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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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そこは岩瀬じゃなくてASAOだろう・・・よくわからない采配。


「ストレステスト」って言うと、オンラインゲームを想定してしまいますが。

周りみんな辞めちゃって、一人取り残されるんでしょうか。

さっさと辞めて、一人で総理ごっこやってれば周りに迷惑かからないのにね・・・。


急に蒸し暑くなったせいか、体調がいまいちです。

昼寝して、夕方にも寝るせいか、夜の眠りの質がいまいちです。

カーテンをしていても明るくなるので、5時や6時には覚醒してくるのですが、

起きなければいけない時間になると、強烈に眠くなります。


日中は意識して水分を摂っているので、汗が出ます。

汗が出ると疲れます。

季節の変わり目は体調に注意しないとね。

今年はのどが痛くならないのが不思議です。

口内炎は相変わらずです。出ていない日はないです(笑)

トラフル錠では治りませんが、痛みは和らぎます。
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二・二六事件で瀕死の鈴木貫太郎を生かしたのは天の配剤だと思うんだよね。

天の配剤:とても偶然(人間わざ)とは思われないほど、

世の中や運命がうまく出来ていること(新明解)

玉音放送を出したら(日本ではこの日が終戦とされる)、二日後には総辞職してしまう。

(降伏文書に署名したわけではないことに注意)

最近再評価されつつある阿南陸相についても書きたくなるのですが、

戦中、戦後の話はこのへんで。

腹を切らなければ救われた命もあるだろうにとは思うけども。


徳川慶喜もそうなんだけど、鎌倉幕府みたいに全員死ぬまで戦って滅亡、

という道を採らなかったら、「寝業」を使わなくちゃいけないところもあるんだよね。

全員戦って(いわば本土決戦)、みたいな連中を、

言葉は悪いけど、だまくらかして、降伏まで持って行かなくちゃならない。

そういうところの手腕は評価したいところなんだよね。

「戦後」というところの姿が見えていなければ、そういう手は打てない。
『復興の精神』読了。終日気が重たくなりました。

最後の方はいくつか首をかしげながら読みました。阿川弘之が小泉純一郎に好意的なのは意外でした。あれこそファッショでしょ。

戦前、戦中のように、震災を端として一つの方向に向かうのは危ないと思っているのですが、いまのところそのような流れはなさそうです。わかりませんけどね。

「脱原発」も全体の同意を得ているわけではありませんし、せいぜい、節電、省エネ、エコくらいがみんな賛成といったところですが、これはどちらかというと自発的と言ってもいいかもしれません。政府や企業に踊らされているだけかもしれませんけどね。

九人の方が執筆されていますが、うち二人が鈴木貫太郎について書いていたのが興味深いですね。終戦工作をした(そしてそれに成功した)首相で、日本を滅亡の淵から救った人ですが、あまり知られていないかもしれません。

戦国時代であれば、負けた側は落城、城主は切腹しておしまい、というところでしょうが、現代ではそうはいきません。負けるにも「負け方」というものがあります。

覚悟のほどはともかく、「死ぬまで戦う」という人々もいますから、その人々の反対(最悪は殺されることすらある)を制して「降伏」まで持っていかなくてはなりません。

鈴木貫太郎という人は海軍の出身で、日露戦争では駆逐艦に乗ってロシアの戦艦や巡洋艦を沈め、のち海軍大将、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長(陸軍でいうところの参謀総長)を務めます。1929年、昭和天皇の侍従長となりますが、二・二六事件(1936年)で瀕死の重傷を負います。妻の機転もあって一命を取り留めた鈴木はその後枢密院議長となりますが、1945年四月、天皇の懇請を受けて組閣し、終戦工作に当たることになります。
(ツイッターからの改編)

新潮新書の『復興の精神』を薦められて読む。

(PCからご覧の方は右下にアマゾンのリンクを貼っています)

養老孟司の文章はどうということはなかったが(『バカの壁』もつまらなかった)、

茂木健一郎の文章でなぜか涙が止まらず。

南直哉の文章も読み始めてすぐに読み続けられなくなってしまった。


震災があったときに何をしていたか、どう思ったかという文章に触れるとまずいらしい。

要は普段は封印してしまっている「あの日」のことを思い出すのがいけないようだ。


あの日、私も大きな揺れは経験したが、家も会社も何事もなく、

津波や原発の被害も受けていない。

「震災前」と「震災後」で生活はほとんど何も変わっていないし、同じ生活を続けている。


ただ、この「何も変わっていない」「同じ生活を続けている」ことが苦痛なのである。

はっきり言うと、罪悪感すら覚えている。

きっと、直接の被災者ではない多くの日本人もこうした感情を抱いているのではないだろうか。


さてまた続きを読もう。
社内報でもいいんですけど、学のある人の文章ってのは他と一線を画してますな。

そして古典を引くに巧みです(過去の人の文章や発言の引用がうまい)

やっぱり役員になられるほどの人だと違うなあと思うのですが、

商才と文才と、それから地位、出世とはまたそれぞれ別のものなので、

えらい人にみんな学があるわけでもありませんし、文才に巧みとも限りません。

ただ、書いていないとダメかなとは思います。

書き続ければうまくなるというものでもありませんが・・・。


小説家でも漫画家でも、動画でも(動画家? クリエイター)、

書きたい(or描きたい、作りたい)と思う「もやもや」があったら、

まずは真似でもいいので始めてみることですよね。

導入というか、最初は何か影響を受けるものがあったから、

書こうと思ったんでしょうからね。

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