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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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2013年9月の編集後記

「暑さ寒さも彼岸まで」と言いまして、彼岸が過ぎるころには少し涼しくなってきました。26日から急に気温が下がりましたが、今週はまた蒸し暑さが戻ってきたようです。クールビズが定着したのかどうかよくわかりませんが、ネクタイを締めるのは面倒ですし、長袖だと腕をまくるのが面倒ですね。

9月半ばには台風による豪雨もありましたね。ゴールデンウィークに行ってきた京都の渡月橋の周辺が浸水している映像はショックでした。

2014年のソチ五輪はいまだに会場整備をしているようで、プーチン大統領も激怒していますが、2020年、東京五輪が開催されたとき、開催が決まった7年前(要は2013年)はどのように振り返られるんですかね。東京五輪を待ちわびて、希望にあふれた7年を過ごした、なんてことはないですよね。

東南海トラフ地震が起きて、さらには富士山が噴火して、日本は壊滅、なんてことになっていなければいいのですが…。福島第一原発の汚染水問題に限らず、被災地の復興は置き去りにされているように思います。

仕事は無難にこなしていたつもりですが、いまの部署に来て、ちょうど一年で配置替えという話。新しい仕事がこなせるのでしょうか。聴覚過敏はごまかしながら過ごしていますが、限度はあります。薬で治る話じゃないんだな。別の方法を模索中。

中日ドラゴンズは初のCSなし。今年はもういいです。楽天の初優勝よりも9回裏のマー君の投球の方に興奮しましたかね。部分部分での感動を求める傾向にあります。

婚活は終了しました。ようやく退会です。

ゲームは「艦これ」をやっていましたが、2か月やって、しばらくお休みします。

これで、歴史の話をする余裕ができるでしょうか。「八重の桜」はクランクアップしましたが、教育の話になってから、見なくなりましたね。ドンパチやっていた方が見てしまうというか(西南戦争も終わってしまったし)。新島襄も悪くはないのですが…。

「行き詰るのも展開の一つ」と言いますが、詰まったら、いくつかやめてみてはどうでしょうか。何か開けてくるかもしれません。

物価だけが上がって、賃金が上がらないのは、悪い物価上昇ですが、それを政治がむりやり賃上げに持って行こうとするのは、資本主義の悪いところと、社会主義の悪いところが一緒に来ているような気がしますね。うまく言えませんが。

豪ドルは91円。月中は高値で94円を付けたときもあったのですが、また戻ってしまいましたね。いつ解約できるのでしょうか。アメリカは相変わらず、予算や国債の上限でもめていますし、中国経済がいつ破裂するかも心配です。

『半沢直樹』は面白かったです。原作も読んでいますが、休日に読むと、サラリーマンは憂鬱になりますね。『あまちゃん』はちょっとだけ見たかな。『鍵のかかった部屋』で秘書役で出ていた子だったっけか。

脈絡がありませんでしたが、今月はこのへんで。また来月お会いしましょう。

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いい機会なので、「艦これ」はしばらくおやすみですね。

先に進むには艦種のしばりが面倒ですし、

日々の任務をこなすのも作業化してしんどくなってきましたし、

溜まっていく資源を(あふれないように)使うのが地味に負担です。


過去のブラウザゲームにあった「レベル25の壁」は超えましたが、

2か月で燃えつきました(復活はすると思いますけどね)
某ドラマの「片道切符の地獄行き」、出向じゃありませんが、

来月から係替えとの話。

いまある仕事はすべて後輩に引き継いで、

先輩の仕事を引き継いでほしいとの話。


いまの仕事をしてからちょうど一年、

無難にこなしているので、

それを譲って(後輩に譲るのは心配)、

まったく新たな仕事をするというのは不安です。


簡単とか、難しいとか、難度の問題ではなく、

未知の分野なんですよね。

もちろん、既知の経験がなければできない仕事ではありますから、

その部分が認められての転換ではあるのですが…。


テレビなどで「この道何十年」みたいなのを見ると羨ましいと思いますね。

できるようになると(あるいはできなくても)

また違う部署に行くという…。


ほかの部署との折衝もありますし、

えらい人との絡みも出てきますから、

コネクションを作るチャンスではあるんですよね。

やりたいと思ってもなかなかできる仕事ではありませんし。


若干、雑用が混じりそうなところは憂鬱ですが、

お願いされて、嫌な顔をするよりは、

進んで引き受けた方が、

お互いの精神衛生上いいでしょうから、

これも勉強と思って、前向きに考えることにします。
もう、無理なことを言うんだなあ。

勘弁してくださいよ。


拾うのは甲斐性でしょうが、

そこまでするだけの恩義は感じませんし。


あとはなるようになるしかないなと。

そこに顔を出したくはありません。

1998年は札幌にいたので、それほど暑い夏だった記憶はありませんが…。


準決勝の明徳義塾と横浜の試合、

松坂の代わりに投げた投手が打たれて、

8回の表、明徳の攻撃が終わった時点で、

スコアは6-0、試合の流れから、

明徳の勝ちは決まったかのように思われましたが…。


そこから横浜が8回の裏に4点を取って、松坂が投球練習をして、

「何とかなるんじゃないか?」「何とかしてくれるんじゃないか?」

そんな期待を抱かせてくれました。


ここから試合をひっくり返されたのですから、

敗れた明徳ナインが、寺本投手を初め、その場に崩れて、

しばらく立ち上がれなかったのはよく覚えています。


準々決勝の横浜-PL戦は語りつくせないので、またの機会に。

両校の戦い(この退会における試合だけでなく、過去の分も含めて)は

高校野球のレベルを超えていたと思います。


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