兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり(『孫子』)
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「戦国IXA」 8月追加の新武将カード
森蘭丸 極 特に続いて2回目の登場。
名は成利。父は美濃出身だが早くから信長に仕えた可成(よしなり)。長可は兄。小姓として有名だが、側近として官僚的役割をこなした。本能寺の変がなければ出世して地方の大名になっただろう。変では弟坊丸、力丸とともに戦うが討死。兄長可は長久手の戦いで戦死したため、家は末弟の忠政が継いだ。
本多正信 極
家康との関係は「水魚の交わり」とたとえられた。家康最高の帷幄の臣(謀臣)。三河一向一揆で一揆側に加担し出奔するが、すぐに許されて帰参、功を焦ったのか姉川の戦いでは負傷している。子の正純とともに豊臣家滅亡の策を練る。家康の後を追うように死去、その後、壮絶な権力争いに巻き込まれた正純は改易された。
今川氏真 特 スキルが「国潰し」というのがなんとも…
義元の子。父が桶狭間で横死すると家督を継いだが、同盟者であった信玄に攻められると、国を追われて北条氏を頼った。のち信長に請われて蹴鞠を披露したという保身の達人。歌道も今川家では必要な教養である。源氏である足利氏の一門であり、子孫は幕府の高家となったが、明治時代に惜しくも家名断絶となった。
上杉景虎 特 「影虎」となっているが誤り
養父の謙信は長尾景虎と名乗ったことはあるが、上杉景虎という名は養子の彼しか存在しない。北条氏康の子。上杉と北条の越相同盟が成立すると越後へ送られ、謙信の養子となった。謙信の死後、同じく養子の景勝と争い(御館の乱)、敗れて自害した。謙信の生前の地位については諸説ある。きっと美男。
井伊直盛 上 このゲーム、なぜ井伊家が優遇されるのか
井伊氏は南北朝時代は南朝方として活躍、北朝方の今川氏とは争った。のちに今川氏に仕えるようになるが、直盛は桶狭間の戦いで戦死。家督は従弟の直親が継いだが、家康への内通を疑われて斬首された。直盛の娘が直虎を名乗って実質的に家督を継いだという。直親の子が直政だが、これらのため幼いころは苦労した。
関成政 上
美濃の関氏。成政の孫の長継の母方の祖父は先に述べた森忠政(蘭丸の末弟)である。忠政の男子はみな早世したため、森氏の重臣であった関氏の長継が森氏の家督を継いだ。隠居後に、子孫が改易されたが、長継に再度領地が与えられて復興した。波乱の人生。
太田一吉 序
丹羽長秀の家臣だが、長秀の死後は秀吉に直仕した。当時の丹羽家は大身であったため、秀吉が勢力弱体化を図ったという。多くの家臣が秀吉に転仕している。のち豊後臼杵城主となるが、関ヶ原の戦いで西軍に属して没落。黒田如水の嘆願により助命され、京で余生を送った。
椿姫 序 彩菜?
今川氏に仕えた飯尾連竜の妻らしい。
森蘭丸 極 特に続いて2回目の登場。
名は成利。父は美濃出身だが早くから信長に仕えた可成(よしなり)。長可は兄。小姓として有名だが、側近として官僚的役割をこなした。本能寺の変がなければ出世して地方の大名になっただろう。変では弟坊丸、力丸とともに戦うが討死。兄長可は長久手の戦いで戦死したため、家は末弟の忠政が継いだ。
本多正信 極
家康との関係は「水魚の交わり」とたとえられた。家康最高の帷幄の臣(謀臣)。三河一向一揆で一揆側に加担し出奔するが、すぐに許されて帰参、功を焦ったのか姉川の戦いでは負傷している。子の正純とともに豊臣家滅亡の策を練る。家康の後を追うように死去、その後、壮絶な権力争いに巻き込まれた正純は改易された。
今川氏真 特 スキルが「国潰し」というのがなんとも…
義元の子。父が桶狭間で横死すると家督を継いだが、同盟者であった信玄に攻められると、国を追われて北条氏を頼った。のち信長に請われて蹴鞠を披露したという保身の達人。歌道も今川家では必要な教養である。源氏である足利氏の一門であり、子孫は幕府の高家となったが、明治時代に惜しくも家名断絶となった。
上杉景虎 特 「影虎」となっているが誤り
養父の謙信は長尾景虎と名乗ったことはあるが、上杉景虎という名は養子の彼しか存在しない。北条氏康の子。上杉と北条の越相同盟が成立すると越後へ送られ、謙信の養子となった。謙信の死後、同じく養子の景勝と争い(御館の乱)、敗れて自害した。謙信の生前の地位については諸説ある。きっと美男。
井伊直盛 上 このゲーム、なぜ井伊家が優遇されるのか
井伊氏は南北朝時代は南朝方として活躍、北朝方の今川氏とは争った。のちに今川氏に仕えるようになるが、直盛は桶狭間の戦いで戦死。家督は従弟の直親が継いだが、家康への内通を疑われて斬首された。直盛の娘が直虎を名乗って実質的に家督を継いだという。直親の子が直政だが、これらのため幼いころは苦労した。
関成政 上
美濃の関氏。成政の孫の長継の母方の祖父は先に述べた森忠政(蘭丸の末弟)である。忠政の男子はみな早世したため、森氏の重臣であった関氏の長継が森氏の家督を継いだ。隠居後に、子孫が改易されたが、長継に再度領地が与えられて復興した。波乱の人生。
太田一吉 序
丹羽長秀の家臣だが、長秀の死後は秀吉に直仕した。当時の丹羽家は大身であったため、秀吉が勢力弱体化を図ったという。多くの家臣が秀吉に転仕している。のち豊後臼杵城主となるが、関ヶ原の戦いで西軍に属して没落。黒田如水の嘆願により助命され、京で余生を送った。
椿姫 序 彩菜?
今川氏に仕えた飯尾連竜の妻らしい。
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