出兵しても、越後の武将たちには得るものが少なく、対陣の途中であっても兵をまとめて引き上げる者までいた。出奔騒動は家臣の調停に疲れた景虎の突飛な性格をよく表しているとされるが、家臣たちは謙信に忠義を尽くす旨の誓紙を出して騒動は収まったことから、近年では景虎の意図的な行動だったという説もある。

毘沙門天の化身と言ったり、みずから神秘性のベールをまとった謙信ですが、こういう出奔騒動の話を見ると、現代の経営者にも通じる、妙に人間ぽいところがあって親近感がわきます。
「戦国IXA」

http://sengokuixa.jp/

うん、おもしろい。

スクエニに変な恨みでもない限りは(いや、自分もないとは言えんな)おすすめw

いまでも新鯖ができますし、どこかの鯖に入って練習してから新鯖に乗り込むのもよさげ。

無課金でも十分楽しめますしね。


上級兵が登場しましたが、開発コストだけで、各資源が約30万~50万かかり、

時間も48時間かかるといった代物です。それだけにきっと強いはず、と思っていますが、

1鯖はワールドリセットが近づいているので、いまから兵を鍛えても無駄に終わりそうですw

最後に守備側でひと暴れしたい(攻撃側はモグラたたきのように潰されるので苦手)


ワールドリセットが近づいたせいなのか、そうでないのか、有名どころの武将カードが

安く落とせますね。ラッキー。カードはリセット後も引き継げるので、

安く出ているのは少し高めに入札して落とすのが狙い目。

「戦国人物紹介」今後の予定

上杉謙信の残りの連載回数と内容の割り振りがほぼ完了。

信玄と同じ全7回で締めます。

第2回、第3回で残りの事績、

第4回で内政について、

第5回と第6回で信玄との話、

第7回でそのほかの話、といった感じです。

その次は、長尾政景は宇佐美定満や謙信の回で書いたので割愛。

上杉憲政、上杉景信(やらないかもしれない)、上杉景虎(養子の方)、

と来て、上杉景勝、直江兼続をやるかどうかですね(前のところで一度やったので)

時代は違いますが、番外編で板額御前、あとは大熊朝秀あたりに触れて、畿内に移ろうかと。
「たちあがれを出て大臣の座に座る」とは言い得て妙なり。

財政再建、ということは増税とほぼイコールということだ。

政策的には一定の評価をしているのだが。

枝野は人気があると思っているのかねえ。なぜ起用し続けるのかわからない。


働いても、3割4割搾取される中で、残りで生活できるように稼がなければならない。

(戻ってこないわけではない、念のため)


昨年の夏は暑くて眠れませんでしたが、今年の冬は寒くて眠れないんですよ。

ストーブを付けたまま寝ています、が、乾燥します。やっぱり眠れません。

実家に行って毛布借りてこよう。

いい睡眠が取れていないときは、疲れも取れていないので、

意識的に休息を取らないと、先週のように風邪を引いてしまうんですよね。

注意しないと。


ちなみに、去年の冬も寒かったですからね。アパートの水道管も凍結注意が出たくらい。

雪も降りましたし。忘れているだけです。
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