兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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日曜から木曜まで続いています。5日連続です。
だんだん時間が遅くなってきたけど(忙しいのかな?)
仕事の話が続いたので、そろそろ趣味の話にしたいなと思っていたところ、
自然な流れで向こうから趣味の話題を振ってくれました。
私に少し興味を持ってくれているのかなあ。
お互い、旅行が好きなので、趣味が合うといいですね。
旅行と言っても、景色を見るとか、アトラクションで遊ぶとか、温泉に行くとか、
おいしいものを食べるとか、史跡を見るとか、お城を見るとか、神社を見るとか、
…まあ、いろいろありますからね。
日中、お城を見て(上り下りがあると結構ハード)、旅館でおいしいものを食べて、
温泉につかって、お風呂上がりにビールが飲めたら最高ですね。
女性は旅行に何を求めるのだろう…。
だんだん時間が遅くなってきたけど(忙しいのかな?)
仕事の話が続いたので、そろそろ趣味の話にしたいなと思っていたところ、
自然な流れで向こうから趣味の話題を振ってくれました。
私に少し興味を持ってくれているのかなあ。
お互い、旅行が好きなので、趣味が合うといいですね。
旅行と言っても、景色を見るとか、アトラクションで遊ぶとか、温泉に行くとか、
おいしいものを食べるとか、史跡を見るとか、お城を見るとか、神社を見るとか、
…まあ、いろいろありますからね。
日中、お城を見て(上り下りがあると結構ハード)、旅館でおいしいものを食べて、
温泉につかって、お風呂上がりにビールが飲めたら最高ですね。
女性は旅行に何を求めるのだろう…。
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「戦国人物紹介」
九州でいってみましょう、マイナー武将特集!
茶器が救った家名、子孫に名君が出る
秋月種長 【あきづきたねなが】 1567-1614
長門守。種実の子。秋月氏は渡来系である阿智使主(あちのおみ、後漢の最後の皇帝である献帝の後裔という)の子孫と言われ、代々筑前秋月に住んで、弘安の役(元寇)にも出陣、南北朝時代には菊池氏とともに南朝方となっている。1557年、祖父秋月文種と長男の晴種は大友宗麟に攻められて自害し、二男の種実は家臣に連れられて古処山城を脱出する。1559年、秋月氏を復興し、毛利氏と結んで大友氏に抵抗するが、結局は大友氏に降伏した。その後、大友氏が衰退して島津氏の勢力が伸びてくると島津氏と結ぶが、1586年、秀吉の九州攻めに遭うと、種長ともども降伏した。名物の茶器である楢柴肩衝(ならしばかたつき、初花、新田肩衝と並んで「天下三肩衝」と呼ばれた茶入)を差し出して家名は保ったが、所領は筑前秋月から日向櫛間(福島)城に移された。児島郡と諸県郡の一部などで三万石を領する。
関ヶ原の戦いでは西軍に属して伏見城攻めに加わり、その後は美濃大垣城を守備する。本戦で主力が敗退すると、相良頼房(長毎)や実弟の高橋元種とともに、垣見家純(一直)、熊谷直盛、木村由信・豊統父子を謀殺して東軍に降った。のち、居城を櫛間から財部(高鍋)に移し、そのまま廃藩を迎えた。ちなみに、七代藩主種茂の弟は、出羽米沢藩に養子入りした上杉鷹山(ようざん、名は治憲)である。優秀な遺伝子だったのだろうか。
乱世を生き残るが関ヶ原で失敗
筑紫広門 【つくしひろかど】 1556-1623
二九市丸、左馬頭、上野介、従五位下。惟門の子。鎌倉時代以来の名族である少弐氏の一族と言われ、筑前に割拠した豪族。小勢力の常で、少弐氏、大内氏、毛利氏などに属した。その後は高橋紹運(立花宗茂の実父)の宝満城を攻めるなど大友氏と対立するが、広門と紹運の妻が姉妹(斎藤兵部大輔鎮実の娘)であったことから和議が成立し、広門の娘を紹運の二男統増(のちの立花直次)の室として大友方となった。
1586年、島津軍が北上して大友領への侵攻が始まると、高橋紹運は岩屋城で玉砕したが、広門は嫡子(弟とも)晴門が戦死すると島津軍に降伏した。筑後大善寺に幽閉されたが、秀吉の九州攻めが始まると、脱出して家臣を集め、肥前五ヶ山城を奪って旧領を回復、秀吉軍に加わって筑後上妻郡山下城一万八千石を安堵された。朝鮮出兵にも従軍した。
関ヶ原の戦いでは西軍に属して、伏見城、大津城攻撃に加わる。本戦での主力敗戦後、帰国して加藤清正の家臣に城を明け渡した。入道して夢庵と号し、清正、ついで細川忠興に寄食した。子の広門(父と同名、主水正)は大坂の陣での戦功を理由に三千石を与えられ、子孫は旗本として続いた。

Copyright © 2010, 2011 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
大勢力の中を必死に生き抜いた彼らの姿も見てほしい。
九州でいってみましょう、マイナー武将特集!
茶器が救った家名、子孫に名君が出る
秋月種長 【あきづきたねなが】 1567-1614
長門守。種実の子。秋月氏は渡来系である阿智使主(あちのおみ、後漢の最後の皇帝である献帝の後裔という)の子孫と言われ、代々筑前秋月に住んで、弘安の役(元寇)にも出陣、南北朝時代には菊池氏とともに南朝方となっている。1557年、祖父秋月文種と長男の晴種は大友宗麟に攻められて自害し、二男の種実は家臣に連れられて古処山城を脱出する。1559年、秋月氏を復興し、毛利氏と結んで大友氏に抵抗するが、結局は大友氏に降伏した。その後、大友氏が衰退して島津氏の勢力が伸びてくると島津氏と結ぶが、1586年、秀吉の九州攻めに遭うと、種長ともども降伏した。名物の茶器である楢柴肩衝(ならしばかたつき、初花、新田肩衝と並んで「天下三肩衝」と呼ばれた茶入)を差し出して家名は保ったが、所領は筑前秋月から日向櫛間(福島)城に移された。児島郡と諸県郡の一部などで三万石を領する。
関ヶ原の戦いでは西軍に属して伏見城攻めに加わり、その後は美濃大垣城を守備する。本戦で主力が敗退すると、相良頼房(長毎)や実弟の高橋元種とともに、垣見家純(一直)、熊谷直盛、木村由信・豊統父子を謀殺して東軍に降った。のち、居城を櫛間から財部(高鍋)に移し、そのまま廃藩を迎えた。ちなみに、七代藩主種茂の弟は、出羽米沢藩に養子入りした上杉鷹山(ようざん、名は治憲)である。優秀な遺伝子だったのだろうか。
乱世を生き残るが関ヶ原で失敗
筑紫広門 【つくしひろかど】 1556-1623
二九市丸、左馬頭、上野介、従五位下。惟門の子。鎌倉時代以来の名族である少弐氏の一族と言われ、筑前に割拠した豪族。小勢力の常で、少弐氏、大内氏、毛利氏などに属した。その後は高橋紹運(立花宗茂の実父)の宝満城を攻めるなど大友氏と対立するが、広門と紹運の妻が姉妹(斎藤兵部大輔鎮実の娘)であったことから和議が成立し、広門の娘を紹運の二男統増(のちの立花直次)の室として大友方となった。
1586年、島津軍が北上して大友領への侵攻が始まると、高橋紹運は岩屋城で玉砕したが、広門は嫡子(弟とも)晴門が戦死すると島津軍に降伏した。筑後大善寺に幽閉されたが、秀吉の九州攻めが始まると、脱出して家臣を集め、肥前五ヶ山城を奪って旧領を回復、秀吉軍に加わって筑後上妻郡山下城一万八千石を安堵された。朝鮮出兵にも従軍した。
関ヶ原の戦いでは西軍に属して、伏見城、大津城攻撃に加わる。本戦での主力敗戦後、帰国して加藤清正の家臣に城を明け渡した。入道して夢庵と号し、清正、ついで細川忠興に寄食した。子の広門(父と同名、主水正)は大坂の陣での戦功を理由に三千石を与えられ、子孫は旗本として続いた。
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大勢力の中を必死に生き抜いた彼らの姿も見てほしい。
三日続いた掲示板だけど、今日はお返事なし…。
昨日遅かったから、今日は早く寝ようかな、と思って、
寝る前にいちおう掲示板をチェックしてみたら、
「未読」メッセージが消えてたYO!
いまごろ一生懸命お返事を書いているのかな?
と思ったら、寝てられないですよね。
ほら、来た!
すぐに返事しちゃうのもなんですから、ちょっと時間をおいて、と。
やっぱり150文字だと質問への回答だけで終わっちゃう。
こんなときに自称文筆家の才能を発揮しろよ!
ですよねw
少し感情を入れて、
質問への回答をして、
こちらからの質問をする、
150文字以内!
お互いがこの壁を破りたいと思ったら、次のステップに進めるはず。
では、おやすみなさい。
昨日遅かったから、今日は早く寝ようかな、と思って、
寝る前にいちおう掲示板をチェックしてみたら、
「未読」メッセージが消えてたYO!
いまごろ一生懸命お返事を書いているのかな?
と思ったら、寝てられないですよね。
ほら、来た!
すぐに返事しちゃうのもなんですから、ちょっと時間をおいて、と。
やっぱり150文字だと質問への回答だけで終わっちゃう。
こんなときに自称文筆家の才能を発揮しろよ!
ですよねw
少し感情を入れて、
質問への回答をして、
こちらからの質問をする、
150文字以内!
お互いがこの壁を破りたいと思ったら、次のステップに進めるはず。
では、おやすみなさい。
さすがに連投するわけにはいかないので、150字以内の制限はきつい!
質問に答えながら、新たな質問をする(話題を振る)というのが
望ましいのですが、字数制限が恨めしい…。
あ、ここのブログじゃなくて、婚活のお話し掲示板の話です。
自分の話だけするのもなんですし、質問だけするのもうまくない。
さて、ご飯を食べながら待っていると、今日も夜の9時過ぎにメッセージが。
日、月、火、とこれで三日続きました。
10時過ぎにメッセージを返しています。
この形が定着するといいですね。
いまはお互いの仕事の話をしています。
ちょっと楽しみになってきました。
そろそろ趣味の話に移りたいなあ、というのと、名前で呼び合いたいなあと。
(番号で呼ばれると違和感がありまくりです)
お話ししましょう(と写真公開)の次に、詳細プロフィールを見せて、
というのがありますが(名字の仮名がわかるようになると思う)、
どの段階で切りだすべきでしょうか…。
まあ、まだまだですね。
質問に答えながら、新たな質問をする(話題を振る)というのが
望ましいのですが、字数制限が恨めしい…。
あ、ここのブログじゃなくて、婚活のお話し掲示板の話です。
自分の話だけするのもなんですし、質問だけするのもうまくない。
さて、ご飯を食べながら待っていると、今日も夜の9時過ぎにメッセージが。
日、月、火、とこれで三日続きました。
10時過ぎにメッセージを返しています。
この形が定着するといいですね。
いまはお互いの仕事の話をしています。
ちょっと楽しみになってきました。
そろそろ趣味の話に移りたいなあ、というのと、名前で呼び合いたいなあと。
(番号で呼ばれると違和感がありまくりです)
お話ししましょう(と写真公開)の次に、詳細プロフィールを見せて、
というのがありますが(名字の仮名がわかるようになると思う)、
どの段階で切りだすべきでしょうか…。
まあ、まだまだですね。
「戦国IXA」、2012年3月追加の新武将に注目ですよ。
まずは、服部半蔵・極。特で登場していたのに、さらに上の極になって再登場です。戦国時代の忍者というとこの人の名が挙がりますが、それはいずれ否定します。
次、徳川秀忠。関ヶ原での遅参など武将としては凡将のイメージですが、そこは家康が後継者に指名しただけの人物。守成の人です。一度擁護したことがあります。
http://naraku.or-hell.com/Entry/526/
3枚目の雑賀孫六は置いておいて、4枚目が豪姫。江じゃなくて豪です。前田利家とまつの娘で、秀吉の養女となって宇喜多秀家に嫁ぎました。この夫婦が中央で贅沢するために領地の岡山では苛斂誅求(厳しく税を取り立てる)が行われ、これがのちに、岡山に転封してきた小早川秀秋に祟ることになります(領民に股間を蹴られて悶絶死する)

5枚目は赤井直正。マイナー武将特集やりたい! 丹波の赤鬼と恐れられた人物で(ちなみに「青鬼」もいる)、明智光秀の前に立ちはだかります。江戸時代も残った、赤井氏のその後というのも面白い。

6枚目が三好三人衆の岩成友通で、最後が「戦国人物紹介」でも取り上げた朽木元綱。渋い。
http://naraku.or-hell.com/Entry/510/
Copyright © 2010, 2011 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
まずは、服部半蔵・極。特で登場していたのに、さらに上の極になって再登場です。戦国時代の忍者というとこの人の名が挙がりますが、それはいずれ否定します。
次、徳川秀忠。関ヶ原での遅参など武将としては凡将のイメージですが、そこは家康が後継者に指名しただけの人物。守成の人です。一度擁護したことがあります。
http://naraku.or-hell.com/Entry/526/
3枚目の雑賀孫六は置いておいて、4枚目が豪姫。江じゃなくて豪です。前田利家とまつの娘で、秀吉の養女となって宇喜多秀家に嫁ぎました。この夫婦が中央で贅沢するために領地の岡山では苛斂誅求(厳しく税を取り立てる)が行われ、これがのちに、岡山に転封してきた小早川秀秋に祟ることになります(領民に股間を蹴られて悶絶死する)
5枚目は赤井直正。マイナー武将特集やりたい! 丹波の赤鬼と恐れられた人物で(ちなみに「青鬼」もいる)、明智光秀の前に立ちはだかります。江戸時代も残った、赤井氏のその後というのも面白い。
6枚目が三好三人衆の岩成友通で、最後が「戦国人物紹介」でも取り上げた朽木元綱。渋い。
http://naraku.or-hell.com/Entry/510/
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