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兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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明日で1月も終わりですが、今週は一週間が長い…。
すでに火曜の朝からバテ気味でしたが、
最近は寝つきが遅いせいか、朝もしんどく…。
咳は二週間ほどたって、ようやく収まってきましたが…。
年が明けて、周囲も仕事モード全開で、
それがこちらに向かってきたというところでしょうか。
来月は反転攻勢したいものです。
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増補「関ヶ原の戦い・大名一覧」

- 松前慶広 【まつまえよしひろ】 天文十六年(1547)-元和二年(1616) 志摩守

■1.本拠、石高
福山陣屋、無高(後世一万石格、維新時三万石格)

■2.略歴
幼名は天才丸、通称は新三郎、民部大輔。文禄二年(1593)、従五位下、志摩守。慶長九年(1604)、従五位下、伊豆守。若狭守季広の三男。母は河野弥治郎右衛門季通の娘。

松前氏は清和源氏若狭武田氏流の信広を始祖とし、代々蠣崎(かきざき)氏を称した。天正十八年(1590)、主筋に当たる安東(秋田)実季とともに上洛して、同年十二月二十九日(西暦ではすでに1591年)、聚楽第で秀吉に謁した。翌年の九戸政実の乱にはアイヌ兵を連れて従軍したという。

文禄元年(1592)、朝鮮出兵に際しては、はるばる肥前名護屋まで参陣、翌年、蝦夷地支配の安堵を受ける。これにより名実ともに安東氏(秋田氏)からの独立を果たした。秀吉死後は家康に接近する。慶長四年十一月七日(1599年)、家康に家譜と蝦夷地の地図を献上し、姓も「松前」に改める。これは松平(徳川)と前田から一字ずつ取ったとも言われるが、すでに「松前」の地名は存在しており、もとは地名に由来していると考えられる。

以前に「羽柴」についての考察のところで書いた。
http://naraku.or-hell.com/Entry/427/

■3.関ヶ原の戦いでの動向
慶長五年三月十五日、帰国を許されており、関ヶ原の戦いの時には在国していたと思われる。戦いへの直接の関与は不明。

■4.その後
慶長九年、アイヌ交易の独占権を認められ、また従五位下、伊豆守に叙任される。慶長二十年、老齢にも関わらず大坂の陣に従軍。この際、二男の忠広をともなっている。忠広はこれに先立って、慶長九年から秀忠に仕えており、旗本となった。翌元和二年(1616)十月十二日、松前にて死去。六十九歳(生年は没年からの逆算、数え年)。法名は永泉。妻は家臣である村上三河季儀の娘。

長男盛広(初名守広)は慶長十三年、父に先立って死去。盛広の子公広が後を継いだ。四男由広は大坂の陣で豊臣秀頼に誼を通じたとして、慶長十九年、父によって殺されている。

松前氏は蝦夷島主として、幕府からは賓客扱いであったが、五代将軍徳川綱吉の代に交代寄合となり、享保四年(1719)には一万石格の大名扱いとされた。

蝦夷地警備上の問題から、寛政十一年(1799)、および文化四年(1807)に所領を陸奥梁川などに移され、蝦夷地には幕府から松前奉行が派遣されることになった。その後、復帰運動が実を結んで、文政四年(1821)には福山(松前)に戻った。

戊辰戦争では最後の戦場となり、一時は福山城も落城したが、新政府軍の反撃で奪回し廃藩を迎えた(廃藩時は館藩に移っている)



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蠣崎季広 【かきざきすえひろ】 永正四年(1507)-文禄四年(1595)
松前慶広の父。卯鶴丸、彦太郎、若狭守。天文二十年(1551)、代々争ってきたアイヌと和睦。ハシタインを西蝦夷の奉行とし、チコモタインを東蝦夷の奉行とし、交易の法度も定めた。十三人の娘は家臣だけでなく、安東氏を初め、奥羽の諸豪族に嫁がせて、地位の強化を図った。これらはのちの松前氏の発展の基礎となった。

子慶広が秀吉から蝦夷地の支配を認められて直臣となったことをたいそう喜んだ。帰国した慶広に向かって「畏まって頭を低くして手を合わせ」「(自分は)河北檜山の屋形(安東氏)を主君と仰ぐのみ(だったが)、貴殿いま日本国の大将軍、太閤秀吉公の直忠臣と成れり」と言ったという(『新羅之記録』、原文は漢文。「新羅」は家祖とする新羅三郎義光のことで、義光は「八幡太郎」と呼ばれた源義家の弟)
増補「関ヶ原の戦い・大名一覧」

■掲載大名一覧
・所属と名前、領地(城地)のみを記してあります。
・西:西軍、東:東軍、-:不分明、中立など
・×は一万石未満で、関ヶ原以後も一万石未満(あるいは改易)のため、掲載を省略したものです。
・ページ内検索をしても出てこない場合は、名字だけあるいは名前だけで検索してみてください。
 漢字が違う、同一人物が複数の名前を名乗っている、などということも考えられます。
※加筆修正する場合があります。

■蝦夷
- 松前慶広 福山

■陸奥
東 津軽為信 堀越(弘前)
東 南部利直 不来方(こずかた) 初め晴直
東 伊達政宗 岩手山
- 相馬義胤 牛越
西 岩城貞隆 平(磐城平)
西 上杉景勝 会津若松

■出羽
- 秋田実季 湊
東 戸沢政盛 角館
西 小野寺義道 横手
東 最上義光 山形
東 六郷政乗 六郷
東 仁賀保挙誠 仁賀保

■常陸
- 佐竹義宣 水戸
東 水谷勝俊 下館(徳川家臣)
- 多賀谷重経 下妻(佐竹系)
東 由良国繁 牛久(徳川系)
- 蘆名盛重 江戸崎(佐竹系) 初め義広

■下野
東 大田原晴清 大田原
東 那須資景 那須
東 大関資増 黒羽
×東 蘆野政泰 蘆野
×東 福原資保 佐久山
×東 千本義政 千本
×東 伊王野資信 伊王野
東 成田長忠 烏山 泰親などとも
東 蒲生秀行 宇都宮
東 皆川広照 皆川(徳川系)
東 佐野房綱 佐野 了白

■上野 残りは徳川領
東 真田信幸 沼田 のち信之

■下総
東 結城秀康 結城
西 山川朝信 山川

■上野・下総の一部と上総・武蔵・相模・伊豆
東 徳川家康 江戸

■安房
東 里見義康 館山

徳川家康配下
■上野
 本多康重 白井
 松平(大給)近正 三之倉
 平岩親吉 前橋(厩橋)
 諏訪頼水 総社
 井伊直政 高崎
 里見義成 板鼻
 依田(蘆田)康真 藤岡 康勝などとも
 菅沼定利 矢田(吉井)
 奥平(松平)忠明 長根
 奥平信昌 小幡
 牧野康成 大胡
 松平(大給)家乗 那波
 菅沼定盈 阿保
 榊原康政 館林

■下総
 小笠原秀政 古河
 土岐定義 守谷
 本多成重 井野
 松平(藤井)信一 布川
 岡部長盛 山崎
 松平(久松)康元 関宿
 成瀬正成 栗原
 酒井家次 臼井
 北条氏勝 岩富
 武田信吉 佐倉
 青山成重 飯田
 鳥居元忠 矢作
 松平(深溝)家忠 小見川
 天野康景 大須賀 初め景能
 松平(久松)定勝 小南
 保科正光 多古
 本多康俊 小篠
 木曾義利 蘆戸

■上総
 内藤家長 佐貫
 松平(大須賀)忠政 久留里
×植村泰忠 勝浦
 本多忠勝 大多喜
 大久保忠佐 茂原
 石川康通 鳴渡
 松平(形原)家信 五井

■武蔵
 小笠原信之 本庄
 松平(竹谷)家清 八幡山
 安部信盛 岡部
 松平忠輝 深谷
 松平(戸田)康長 東方
 松平忠吉 忍
 松平(松井)康重 私市(騎西)
 牧野信成 石戸
 松平(桜井)家広 松山
 渡辺守綱 野本
 酒井重忠、忠世、忠利 川越
 戸田一西 鯨井
 西尾吉次 原市
 伊奈忠次 小室
 高力忠房 岩槻
 阿部正次 鳩谷

■相模
 本多正信、正純 甘縄
 大久保忠隣 小田原
 青山忠成 高座郡内

■伊豆
 内藤信成 韮山
 戸田尊次 下田

以上、徳川家康配下

■越後
東 村上頼勝 村上(本庄)
東 溝口秀勝 新発田
東 堀 秀治 春日山
東 堀 直政 三条
東 堀 親良 蔵王堂
東 堀 直寄 坂戸

■飛騨
東 金森長近 高山

■信濃
東 森 忠政 川中島
東 石川康長 松本 数長、三長とも
西 真田昌幸 上田
東 仙石秀久 小諸
東 日根野高吉 高島
東 京極高知 飯田
東 石川康勝 林?

■甲斐
東 浅野長政、幸長 府中(甲府)

■能登
- 前田利政

■加賀二郡と越中
東 前田利長

■加賀
西 丹羽長重 小松
西 山口宗永 大聖寺 正弘とも
西 山口修弘 江沼郡内

■越前
西 青山宗勝 丸岡
- 織田秀雄 大野
西 大谷吉継 敦賀 吉隆とも
西 青木一矩 北ノ庄 紀伊守、秀以とも
西 丹羽長昌 東郷槇山 長正とも
東 堀尾吉晴 府中 可晴とも
西→東 赤座直保 今庄
西 戸田勝成 安居 重政、勝重とも
西 奥山正之
西 上田重安
西 木下頼継
西 服部正栄 越前・近江国内
西 寺西清行 是成、忠澄とも
西 溝江長晴 溝江館 彦三郎
西→東 長谷川守知 越前(または美濃)国内

■駿河
東 中村一氏 府中(駿府)

■遠江
東 山内一豊 掛川
東 松下重綱 久野
東 有馬豊氏 横須賀
東 堀尾忠氏 浜松

■三河
東 池田輝政 吉田 照政とも
東 田中吉政 岡崎
東 水野勝成 刈谷

■尾張
東 福島正則 清洲
東 一柳直盛 黒田
西 石川貞清 犬山

■美濃
西 織田秀信 岐阜
西 佐藤方政 上有知 鉈尾山城
西 高木盛兼(守之) 高須
西 丸毛兼利 福束 姓は丸茂、名は兼頼などとも
西 河尻秀長 苗木 姓は川尻、名は直次とも
西 田丸直昌 岩村
東 遠藤慶隆 小原
西 遠藤胤直 犬地
東 市橋長勝 今尾
東 徳永寿昌 松の木 高松城
西 伊藤盛正 大垣 盛政、長玄などとも
東 西尾光教 曾根
西→東 加藤貞泰 黒野
東 大嶋光義 蓆田 大島とも
西→東 関 一政 多良
東 稲葉通重 清水
西 稲葉貞通 八幡
西 原 勝胤 太田山 長頼、政茂などとも
西 平塚為広 垂井
西 木村由信 北方
西? 加賀井秀望 加賀野井
西→東 竹中重門 岩手 不破郡内
西 杉浦重勝 竹ヶ鼻

■伊勢
東 福島高晴 長島 正頼とも
西 氏家行広 桑名
西 氏家行継
西 滝川雄利 神戸
東 分部光嘉
東 富田信高 安濃津 知信とも
西 山崎定勝 竹原 家勝とも
西 岡本宗憲 亀山 重政、良勝とも
東 稲葉道通 岩出
東 古田重勝 松坂
西 蒔田広定 雲出
西 松浦久信 井生 秀任とも
西 松浦宗清 伊勢国内 安大夫
西 寺西直次 伊勢国内など 定時、信乗とも
西 駒井重勝
東 織田信重 林
西 河口宗勝 伊勢・尾張の内 姓は川口とも

■志摩
東 九鬼守隆 鳥羽

■伊賀
東 筒井定次
東 松倉重政

■近江
- 山中長俊
西 樋口雅兼
西 石田正継
西 石田正澄
西 石田三成
西 長束正家
東 京極高次
西→東 朽木元綱

■若狭
- 木下勝俊
西 木下利房

■山城
東 津田信成 御牧

■畿内その他
西 木下一元(利久) 不明
西 中江直澄 不明(伊勢か?)
東 三好房一 不明
西 村上義忠 不明
西 池田長政 不明 勝俊
東 大野治長 扶持米
西 堀田正高(盛重) 扶持米か
東 池田長吉 不明
西 鈴木重朝 不明
西 矢部定政 不明
- 速水守久 不明

■紀伊
西 堀内氏善 新宮
西 杉若氏宗 田辺上野山 主殿頭
東 桑山一晴 和歌山

■大和 他に小領主、寺社領多数
西 増田長盛 郡山
東 小堀正次 葛上・宇智郡内 政次
西 多賀秀種 神楽岡 秀家などとも
西 横浜茂勝 大和国内(播磨国内とも)
西 寺田光吉 大和国内
西 宇多頼忠 大和・河内国内
西 岸田忠氏 岸田城 晴澄
東 桑山元晴 御所(五所)
東 本多正武 高取 俊政、利朝
東 平野長泰 田原本

■河内
- 北条氏盛 河内

■和泉
- 小出秀政
東 桑山重晴

■摂津
- 豊臣秀頼
- 片桐且元
西 山崎家盛
東 織田長益(有楽斎)
西 新庄直頼
- 青木一重

■丹後
東 細川忠興 宮津

■丹波
西 織田信包 柏原
西 別所吉治 園部
- 前田玄以 亀山
西 小野木公郷(重次、重勝) 福知山
西 高田治忠
西 生熊長勝
西 木下俊定(利定)
西 藤掛長勝(藤懸、永勝) 小雲(上林)
西 川勝秀氏
西 谷 衛友 山鹿(山家)
西 石川貞通(貞道、家清)
西 石川頼明

■播磨
西 木下延重
東 有馬則頼 三木
- 木下家定 姫路
西 加須屋真雄 加古川 糟谷武則
西 間島氏勝 福中
- 木下延俊

■淡路
西→東 脇坂安治 洲本
西 菅 達長 岩屋

■但馬
西 杉原長房 豊岡
西 小出吉政 出石
西 斎村広英 竹田

■因幡
西 宮部長房 鳥取 長煕、定行とも
東 亀井茲矩 鹿野
西 木下重堅 若桜鬼ヶ城
西 垣屋恒総 浦富桐山

■伯耆 他は吉川広家支配
西 南条元忠 羽衣石 忠成とも

■備中の一部と美作・備前
西 宇喜多秀家 備前岡山

■備中・伯耆の一部、備後・石見・隠岐・出雲・安芸・長門・周防
西 毛利輝元 安芸広島
西 毛利秀元 周防山口
西 吉川広家 出雲富田

■阿波
西 蜂須賀家政 徳島
西 赤松則英 住吉

■讃岐
西 生駒親正/東 生駒一正 高松

■伊予
東 藤堂高虎 丸串(宇和島)
東 加藤嘉明 真崎(正木、松前)
西→東 小川祐忠 今治
西 安国寺恵瓊 和気郡内
西 池田高祐 大洲

西→東 来島長親 風早郡内 康親とも
西 安見勝之 麻布

■土佐
西 長宗我部盛親 浦戸

■豊前
東 黒田孝高(如水)/黒田長政 中津
西 毛利勝信 小倉 吉成とも

■豊後
西 毛利高政 隈府 友重とも
- 中川秀成 岡(竹田)
西 太田一吉 臼杵 宗隆、政信などとも
東 松井康之 杵築 注:細川忠興飛地
西 早川長敏 府内 長政、行重とも
西 福原直高 日出 長堯とも
西→東 竹中重利 高田 隆重などとも
西 垣見家純 富来 一直などとも
西 熊谷直盛 安岐 直陳とも
西 木村秀望
西 宮木豊盛    定勝とも

■筑前
西?→東 小早川秀秋 名島

■筑後
西 立花宗茂 柳川
西 毛利秀包 久留米 もと小早川秀包
西 高橋直次 内山 初め統増
西 筑紫広門 山下

■対馬
西 宗義智 対馬府中

■肥前
西→東 鍋島直茂 佐賀
東 寺沢広高 唐津
東 大村喜前 玖島
- 五島玄雅 福江江川 姓は五嶋とも
西→東 有馬晴信 日野江
東 松浦鎮信 平戸

■肥後
東 加藤清正 熊本
西 小西行長 宇土
西→東 相良頼房 人吉 のち長毎

■日向
西→東 高橋元種 延岡
西→東 秋月種長 櫛間
西 島津豊久 佐土原
東 伊東祐兵 飫肥

■大隅
西 島津義弘

■薩摩
- 島津義久 鹿児島

増補「関ヶ原の戦い・大名一覧」

別のところに置いてあった分ですが、プロバイダとの契約終了を決めたので、少しずつこちらに移していきます。

【凡例】

所属(東軍、西軍など)、名前、生没年、官位
1.本拠、石高
2.略歴
3.関ヶ原の戦いでの動向
4.その後

■基本的に関ヶ原の戦い時点で一万石以上の大名に限りましたが、戦後、大坂の陣までに一万石以上に達した場合など、特別に取り上げたものもあります。

■名前や本拠地、石高などには異説のある大名もいますが、代表的なものを加味しつつ修正しています。

■著作権は放棄しておりませんので、引用する場合は、出典(このブログ)を明示してください。また参照は各自の責任においておこなってください。
マー君
7年で161億円と言っても、半分は税金で持って行かれるんでしょうけど…
細かい契約条件はよくわかりませんが、そんな大金をもらえるとしたら、
働く気が起こるんでしょうかね。

もちろん、やってくれることを期待していますが、
そのプレッシャーの大きさたるや、素人には想像もつきません。

どんなに秀でた能力があったとしても、相手があることですからね。
(絶対ではなく、常に相対でしかない)

大相撲
千秋楽は14日目まで全勝の白鵬と1敗で追う鶴竜の対戦。
過去の対戦成績は白鵬の30勝2敗(過去の優勝決定戦を除く)で、
白鵬の圧倒的有利でしたが、そこを鶴竜が勝ったのが勝負の面白いところ。
巻き返しからもろ差しにして、白鵬を寄り倒した相撲は素晴らしかったですね。
優勝決定戦では二度同じ手を食わないあたりは、さすがの横綱ですが。

これで鶴竜は来場所の綱取りの芽が出てきましたが、
下位相手で取りこぼしをせず、横綱二人を倒して優勝をするくらいでないと、
実力的にはまだまだ横綱とは差があるように思います。
(大関は負ければ陥落するが、横綱は負ければ引退するしかない)

綱取りがかかっていた稀勢の里は、早々に負けたどころか、
ケガで休場、負け越しで、来場所はカド番とは情けない…。

スキージャンプ女子
日本人が勝ちまくると、またルール変更するだろ…。
W杯でも優勝を続ける高梨沙羅選手、ソチ五輪での金メダルの期待は、
日本人選手の中でももっとも高いと思いますが、
女王サラ・ヘンドリクソンの復帰でどうなるでしょうか。
高梨選手のインタビューが淡々としたものに感じるのも、
ヘンドリクソンの復帰が念頭にあってのことでしょうか。
「ライバル」というのはどうかと思いますが、
最強の相手を倒して金メダルを取ってほしいと思います。

サッカー
本田さんがチームになじむにはまだ時間がかかると思いますが、
すでにセリエA(イタリアリーグ)で4シーズン目に入った
長友を忘れていませんか。
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