兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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必要な書類は郵送して、写真だけ地元の写真屋さんで撮影してもらって送付手続きをおまかせしたのですが、写真だけまだ登録されない・・・。10日単位で締切期間が区切られているので、実際の活動は20日過ぎからになりそうです。待ち遠しい。
さて、プロフィールにおいて、どこで差をつけるか(どこで差がつくか)と考えれば、趣味と自己紹介メッセージの項目です。
職業や学歴はごまかしようがありませんし、価値観も「絶対にこうでなければならない」というのはそんなにないものです。価値観がぴったり合う人なんていないでしょうし、価値観がぴったり合うから結婚してうまくいくとも限らないでしょう。違うことを認めあうところに意義があるのでしょうし、そうでなければ違う二人が出会う意味がありません。あとになってから「ここは譲れない」って部分が出てくるのでしょうが。綺麗事ばかりじゃないよね(笑)
ということで、個性をアピールする部分として考えると、趣味とメッセージの項目になります。ちなみに趣味の欄はいくつかジャンルがあって、それぞれに選択できるようになっています(選ばないジャンルがあってもよい)
「こんな方がマッチングしますよ」と言われて何人か紹介されましたが、年齢や職業を見たあとは、趣味やメッセージのところに目が行きます。そこを見ないと、どんな人かというのは想像できませんよね。趣味のところであれば、インドア系なのか、アウトドア系なのかというのは結構気になります。10年前はスノーボードもしましたが、いまは体力的に無理ですから。旅行とかドライブは好きですけどね。私は趣味欄で「乗馬」は引きます。30歳前後で「アニメ・ゲーム」もどうかと思いますが、程度によりけりですね(自分もマンガは読みますし買いますし、ゲームもしないではないので)
メッセージは、「自分がどういう人か、どういう性格か」「どういう相手を求めているか、結婚して何を望むか」というところが書かれている(ことが多い)ので、参考になります。ツイッターは140文字ですが、私が利用しているサービスの自己紹介メッセージ欄は150文字となっています。この字数内で、婚活をしている異性がそのメッセージを見て、「この人、ちょっと気になるなあ」と思ってくれるかどうかの重要な要素を作りださなければなりません。
といっても、いきなり150文字で自己アピールしてください、というのも普通は難しい話なので、女性向けの会誌に掲載されている男性のメッセージを参考にさせていただくことにしました。このへんはかゆいところに手が届くベテランのアドバイザーさんです。それにしても男性のメッセージを見ていると、デフォルト(「はじめまして。よろしくおねがいします」)のままというのも結構見受けられました。あとからいくらでも変更できるので、この時点ではデフォルトのままだったのかもしれませんが、多くの女性がメッセージを見る(だろう)中で、これはもったいないと思いました。
150文字で自分がどういう(タイプの)人間か、そしてどういう(タイプの)相手を求めるのか、というところを書ければベストなのでしょうが、なかなか難しいですね。威圧的(高圧的)になってもいけませんし、婚活する気がなさそうなのもいけません。ほどほどを求めるとありきたりな文章になったりしてね(笑)
プロフィールはあくまで「きっかけ」に過ぎないので、スタートは専用の掲示板ができてからとなりますが・・・。
さて、プロフィールにおいて、どこで差をつけるか(どこで差がつくか)と考えれば、趣味と自己紹介メッセージの項目です。
職業や学歴はごまかしようがありませんし、価値観も「絶対にこうでなければならない」というのはそんなにないものです。価値観がぴったり合う人なんていないでしょうし、価値観がぴったり合うから結婚してうまくいくとも限らないでしょう。違うことを認めあうところに意義があるのでしょうし、そうでなければ違う二人が出会う意味がありません。あとになってから「ここは譲れない」って部分が出てくるのでしょうが。綺麗事ばかりじゃないよね(笑)
ということで、個性をアピールする部分として考えると、趣味とメッセージの項目になります。ちなみに趣味の欄はいくつかジャンルがあって、それぞれに選択できるようになっています(選ばないジャンルがあってもよい)
「こんな方がマッチングしますよ」と言われて何人か紹介されましたが、年齢や職業を見たあとは、趣味やメッセージのところに目が行きます。そこを見ないと、どんな人かというのは想像できませんよね。趣味のところであれば、インドア系なのか、アウトドア系なのかというのは結構気になります。10年前はスノーボードもしましたが、いまは体力的に無理ですから。旅行とかドライブは好きですけどね。私は趣味欄で「乗馬」は引きます。30歳前後で「アニメ・ゲーム」もどうかと思いますが、程度によりけりですね(自分もマンガは読みますし買いますし、ゲームもしないではないので)
メッセージは、「自分がどういう人か、どういう性格か」「どういう相手を求めているか、結婚して何を望むか」というところが書かれている(ことが多い)ので、参考になります。ツイッターは140文字ですが、私が利用しているサービスの自己紹介メッセージ欄は150文字となっています。この字数内で、婚活をしている異性がそのメッセージを見て、「この人、ちょっと気になるなあ」と思ってくれるかどうかの重要な要素を作りださなければなりません。
といっても、いきなり150文字で自己アピールしてください、というのも普通は難しい話なので、女性向けの会誌に掲載されている男性のメッセージを参考にさせていただくことにしました。このへんはかゆいところに手が届くベテランのアドバイザーさんです。それにしても男性のメッセージを見ていると、デフォルト(「はじめまして。よろしくおねがいします」)のままというのも結構見受けられました。あとからいくらでも変更できるので、この時点ではデフォルトのままだったのかもしれませんが、多くの女性がメッセージを見る(だろう)中で、これはもったいないと思いました。
150文字で自分がどういう(タイプの)人間か、そしてどういう(タイプの)相手を求めるのか、というところを書ければベストなのでしょうが、なかなか難しいですね。威圧的(高圧的)になってもいけませんし、婚活する気がなさそうなのもいけません。ほどほどを求めるとありきたりな文章になったりしてね(笑)
プロフィールはあくまで「きっかけ」に過ぎないので、スタートは専用の掲示板ができてからとなりますが・・・。
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「戦国人物紹介」
■毛利元就4
元就の謀略というとこんな感じである。
元就と陶晴賢が争っていたが、元就の策略がみな晴賢に知られてしまう。どうしてこんなに策略が筒抜けになるのか不思議に思っていたところ、元就が日頃寵愛している琵琶法師が実は陶家に関係のあるものとわかった。
さてはと思った元就、部将を集めて作戦会議を開くと、琵琶法師をともなって出席した。
「次の合戦には丹比と宇品を結ぶ線に出兵しよう。もし晴賢が軍勢の一部を厳島に隠しておいて、わが軍の退路を断ち、前後から挟み撃ちをかけてくればわが軍は全滅だが、晴賢はこの作戦には気付いていない」
と、まことしやかに言った。そして同時に精兵二千名を極秘裏に厳島へ派遣、木陰や谷間に隠れさせた。
琵琶法師がさっそくこのことを晴賢に密告したのは言うまでもない。
報告を受けた晴賢は部将に命じ、軍勢三千名とともに厳島に急がせた。軍船に分乗した陶軍が厳島に到着、いまや上陸しようとした時である。毛利勢の伏兵二千名が三手に分かれ、雪崩のように襲ってきて陶勢は大敗した。
作戦会議には重要な部将でなければ出席できないはずのものを、琵琶法師のようなものにその内容を知られ、軍の機密が敵方へもれていたのは、武将としての元就の未熟さであるが、元就は敵のスパイを逆に利用して大勝利を得た。つまり元就は災いを転じて福としたのである。
こういうところが、毛利元就の優れた点であった(『武将感状記』)
ここで描かれているのは晴賢が自刃した「厳島の戦い」ではなく、他の戦いでの出来事を厳島に移していると思われているが、元就の謀略となると、敵方のスパイを逆に利用したり、筆跡をまねて内通の書状を偽造したりと、相手の心理を巧みに読んだ(裏をかいた)情報戦の類が多い。
■毛利元就4
元就の謀略というとこんな感じである。
元就と陶晴賢が争っていたが、元就の策略がみな晴賢に知られてしまう。どうしてこんなに策略が筒抜けになるのか不思議に思っていたところ、元就が日頃寵愛している琵琶法師が実は陶家に関係のあるものとわかった。
さてはと思った元就、部将を集めて作戦会議を開くと、琵琶法師をともなって出席した。
「次の合戦には丹比と宇品を結ぶ線に出兵しよう。もし晴賢が軍勢の一部を厳島に隠しておいて、わが軍の退路を断ち、前後から挟み撃ちをかけてくればわが軍は全滅だが、晴賢はこの作戦には気付いていない」
と、まことしやかに言った。そして同時に精兵二千名を極秘裏に厳島へ派遣、木陰や谷間に隠れさせた。
琵琶法師がさっそくこのことを晴賢に密告したのは言うまでもない。
報告を受けた晴賢は部将に命じ、軍勢三千名とともに厳島に急がせた。軍船に分乗した陶軍が厳島に到着、いまや上陸しようとした時である。毛利勢の伏兵二千名が三手に分かれ、雪崩のように襲ってきて陶勢は大敗した。
作戦会議には重要な部将でなければ出席できないはずのものを、琵琶法師のようなものにその内容を知られ、軍の機密が敵方へもれていたのは、武将としての元就の未熟さであるが、元就は敵のスパイを逆に利用して大勝利を得た。つまり元就は災いを転じて福としたのである。
こういうところが、毛利元就の優れた点であった(『武将感状記』)
ここで描かれているのは晴賢が自刃した「厳島の戦い」ではなく、他の戦いでの出来事を厳島に移していると思われているが、元就の謀略となると、敵方のスパイを逆に利用したり、筆跡をまねて内通の書状を偽造したりと、相手の心理を巧みに読んだ(裏をかいた)情報戦の類が多い。
1月は「行く(逝く)」、2月は「逃げる」、3月は「去る」なんて言いまして、
試験に追われる学生さんも、ノルマに追われる社会人も、
時間のなさを思い知らされる時期となっているのではないでしょうか。
と、ありきたりな文章で始めてみましたが、
年末までは年末進行で忙しかったものの、
年が明けて、1月、2月と割と暇なんですよね(物が動かない)
(個人的には1月の20日前後が多忙を極めましたが)
この調子でいると、3月が年度末進行でたいへんなことになります。
つかの間ののんびり、ということで、
仕事は適当にこなしながら、婚活に励みたいと思います。
周りは忙しそうなのに、実績がさっぱり上がってこないのはなぜだろう。
まあ、のんびりしているのが上の方にばれてしまうと、
「もっとできるから働かせろ」と、店長命令が出てしまうので、
働いているふりです。
(ほんとはこういう時にしかできない仕事がたくさんある)
若い外回りの連中は何が忙しいんですかね。
集金?
集金は(うちの業種では)仕事じゃありません。
お客さんと交渉して契約を取ってくるのが君たちの仕事。
ネックになる仕事があるなら、改善しようと思わないのかな。
少しでも早くできる方法を考えないのかな。
あるがままをそのまま受け入れているようでは進歩しません。
健全な目で疑ってみることも必要です。
試験に追われる学生さんも、ノルマに追われる社会人も、
時間のなさを思い知らされる時期となっているのではないでしょうか。
と、ありきたりな文章で始めてみましたが、
年末までは年末進行で忙しかったものの、
年が明けて、1月、2月と割と暇なんですよね(物が動かない)
(個人的には1月の20日前後が多忙を極めましたが)
この調子でいると、3月が年度末進行でたいへんなことになります。
つかの間ののんびり、ということで、
仕事は適当にこなしながら、婚活に励みたいと思います。
周りは忙しそうなのに、実績がさっぱり上がってこないのはなぜだろう。
まあ、のんびりしているのが上の方にばれてしまうと、
「もっとできるから働かせろ」と、店長命令が出てしまうので、
働いているふりです。
(ほんとはこういう時にしかできない仕事がたくさんある)
若い外回りの連中は何が忙しいんですかね。
集金?
集金は(うちの業種では)仕事じゃありません。
お客さんと交渉して契約を取ってくるのが君たちの仕事。
ネックになる仕事があるなら、改善しようと思わないのかな。
少しでも早くできる方法を考えないのかな。
あるがままをそのまま受け入れているようでは進歩しません。
健全な目で疑ってみることも必要です。
ま、前が見えん・・・。
本州にいたころ、何回か上越を抜けたことがありますが、
いつも吹雪で視界が悪かったなあ。
前の車の赤いテールランプだけが頼りです。
昨日まで少し暖かかったのですが、また真冬に逆戻りです。
寒くて、雪が降って、風が強い、というのが最悪。
次の寒気が過ぎたら、少しは春が近づいてくるかな。
今夜も静かに降り積もりそうなので、
冬用のワイパーを立てて駐車しないとダメですね。
(そのまま寝かせていると、冬用のワイパーといっても雪の重みで折れちゃう)
本州にいたころ、何回か上越を抜けたことがありますが、
いつも吹雪で視界が悪かったなあ。
前の車の赤いテールランプだけが頼りです。
昨日まで少し暖かかったのですが、また真冬に逆戻りです。
寒くて、雪が降って、風が強い、というのが最悪。
次の寒気が過ぎたら、少しは春が近づいてくるかな。
今夜も静かに降り積もりそうなので、
冬用のワイパーを立てて駐車しないとダメですね。
(そのまま寝かせていると、冬用のワイパーといっても雪の重みで折れちゃう)
「戦国人物紹介」
■毛利元就3
注:最初から話がそれますが、毛利元就の第3回です!
(携帯端末からだと中国人の字が一部出ないのはごめんなさい)
秀吉の「軍師」と言えば、後世に「二兵衛」とも「両兵衛(りょうべえ)」とも謳われた、竹中半兵衛(名は重治)と黒田官兵衛(名は孝高、よしたか。号の如水でも有名)であるが、どちらの方が好きかと言われれば、私は迷わず後者を挙げる。
能力からすれば竹中半兵衛の方が一枚も二枚も上なのだが、内心では秀吉の元で働くことを嫌っており、出家したかったが果たせぬまま死んだ、という話もあるように、あまりに聖人っぽくて隙がない。一方で、黒田官兵衛と言えば、信長が死んだと聞いて嘘泣きしている秀吉の耳元で「ご武運が開けましたぞ(天下取りの好機ですぞ)」などと言ってしまって、秀吉に生涯警戒され続ける二流の人である。こちらの方が俗っぽいというか、人間臭い(これらの逸話もどこまでが真実かあやしいが、特徴を捉えていると思わせる逸話ではある)
漢の高祖(劉邦)の軍師である張良(天下統一後は政権から離れた)と陳平、蜀の劉備の軍師である「伏龍鳳雛」こと諸葛亮(孔明)と龐統(ほうとう)なども、後世の人はうまくカラーを分けて描いたものだと感心する。少しくらいブラックな部分があった方が人を引き付けるのである。
同じく中国には「孫呉の兵法」というのがあって、「孫」は言うまでもなく孫子。孫武、孫臏(そんぴん)の二人がいたと言われる。後者の方はライバルにはめられて足斬りの刑に遭うも、のちに復讐を果たすという苦労人だが、孫武は完全無欠過ぎて面白味を欠く。「呉」は呉起という人物で、魯・魏・楚の各国で重用されて功を立てた。彼の「道理」は他の人の常識とは少し変わっており、そのために苦労することになる。最期もまた劇的である。
さて、毛利元就の話に戻って、元就が尼子氏と争っていたときというから、1560年代のことであろうか。元就の家臣で岩木源六郎道忠という者が膝を矢で射られ、矢尻が抜けずに苦しんでいた。医者を呼んだところ、医者は「膝を切らなければ治らない」と言う。すでに傷が膿んでいたのである。それを聞くと元就は道忠の傷にかぶりつき、膿とともに矢尻まで吸い取ってしまった。道忠が感激したのは言うまでもない。
ただ、この話、呉起の話と似ている。呉起の話はこうである。
呉起は兵を率いる将軍の身分であったが、陣中にあっては兵と同じ者を食べ、同じ所に寝て、兵の中に傷が膿んだ者がいると、膿を自分の口で吸い出してやった。ある時、呉起が兵の膿を吸い出してやると、その兵の母親が嘆き悲しんだ。周りの者が、将軍様が自らあんなことをされているのに、どうして悲しむのだと言うと、母親は言った、「あの子の父親も将軍様に膿を吸っていただいて、感激して敵に突撃して戦死しました。あの子もきっとそうなるだろうと嘆いていたのです」と。呉起の兵は命を惜しまずに戦ったので強かったという。
吉川元春の戦歴(一説に七十六戦して六十四勝、十二の引き分け、負けはなし、とされるが実際には負けた戦いもある)が呉起と同じという指摘もあり、後世になって、毛利藩の博識な人間あたりがこのへんの話を創ったのではないかとも想像されるのだがどうだろう。
■毛利元就3
注:最初から話がそれますが、毛利元就の第3回です!
(携帯端末からだと中国人の字が一部出ないのはごめんなさい)
秀吉の「軍師」と言えば、後世に「二兵衛」とも「両兵衛(りょうべえ)」とも謳われた、竹中半兵衛(名は重治)と黒田官兵衛(名は孝高、よしたか。号の如水でも有名)であるが、どちらの方が好きかと言われれば、私は迷わず後者を挙げる。
能力からすれば竹中半兵衛の方が一枚も二枚も上なのだが、内心では秀吉の元で働くことを嫌っており、出家したかったが果たせぬまま死んだ、という話もあるように、あまりに聖人っぽくて隙がない。一方で、黒田官兵衛と言えば、信長が死んだと聞いて嘘泣きしている秀吉の耳元で「ご武運が開けましたぞ(天下取りの好機ですぞ)」などと言ってしまって、秀吉に生涯警戒され続ける二流の人である。こちらの方が俗っぽいというか、人間臭い(これらの逸話もどこまでが真実かあやしいが、特徴を捉えていると思わせる逸話ではある)
漢の高祖(劉邦)の軍師である張良(天下統一後は政権から離れた)と陳平、蜀の劉備の軍師である「伏龍鳳雛」こと諸葛亮(孔明)と龐統(ほうとう)なども、後世の人はうまくカラーを分けて描いたものだと感心する。少しくらいブラックな部分があった方が人を引き付けるのである。
同じく中国には「孫呉の兵法」というのがあって、「孫」は言うまでもなく孫子。孫武、孫臏(そんぴん)の二人がいたと言われる。後者の方はライバルにはめられて足斬りの刑に遭うも、のちに復讐を果たすという苦労人だが、孫武は完全無欠過ぎて面白味を欠く。「呉」は呉起という人物で、魯・魏・楚の各国で重用されて功を立てた。彼の「道理」は他の人の常識とは少し変わっており、そのために苦労することになる。最期もまた劇的である。
さて、毛利元就の話に戻って、元就が尼子氏と争っていたときというから、1560年代のことであろうか。元就の家臣で岩木源六郎道忠という者が膝を矢で射られ、矢尻が抜けずに苦しんでいた。医者を呼んだところ、医者は「膝を切らなければ治らない」と言う。すでに傷が膿んでいたのである。それを聞くと元就は道忠の傷にかぶりつき、膿とともに矢尻まで吸い取ってしまった。道忠が感激したのは言うまでもない。
ただ、この話、呉起の話と似ている。呉起の話はこうである。
呉起は兵を率いる将軍の身分であったが、陣中にあっては兵と同じ者を食べ、同じ所に寝て、兵の中に傷が膿んだ者がいると、膿を自分の口で吸い出してやった。ある時、呉起が兵の膿を吸い出してやると、その兵の母親が嘆き悲しんだ。周りの者が、将軍様が自らあんなことをされているのに、どうして悲しむのだと言うと、母親は言った、「あの子の父親も将軍様に膿を吸っていただいて、感激して敵に突撃して戦死しました。あの子もきっとそうなるだろうと嘆いていたのです」と。呉起の兵は命を惜しまずに戦ったので強かったという。
吉川元春の戦歴(一説に七十六戦して六十四勝、十二の引き分け、負けはなし、とされるが実際には負けた戦いもある)が呉起と同じという指摘もあり、後世になって、毛利藩の博識な人間あたりがこのへんの話を創ったのではないかとも想像されるのだがどうだろう。